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農村を活性化させる為には?

動けるところから動く

私の住まいは大阪市ですが、最近淡路島から車で販売にくる魚屋さんが大人気です。

もともと、私の近くに住む母が、友人に紹介してもらってから贔屓になったようです。今では母が我が家の魚も一緒に買っておいてくれたり、さらに友人に紹介したりと、さながら営業マンのような活躍ぶりです。

この魚屋さん、父親と息子さん(だと思います)の2人でいらっしゃって、家の前で車を止め、各家庭からお水を借りて、買ってもらった魚をさばいてくれます。
スーパーや近所の魚屋さんと比べてもやや高めのお値段ですが、おいしいこともあっていつも売切れると聞いています。また、なじみのお客さんに最近何を買ってもらったかを覚えていて、同じ魚が続かないようにいろんな魚を見繕って持ってきてくれるそうです。

小さなお商売ですが、贔屓にしてくれる家庭を車で回って、確実にお客さんをつかんでいるように思います。

この話を聞いていたので、松本さんが仰る、
>販売網・販売力保有は、単独農家では非常に負担であって殆ど不可能だと思います。
というのは、ちょっと疑問です。
確かに「組織体を形成してその組織力を生かして市場経済関係を超えてしまう」といった方法もあるのでしょうが、まず組織が無ければ市場から脱却できないということでもないと思うのですが。

「魚がいつも売切れるほど人気があるのなら、魚屋さんも、お仲間と一緒に売りにくればよいのに。」
「こうして魚を買う人達がこんなにいるんだったら、お野菜も売りに来て欲しいのに。」

可能性は無限にあり、その実現可能性を次から次へとつないでゆくのが、ネットワークの魅力だと思います。この魚屋さんを中心にした小さなネットワークも、何かのきっかけさえつかめれば、もっと沢山の人のつながりに広がりそうな気さえします。

>実践的には大上段に構える必要はなくて、社会統合を常に視野において試行錯誤しながら可能性のあるところへ進んで行くのが良いのではないでしょうか。(20420 長谷さん)

というスタンスで、行動できるものから行動するのが、実現の近道だと思いました。

小西康雄

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農も社会的役割分担の1つ

>都会人の、癒しだけを求めて、自らは担わない後ろめたさや、
農村の、古い価値観や序列が幅をきかしている閉鎖性などが
見え隠れし、一見簡単に交われるようで、踏み込めない壁として存在する。いつまでたってもお客さんなのだ。 <

 現状はその通りだと思います。
 農業、農村、都市、その他何でも、統合された社会の中での役割分担という意識にまで至っていないため、それぞれの「立場」という自意識に留まっていて、お互いに後ろめたさや否定視、わかって欲しい欠乏の押し付け合いになっているのが実態でしょう。
 
 考えてみれば、まともな単位集団やそれらを統合した共認(課題共認)が成立していない現状では、表層的な観念で、都市と農村の交流や農業・田舎体験といういいとこ取りの表層充足になってしまうことも無理からぬことです。
 
 しかし、一方で、脱市場、自然志向、仲間収束という本源的な流れがほとんどの人の意識で潜在から顕在化しつつあることも事実です。それを、
目先の充足だけに終わらせるのではなくて、統合課題へ向かわせるネットワークの構築が必要で、るいネットが目指すことの1つだと思います。

 とは言っても、実践的には大上段に構える必要はなくて、社会統合を常に視野において試行錯誤しながら可能性のあるところへ進んで行くのが良いのではないでしょうか。

長谷暢二 


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農の可能性

>農家は企業に勝てるのでしょうか? 私も本気や熱意だけでは勝てないと思います。

商品市場の枠組みの中では、多角経営企業が勝つ事は当たり前と思います。ただ、逆に云うと企業が専業として経営するのには、限界が有ると思います。要は経営効率が悪く農業だけでは成立しないと言う事ではないでしょうか?多角経営企業は、母体の付加価値を上昇させる為に、自前で農場を保有したり農家を組織化してより効率を求めた生産体制を作り、既存農家を下請け化して窮地に押しやります。その市場環境では、最終的に価格競争になる訳ですから、単独農家の敗北は目に見えます。

