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農村を活性化させる為には?

ヤクルトレディという販売戦略

>「信認関係に基づいた取引」のつくり方を話そう。
>の言い出しっぺとしていくつか提案したいと思います。

私もちょっと考えてみました。
ヤクルトの訪問販売ってありますよね。自動販売機とかスーパーでも売ってるけど、実際社内に売りに来てると買う気になるって人、多くないですか?

あれって、仕事中とはいえ、ちょっと息抜きタイムみたいで和んじゃったり、そこで交わす何気ない会話がお互いの距離を縮めたり、元気な売り子さんが場を明るくしてくれたり、高いものでもなく押し売りみたいにしつこくもないから、企業側もあんまり警戒心ないですよね~。

>「おはようございます。ヤクルトです。」朝のあいさつと笑顔と共に、手から手へとお届けしているヤクルトの乳製品。皆さまにおなじみのヤクルトスタッフによる宅配は、予防医学の普及を目的として生まれたヤクルト独自の販売方法です。ヤクルト商品は、生きた菌の働きでおなかを守る、健腸長寿のための食品です。この科学性に裏付けられたヤクルト商品の良さをお客さまに十分にお伝えするために、宅配方式が採用されました。また、ひとりひとりのお客さまや地域とのふれあいを通 して健康をお届けするため、ヤクルト独自のヤクルトスタッフによる宅配システムが生まれたのです。ヤクルトスタッフのシステムが誕生したのは、昭和38年。女性の社会進出の先駆けでした。(ヤクルト本社HPより)
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今から約40年も前から続く、この販売法。
ヤクルトすご~い!!

だから、野菜の行商といえば路上って感じだけど、企業に行商に行くのって意外といいような気がする。これなら今すぐ実行できるし。(屋上農園にもつながる…かナ?)
もしかして、私が聞いたことないだけで、けっこうあります?(知ってる人いたら教えて下さい)

それに、ヤクルトより野菜の方が需要は高いかも。
まず働いてる女の人にとっては、素直に有り難い。
でもそれより、「買って帰ってあげたら奥さん喜びますよ♪」なんて言ったら男の人でもけっこう買ってくれそうだと思って。スーパー行くのは抵抗あるだろうし、突然サービスするのも照れくさいかもしれないけど、“社内販売”で“有機野菜”売ってたっていうシチュエーションは、手土産の口実になるんじゃないかな~。

西知子

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実現派の若者に期待!!


> 農村集落を抱えた自治体指導層は、農村集落の再生の必要性とその方針について、実現派の若者達(都市の)に働きかけていく実践の中から自信を取り戻すことになるのではなかろうか。
 インターシップ事業や体験学習事業を可能性発の必要意識から事業化を進め、実現の実感を深めることから試みるのが良いと思います。<

社会統合ネットワークの会議室でも言われているように、パラダイム転換の先端にいるとも言える実現派の若者に、農村、農業活性化の中心的存在となってもらいたいという期待は大きいです。

 現在の農村は、わずかに残存する共同体性と、私権性が渾然一体となって、都市よりはむしろ、強く旧パラダイムにどっぷり浸かって、その転換なしにはどうにもならないというのが現状であると思います。

 そういう意味でも、実現派(特に都市)の若者への働きかけはキーとなると思います。 また、ここ10年くらい、農業分野で一定の成果を収めた人の多くは、他分野や都市からの転身組みであったことも既成の観念からの脱却がポイントであることを表しています。
 
 私が活動している農園でもインターンシップの研修生を何人も受け入れてきましたが、彼らのほとんどは、「農」に対する既成観念的な強い思い込みはなく、また、農業系専攻以外の学生が多く、具体的に「農」を目の前の就職先として捉えてはいません。女性の参加者も多いです。

 逆に、それだけに、「農」に対する既成観念にあまり囚われることなく、何が何でも農業というふうに固執するのではなく、本源収束の流れの中での1つの可能性先が「農」であると潜在的に感じているようです。
 多分、この会議室で提案されている出会い系農場なんかにも、肯定的に反応してくるのではないでしょうか。

 インターンシップの場合、短期間ですので、文字通り、農業技術を学んでもらうのが目的ではなくて、「農」の可能性を潜在的にしっかりと感じてもらうことだと思います。

 彼らは、今すぐ、即戦力として、農の現場で活躍してくれることにはならないでしょうが、「農」の可能性を生きた言葉として伝えていく重要な存在となってくれると思います。

長谷暢二 

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農業公園構想でなく、就農定住事業として捉えたら。

今、日本の農政はまさに不全感いっぱいで、不全発の課題意識から政策が取られているように見えます(政策推進に当たる諸氏には非礼ながら)。農業生産力の再生には農村集落の再生が不可欠であることまでは異存が無いところでしょう。 