農家の活路は、高品質の生産物を生み出す事は当然として、確かな販売力では無いか?と思います。商品市場に対しても輸入生産物に対しても、信認関係による販売網を作り出せは勝算は有ると思います。更に、馬場さんも指摘されているように農業を基軸にした派生産業での販売力では無いかと思います。 この販売網・販売力保有は、単独農家では非常に負担であって殆ど不可能だと思います。やはり必然的に農業従事者が集まって、組織体を形成してその組織力が不可欠だと思うんですね。ある地域でも良いし、農家のネットワークでも良いと思うのですが、統合された農家集団が出来れば、その組織力により市場経済関係を超えてしまえると思うのですね。

商品市場を越えた信認関係での販売網と農家集団の組織力(資本力・人材力・企画力等)で多角経営企業に対峙出来る事は可能な様に思います。農家の活路の一案とも思います。


松本幸二 

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農の可能性

馬場さんが言われる通り、(20017)農の可能性は沢山あると思います。
私自身、農にたずさわって本当に良かったなとも思っています。

しかし農「業」全体となるとしばらくは難しいのではないかなと思います。
個々で生き残ってゆく事は出来ると思います。ただ農家が加工や直売を考えなくても普通に育てた作物が普通に売れて普通に生活出来ていくのが本来の姿かもしれません。

まあ今の行き過ぎた市場経済主義のアンチテーゼとして色々なやり方やこだわりが出てきたのも確かだと思います。
何より、「農」イコール「食」である当たり前のことが育てる側にも食べる側にも意識(思い出す)されてきたのは良いことだと思います。

「生産者」「消費者」という言葉には「食」が感じられません。「知域」を通して、育てる側も食べる側も互いにプライドをもって意見を交換していく。それが必要かと思います。

「食」というものが核になれば、「農」そして「農業」の未来も可能性も充分あると思いますし、また都会対農村というような垣根もこえられるよう思います。

西田栄喜 


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課題の共有

都市と農村の係わりかたについて、田中さんの20055を拝見し、考えてみました。

都市と農村の間に、踏み込めない壁があるというのは、その通りだと思います。お互いおいしいところだけ取ろうとする、両者の「現実を直視しない幻想」が欺瞞を生み出しているのでしょう。

>立場を超えた課題を共有しない限り、何時までたっても互いの思いと行動は欺瞞が生む錯覚のままで終わってしまうのかもしれない。 (20055)

同感です。課題はもうあるのに、それが共有できていないところが、問題でしょう。 今ある『課題』は、都市も農村も関係なく、みんなに共通のものだという認識がどこにもないのだと思います。あるひとつの課題を共有しているのに、それを都市と農村と分断して考えてしまい、農の可能性を見えなくなくしている、そういう状況認識のせいだと思っています。それが、「現実を直視できていない」ところから生まれた欺瞞なのでしょう。

「立場を超えた課題の共有」というより、「同じ課題を共有していることに気づくこと」が必要なのだと思っています。


田中道世

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こだわりのない人こそ本物

>自省的、反動的な農への回帰を超えて、一歩踏み出す元気印の人達にエールを送りたいです。

結果、現在の市場でも勝負もできるし、さらには普通の人に農のすばらしさを実体験を通じた生きた言葉で伝えられ、新たな方向性を指し示すこともできる人材は少なからずということだと思います。<

 同感です。

反市場であるとか、現状の私権的、消費的である自分を否定して、農的生活であるべき姿を目指そうとか、何が何でも無農薬栽培、有機農法…、などなど、何かに対するアンチや自分自身の有り様に潔癖であったり、目的より手法にこだわって自分を縛ってしまう人には、農業に限らず可能性を感じられません。
 そんなこんなにこだわらずに、これは行けそうだ、可能性がありそうだと思えるものにすっと向かって行けて、しかも、その途中で、方向や手法を柔軟に修正できる人こそが本物という実感があります。そんな人とは話をしていても良い刺激になるし、活力が湧きます。
 農業もそんな人材に核になって活性化してもらう必要があると思います。


長谷暢二

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知域

私自身、バーテンダー、ホテルの支配人を経て、現在の農業(兼漬物 風来)をやっています。
そして今、脱サラ農家が増えている。またその志向が増えています。
この事自体が、今の日本の行き詰まった状態を表しているのではないでしょうか。

生き方として「農」を選ぶ人は自然と「無農薬栽培」「自然農」の道にいくよう思います。

ひと世代前(30年前ぐらい)の「無農薬栽培」農業の先駆者方は本当に大変だったと思います。「無農薬栽培」でも、なんて気軽な気持ちでは出来なかったと思います。まさに「生き方」「思想」を考えた上での「農」。その為に新井弘さん(19591)の言われるように世捨て人のようになったと思います。

そういった先駆者のおかげで今は「無農薬栽培」農業はやりやすいと思います。
しかし、「儲けたいから農業をやる訳ではない。」「食べ物を育てているのだから食うに困る事はない。」という考えだけでは現実の壁はかなりキツイよう思います。

私は耕作面積30aという自称「日本で一番小さい専業農家」です。
そんな私が思うのは、これからの「農」は野武士的(それぞれが独立して、何かあった時に団結する)農ではないかと思っています。

大型化や集団農では自然に対応するにはあまりにも動きがとれないよう思います。
そして大型化や集団では農の本質(食を扱っている)を失いやすいよう思います。

日本での「有機農業」(先述で有機農業と使わなかったのは今のJAS法における有機に疑問があるからです。)はひとつの農家が50軒ぐらいの方々に「野菜・米セット」を届けるところからはじまっています。
直接届ける事により、梱包問題、信頼性の問題もクリアされますし、また農家にとっても中間マージンがないという経済的メリットとともに「思い」も届けられるという事があります。

身土不二や地産地消は良い事だと思いますが、これまでの延長であれば意味がないものだと思います。
それより生産者、消費者というくくりでなく、一対一で付き合える関係が一番良いよう思います。互いの考えを伝えられる、反映される、それが理想ですね。

少し前まではそんな関係は「地域」の中だけだったのですが、ネットを使うことにより広がったと思います。「知域」を大切にする事により表の経済統計に現れないところがクローズアップされてくる。そうすると「農」に参加できる個人も増えてくるのではないでしょうか?

西田栄喜 

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可能性は見えます

市場経済の中で、儲からないとかといって農業の可能性に蓋をすることも無いのでは思いました。

やはり、農業者も技術者である前提に立てば、現状で経済価値の一歩抜けた作物を生産することに手をこまねいているようではどうにもならないように思います。(但し、消費者の目は大変厳しいです。容赦ない。)

そこで、農業の本源的位相とやらに着目して、それで善しとするのも技術の先端を走る努力した農業技術者に対しての眼が欠落しているような・・・。

安心、健康などの作物の評価軸を樹形図にして解析し、さらに結実物としての農産品を提供できる技術を兼ね備える。加えて、流通、販路に踏み込んで関係を再構築する動きは徐々にネットのHPでも見えてきました。

自省的、反動的な農への回帰を超えて、一歩踏み出す元気印の人達にエールを送りたいです。

結果、現在の市場でも勝負もできるし、さらには普通の人に農のすばらしさを実体験を通じた生きた言葉で伝えられ、新たな方向性を指し示すこともできる人材は少なからずということだと思います。

 


土井誠也

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情報というゴミも減らしたい。

私もごみの量の多さにはうんざりです。そしてふと思ったのですが、新聞広告も馬鹿になりません。私などほとんど見ないので、ごみが挟まってきているようなものです。

これは、100人に1人とか1000人に1人の購買者に情報を伝えるために、無駄な紙やインクを大量に使っている市場社会の宣伝手法の典型例です。こう考えると、新聞広告に限らず、およそ情報の大部分は、日の目を見ることなく闇に葬られているわけです。しかし、そのために膨大なエネルギーが消費されているのです。