例えば一例、ウルグアイラウンドの一環として、グリーンツーリズム事業や農業公園構想が実践されてきました、これでは不全発の課題意識でしかなく、従って旧パラダイムの構想と方法に止まります。だから全く上手くいっていません。つまり市場社会を肯定する旧観念に囚われる限り、都市住民の癒し欠乏の事業化にしか繋がりません。パラダイム転換に応えていない故に農業の衰弱やその社会基盤の崩壊が進む事態の改革には繋がりません。

しかし換骨奪胎の発想から、農村集落の活力再生を事業化する就農定住事業(都市に住む実現派の若者達を対象とする)として(農業公園構想を)捉えてみるなら、実現派の若者達はこの方針に対して充足基調の本源収束の潮流を汲み取ることができるように思います。 
都市や市場の住民とし生きることに不全感いっぱいの若者達の中には、彼らの潜在意識の中で既に可能性発の課題意識が息衝いていることに着目してみたら良いのだと思います。

つまり、>「潜在思念の可能性認識が明確な実現構造の認識に繋がる度に、潜在思念の可能性認識が強くなり、実現回路も太くなってゆく。(22202)」の四方氏の投稿が既に現実の局面で生命力を持ち始めているのです。
農村集落を抱えた自治体指導層は、農村集落の再生の必要性とその方針について、実現派の若者達(都市の)に働きかけていく実践の中から自信を取り戻すことになるのではなかろうか。
インターシップ事業や体験学習事業を可能性発の必要意識から事業化を進め、実現の実感を深めることから試みるのが良いと思います。

阿部紘

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信認関係の可能性

信認関係ができれば…という観点での可能性は皆さんが言われるとおりたくさんあると思います。
一方で、ではどうすればそれができるか?という問題を提起されている意見も出されていますが、極論すれば、可能性があれば自ずとそのような方向に向かって進んでいくのだろうと思いますがいかがでしょうか。その意味から、もっと豊かに信認関係の可能性を見出していくことが今は大事ではないかと考えています。

>罹りつけの医者や、行きつけの飲み屋があるように、身近に農家があればいいですね。(21705原田さん)
…いいですよね。信認関係は多いほどいいですよね。ほんとうにそう思います。

>生産者は自信を持って農業を営んでいくことができるでしょうし、更に付加価値の高い農業の在り方(農村学校や体験農業etc)の具体案も湧いてくると思います。 (21754浅野さん)
…需要側だけでなく生産側にもこのような可能性が膨らみますよね。

>そこには生産者と消費者の断絶を埋めてゆく「協業」の意識が育つはずで、本来の「価値」に応じた「価格」を設定することも可能であると思います。集団にとって本当に必要なものはなにかを、考えてゆく場も作られてゆくでしょう。 (21822宮下さん)
>お互いが信頼関係=顔の見える関係で結ばれていれば、その農産物に対して高くてもまずくても我慢する、という気持ちとは少し違う気持ちを抱くことになると思いますが、どうでしょうか。(21961佐藤さん)
…生産期待に応える真摯な活動に基づいて、このような関係ができていくのだと思います。

たぶん、生産者と消費者の間にあった隙間・断絶が解消されるようなやりとりがそこに介在するのだと思います。例えば、「今度は、こんなものがほしい…」というような要望に対して、「それは、こうしたらもっとよいのでは…」というような、様々なやりとりがあり、その中で「価格」も自ずと落着するでしょうし、そのネットワークの中で「今、何が大事なのか」というようなことも協議されるようになると思います。
ひとつの生産者に対して、複数の需要者が関係するわけですから、それだけでもネットワークになるわけですし、いろいろな生産物が必要だから複数の生産者が関係するもっと有機的なネットワークになると思います。

山田渉

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土地の近接性でない地域を意識できるか

>以前の投稿で、都市部での共通課題がわからないとの疑問を呈しましたが、「地域の現実(的需要)」と「地域の人々」が、どういう姿で結びつくのか?<

>都市化により地域という共同体を失い、また不況によって多くの人が職場を失おうとしている現在、「地域」とは共通項に成り得るのか? <

「地域」という範域をどう捉えるかによるのではないでしょうか。近隣では狭すぎるし、学校区でもまだ狭い。少なくとも複数の学校区にまたがる範域(例えば一つの市)を考えることが必要だと思います。企業からすれば、最低限生き残るための収益が期待できる範域(商圏)がなければならない。