それに比べ、口コミネットワークなどは、ある程度ターゲットが絞れて、効率が良いし、必要な情報しか伝えずしかも、人の信用で結ばれている。

これからは、こういう情報伝達のあり方が重要だななどと思った次第です。

星埜洋 

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農が市場経済を変えていく。

>6兆円の補助金とは、私も初めて知りましたが、国の食糧安保や国土の保全などの意義を明らかにすることが本来必要だったと思います。マスコミあたりから異論が出るのを恐れて、農水省はうやむやにしながらやってきたのだと思いますが、その路線は明らかに失敗だった。農民達の誇りが失われ、農地も、農村も荒廃してしまった。

 田村さんが仰っているように、補助金は、市場経済においては立場の弱い農業を支援するというお題目はあったと思います。しかし、そのほとんどが、圃場整備や機械、施設の購入、建設費、農産物の価格保証、所得補填など、ハードや金などかたちとしてわかりやすいものであって、農業や経済のシステムから変えていくという発想のものではなかったと思います。したがって、どんなに、圃場や施設が整備され、仮にサラリーマン並みの所得と労働時間が得られたとしても、市場経済というシステム、つまり、農という実質価値を評価しないシステムが温存される限り、憧れの職業として就農者が増え、農業が活性化することは、これまでなかったと思います。

 しかし、現在は、徐々にですが、農は、食糧というかたちのある実質価値だけでなく、精神的な基盤としての実質価値も再評価されはじめています。市場経済システムを根底から変革する尖兵としての役割を農が持ち始めているとも言えると思います。
 まずは、農は、各地域単位で、必ず誰かが担うことを期待されるものと言う意識にしていかなければならないと思います。都市については、物理的距離は離れますが、それを拡大適用していけば良いでしょう。

長谷暢二


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活性化要素の序列

「中心市街地の活性化」の要素についてですが、これらには序列があるのではないでしょうか。

まず、「活性化」のベースには「人と人との交流」があり、その土台があった上で「商業活動」などが活発化するのだと思います。
「商業活動」をウリに街興しなどをすることも可能でしょうが、それのみが基盤となっていると、景気が低迷し商業活動が衰退すると同時に街もまた衰退してしまいます。
基盤が「人と人との交流」であれば、商業活動が主体でそれが奮わなくなったときに、商業の再興にせよ方向転換にせよ、これからどうしていくかを考えること自体でまた活性化していく可能性が高いと思われます。

実際、私が関わったことのある街作り運動では、不景気で商店街が衰退し、若者は流出し高齢者の割合が増えていくという状況で、高層マンションを建てて若者が住むようにしようという動きもある一方で、高齢者が集って交流したり技能を身につけたりする場所を作っていこうという計画を練っていました。こうした発想を生み出せる人のつながりが活性化には不可欠でしょう。

もちろん定住化だけで街は活性化しないでしょうし、商業活動の活発化が中心市街地の活性化と無縁とは言い切れないでしょう。ただし、土台は「人と人との交流」で「商業活動の活発化」は一要素ととらえるべきだと思います。

 


西村秀彦


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農への誇り再考

2000年度の農業生産者向けの補助金総額は、6兆4560億円だそうです。そしてこれは、農家収入の64パーセントにも当たるようです。それを受け取る代わりに、自らが一生懸命育て上げてきた田んぼを青田刈りしたり、手入れを欠かさなかった田んぼを減反で放置する。そして田は荒れ、誇りも失う。

こんな状況下で、農家が自らの職業である「農」に誇りを持てるはずが無い。仕事に誇りがもてず、補助金を貪るような怠惰な農民になってしまう。仕事すら満足にさせてもらえないこの日本の農業。そりゃ離農者も続出するがな。若者はみんなそんな魅力のない農業、ひいては農村から幻想を抱いて都市に向かう。そして過疎化。若者が消えていった農村にはエネルギーも何もなくなり、残るのは荒れた田畑と、高齢者のみ。

まず、農への誇りを再生するためには、この悪しき補助金制度を一切利用しない事であると考える。そして自らの手で、ひとつずつ作物を育て上げ、そしてその作物からの収入で生活する。生活は厳しいかもしれない。しかし「農への誇り」を再生できる可能性はある。自らの職業を自信を持って「百姓」と答えられるようになると思う。

現在、国や農協に頼らない農家が、僅かですが徐々に生まれつつあります。彼らは、誇りを支えにし、目一杯仕事をできる充足感を知っているのだと思います。仕事は、金だけじゃないって言うことを潜在的に気づいているのだと思います。こんな所にもmsg18156で田村正道さんの言う「市場社会構造の組み換え」が見て取れます。

金よりやる気、その意識構造の変化が、農への誇りを再生させる為の必要条件になってくると考えます。

ゲン 

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表層観念を換骨奪胎の武器に

>危機と課題を捨象すれば、適応本能が充足や安定や調和に収束するのも必然である。その結果、ますます不全が増大し、しかも不全が増大すればするほどますます安定・調和・統合を求めて、形骸化した支配観念に表層収束することになる。

危機と課題を捨象して表層収束している最たるものは、中央省庁、都道府県、市町村自治体ではなかろうか。

例えば、都市と市場社会が引き起こしている精神破壊、環境破壊、市場縮小から経済破局に一番有効な手が打てる農水省はあいも変わらず農地の保全と食料の市場経済化・流通改善の施策を羅列している。

下降する食料自給率と衰退する農業人口を都市の労働力から補おうと新規就農補助制度を用意して就農を目指す人たちと実績のある農業法人、県市町村の就農窓口の見合いの場をファーマーズフェアと称して主要都市で行っている。

そこにあるのは、市場経済とバランスする農業経営の安定を至上命題に、取って付けたように都市の不全感を大雑把に捉え、自然を相手に汗と努力が成果に繋がる「やりがいと自己実現の仕事」と訴えかける。さらに募集側の応対は新規就農の手続きと農業収入、勤務条件を並べるだけ。

フェアに足を運ぶ応募側は、明らかに都市に対する本能不全から適応本能が生起して充足へ向かっている。しかし、農水省や自治体、実績のある農業法人もこのことには気が付いていないし関心もない。始めからミスマッチである。関心は就農人口を増やすくらい。資本の論理なしに農業の自立は出来ないと知っている。だから、わずかな新規就農補助を出す、わずかゆえ大概は失敗、しかし農地は大資本に飲み込まれずに残る。焼け石に水だが彼らの保身がそうさせる。

応募側は表層的な観念ではあるが本源収束派と社会収束派に分けられそうで、本源性を基盤にした社会派の若い応募者に出会い語り掛け、彼らの適応本能に解脱充足と可能を直感しえる課題共認が出きれば火が着きそうだ。

あとは農水省や自治体の施策を換骨奪胎にして本源的な集団を築きあげ、都市と繋ぐ充足と課題ネットで広げれれば農水も自治体も文句なしでは。


馬場康一郎

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あるラジオ番組から考えたネットと環境・農業問題の関わり方⇒未来・可能性