このとき、近隣を出発点とする地域コミュニティと企業は直に結びつくとは考えにくいでしょう。しかし小さなコミュニティもより大きなコミュニティの一員であるとの意識を人々が持てば、「地域」は何がしかの共通項足り得るかもしれません。

1996年にNHKが実施した「全国県民意識調査」によると「自分の住む都道府県の人びとのものの考え方には、ほかの県の人びととは違った特徴がある」との問いに、そうだと答えた人は全体で44%、最高は沖縄の72%、最低は兵庫の22%で、県民気質有りとする割合が高かったのは沖縄・北海道・東北・日本海地域・高知・九州南部だそうです。

これらの地域は人口流出が流入を上回っていたため、他地域の価値観というか慣習というかそういったことに日常接する事が少なく、人は自分の住む「地域」を意識しやすいのでしょう。それ故、地元企業と人々が暗黙裡に結びつくと思われます。

これに対し、兵庫の神戸や東京・大阪などの大都市では、人口流入の超過により新住民と旧住民との間につながりがなく、「地域」と言っても単に土地の近接性としか意識されない。ともに生活する「地域」が意識されることは少なく、(地元)企業との結びつきは大変弱いと考えられます。

そこで冒頭に引用した、>「地域の現実(的需要)」と「地域の人々」が、どういう姿で結びつくのか?<なのですが、比較的小さな範域の地域で起こっている小規模ビジネスが連携することで企業化し、それにつれて人々も「地域」を意識しだすようになると考えられないでしょうか。

ごんべえ

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食(農業)を通じて安全・環境を考える②


しかし最近このサイトの参加者の方々の建設的な投稿から力を得ている自分を発見した。

食の問題は人間の生存の根幹に関わる物であり絶対に蔑ろに出来ないもの、自分達で再び蘇生させるんだという熱意に溢れる投稿に触れる度、自分の中の弱さを恥じた。そうだ自分に出来る事を捜すことが先決だと頭を切り替えた。

 例えば「自給率が下がれば自分達で作ればいいじゃないか」という意見を読ましていただいて同じノリで「安全と思える農作物を自分達で作ればいいじゃないか」と思うようになった。この「作る」という言葉には、この農作業に従事している農家の人々と交流し消費者として購入したり宣伝(口コミ・ネット)したり販路拡張に協力したりする事も含めれば今日から自分も生産者の一員になれる。最初は価格が割高かも知れないが、生産のコストと思えば納得、なにしろより安全な物に対する投資なのだから。(有機農法に関して)

 又直接生命に危険を及ぼす狂牛病の問題や輸入穀物飼料も問題はまず自分の目で頭で問題の核心を精査する、決して役人のロボット的対応しか出来ない政府やマスコミに踊らされない姿勢で、付け加えると一度そういう姿勢を体得できれば今後どんな問題にも臨機応変に対処出来ると思える⇒逆に言えば今まで人任せ過ぎた自分を反省する好機、そして自分で皆で行動すれば良いのだ。

 そして農薬・化学肥料の水資源の汚染問題や家畜のし尿問題については徒に箱物や道路を造るために費やされていた公共事業の予算を振り向けたり納得いく形での話合いを設け当事者やその自治体(当然付近住民の代表としての)で費用・労力の拠出で解決して行く。まずは取り組むのだ。

 どんな問題(状況が最悪なもの)でも現実を直視し、否定せず、逃げず、考え、行動する姿勢さえあれば、明日はきっと様々な環境・農業問題の「それ」を、「そこ」を突破出来る。サイトに参加することにより自分の中に新たな自分を見つけ出せた今日この頃である。サイトの皆の意見は私を前進させる力なのだ。

田中令三 

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必要なのは集団間ネットワーク


21407立石裕美さん、21471松本幸二さん、21741小山瑠璃さんの投稿を読んで、「農」を集団課題から社会課題に高めなければならないと思い込んでいた、考えを改めました。

立石さん
>農が社会課題か?どっちでもいいかも。

バッサリと斬られました。確かに、集団課題と社会課題の壁を自分でこしらえて、悩んでいたようです。特に、立石さんの<みんなが生き生きしてたらいいじゃない?>には、「何を悩んでいたんだ俺は…」と思わせる力強さを感じました。また何かあったら、バッサリと斬ってください。トホホ…