このサイトに参加させていただいてから、環境・農業問題について耳目がより敏感になる毎日となりました。
 さて先日ラジオの番組でインターネットを利用して一般消費者が「本マグロ」の直接買い付けが出きるようになったと聞きました。これは塩釜市の水産会社が始めた試みだそうですが、評判は上々だそうです。セリを経ず販売されるので価格も安く又水揚げ→消費者に要する日数も2日から1日へと半減しより新鮮な「本マグロ」が食べれる(冷凍宅配便を利用)⇒消費者側の利点、軌道に乗った時点で常時販売量が予測可能なので配下の漁船の水揚げ量はコントロール可能及び売上高が安定する⇒供給者側の利点という事なのです。但し消費者側は、手に採って商品を選べないという不利があり供給者側は、再購入してもらうためにより鮮度の良い品質の高い(尾の身の部分が白いのが判断基準だそうです。)「本マグロ」の量的確保が必須条件になるので不漁時は大変とのこと、又発送地域により関東地方であれば送る「本マグロ」と同量の氷、九州地方であればその2倍の量の氷を使用して荷造りするので経費・手間の面で大変との事でした。
 私はこの報道を聞いて以下の様に考えました。
①セリ市場に搬入することが省かれるのでその分のトラックの軽油の消費がなくヂーゼルエンジンの排ガスの発生が無い。
②物流が直売方式のため一段階今までより(ひょっとすると中間卸業者が多数介在すればその分だけ)流通経路が簡素化されるので余分な包装・荷造り材料が不要になりその分ゴミの減量になる。
③水揚げ即販売の量が増えれば貯蔵に廻す量が減り商品の保冷や品質保持に使われていた薬品や冷媒(NH3やLN2など)の消費が減りいろいろな面での安全性が増す。
④リピーターになれば互いに信頼関係が自然に発生し単なる売買関係を超えた何か?(具体的には今は判りませんが)遠く離れた地域の人々の交流が芽生えるのでは(勿論お互いの協力が必要ですが)。例えば宅配便の帰り便を利用して山間部なら山の幸(キノコとか)を搬送して地域の活性化の端緒にするとか・・・。
 同時にネットを利用した水産物やその他の生鮮食料品(主に農作物)の流通の迅速化・簡素化が環境・農業問題の改善・解決手段の一助に成り得ると確信した瞬間でもありました。



田中令三 

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都市と農村はそんなに遠くないのかも

都市と農村の距離を縮める。それは大事なことで、必要なことなんだと思いますが、実際どうしたらいいのでしょうか。例えば、私が今から農業を始めるなんてことは、不可能だし・・・。

でも、少し気持ちを切り換えて、野村さん・後藤さん・佐藤さんの仰る「贅沢」を感じようとすると、実は農村と私たちは全然遠くない存在だということに急に気がつくことができます。

そういう画期的な(!)気持ちを伝播し合って、都市部に広げて行ったら、それだけでかなりの変化でしょうね。それが、都市でもできること。都市部にいるからこそできることだと思いました。

そしたら、自然といろんな物理的なかたちでも、「結びつき」が現れてくるのかもしれません。(産直ネットワークが急速に広まる、など)


田中道世


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農への社会的期待

>社会構造的視点で、農にかけられる期待とそれに応えた結果とその評価の議論が必要でしょう。それが、社会的に共認されてこそ、農民が誇りを持つことができます。単なる自分発の誇り(プライド)や志と社会的期待に基付くものとでは、活力に段違いの差が生じることになると思います。(18098)

>農・食の「実質価値」は「生かされている感謝の充足」というところでしょうか?
…ネットでの新しい農の紹介や、スーパーでさえ商品に農家の紹介を付けたりしていることからみても、農の誇りは、市場社会の原理と順序を入れ替えて、「農業」への期待や感謝がすっきりつたわる事を「主」とし、お金のやり取りが「従(手続きのようなもの)」になるような関係から新しく立ちあがりはじめているように感じます。(18156)

市場の中で農作物が流通している現状においても、安全な食糧の供給や安定的な供給ということに対する期待が高まってきていると思います。狂牛病の問題は現在進行形ですが、ダイオキシンなどの科学物質が蓄積された食糧や輸入作物への薬物やワックスの塗布など従来から指摘されている問題も解消されておらず不安の種は尽きません。
21世紀は水さえもが戦略商品になるということのようですが、水が豊富だったはずの日本でも既に商品化される事態に至っており、水源を保全するためにも森林や農地を保全・再生することが必要なことは明らかです。(都市部への過剰人口集積が最大の問題ではありますが…)
社会的な期待といった観点で考えてみると、安全な食糧の安定的な供給、水源の保全・涵養といった、生存にとって不可欠な事柄がまず基本になると思います。そして、その上に、これまでの投稿の中にもあった、都市生活者の癒しや子どもたちの教育の場の提供などへの期待があるのだと思います。
田村さんが言われるように、お金だけを媒介にするのではなく、これらの期待が直接的に伝わり、互恵の関係として広く共認されるようなしかけが必要とされているのだと思います。


山田渉

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