松本さん
>農の展望は、集団課題としての捉えて考えた方が、展望が開けるように思われて成りません。

非常に納得できる内容でした。 集権国家のエゴが「農」を社会課題にしてしまった事、そして社会課題として捉えたとたん、展望も見えず、現状の価値体系からも抜け出せないという事。なるほどと感じました。現在「信任関係」を基軸とした、市場を越える「農」のあり方をみなさん議論している中、「農」を社会課題ととらえることは、流れに逆行しているような気がしました。また、松本さんの言う<「農」だけが中心でない集団間のネットワーク化>には、大いに可能性を感じました。これからは、その視点でちょっと「農」を考えてみたいと思います。

小山さん
>「社会」っていう捉え方をした場合、自分の事としてはなかなか考えられなくって、どこか無責任になる傾向もあると思います。

そうですね。「社会」と捉える発想は、もう古いのかな~と感じました。それぞれが責任を持って「農」に携わり、しかし集団内だけの自己満足に終わらないよう、ネットワーク化していけば、「集団課題」のままそれぞれが責任を持って、様々な問題に立ち向かっていけるような気がします。

やはり必要なのは、信任関係に基づくネットワークか…
そのネットワークの輪をどれだけ大きく出来るか。そこに鍵があるような気がします。

ゲン

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信認関係について


>保護政策の枠組みに囚われず立ちあがっている農業の殆どは、匿名多数の市場を避け「生産者が価格設定できている」ようです。そしてこれができる基盤が信認関係といえるでしょう。(21545 田村さん)

価格設定と信認関係との関連ということは、言われてみればその通りだなと思いました。
それで、信認関係というものに少しこだわってみたいと思います。
たぶん、食糧を欲する側から生産側への生産期待がまずあり、その期待に対する応望として生産側での活動がある。市場が介在しなければその関係はほぼ決まっているから、双方で合意できるレベルで価値決め(価格設定)がなされるということでしょうか。私たちは、市場で価格が決められるということがあたりまえのように思い込んでしまっているので、それと違う方法による価格決めの手段は国家による統制ぐらいしか思い浮かばないけれど、実はもっと違った方法があるのだと思います。
そのように考えると、生産側で価格設定できるという方法からさらに進んで、双方で合意して決めるという方法もあり得るのではと思います。例えば、生産に要した原価が明らかにされ、生産者の側から最低限必要な価格を示す。それに対して購入側が最低限価格より上のレベルで自主的に支払う。ついでに、要望もあわせて出す。信認関係があれば、そのようなやり方でもうまくゆくようにも思います。支払いの対価もお金だけでなく、援農のような活動や生産側から出される要望への対応も含めるという拡がりを持たせることもできそうです。
…継続して考えてみたいと思います。

山田渉

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保護政策の限界から新しい枠組みへ


農業の保護政策が活力を削いでいる事へ問題指摘は同感です。

しかし、市場に全てを委ねず保護してきた政策を評価できる面も否定できません。「保護政策」とは、米の買取価格の維持、農家への低利の貸し付け、治水や道路整備、関税または輸入制限による価格の維持等の全てを指すと思われますが、これらによって農村社会の急激な崩壊がふせがれた事は、一定評価できるはずです。

しかし大局的にみると、農家・農地の減少、グローバルな市場社会へ組み込まれるスピードを遅らせた事にしかなっていない。いわば旧農業体制の延命措置政策といえます。そしてこの枠組みのなかの農業が、活力の沸かない「囲いこまれ飼いならされた」状態にあります。

しかし今、その囲いに囚われない農業が立ちあがっています。補助金に違和感をもって独自の生産スタイルを摸索されている。そこには、市場社会を超える活力の可能性を感じるのです。

保護政策はもう古いと言う事では?

「保護」とは違う何らかの形?

保護政策といってもその原資は税金であり、私達が納めたものです。
しかし国家に任せると古い枠組みでしか使われない事が問題です。

浅野さんは
>信認関係を基軸にした農業のあり方
と書かれていますが、税金や国家と違った「信認関係」とは?

「価格の設定」が重要ではないでしょうか?

市場の中では、農産物の価格は主に、匿名多数の消費者が買うか買わないかで決まっています。

保護政策の枠組みに囚われず立ちあがっている農業の殆どは、匿名多数の市場を避け「生産者が価格設定できている」ようです。そしてこれができる基盤が信認関係といえるでしょう。「らでぃしゅぼーや」「一部の生協」「ポラン」「源さん」「魚沼コシヒカリ?」などなど、共通した仕組みがあるように思います。
この市場を超えた価格設定の農業が数%にでもなれば、効果に低い税金のムダ使いをやめさせることも可能になるはずです。

田村正道 

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農は、集団課題と考えた方が展望が開ける。

農を社会的課題として考える様に成ったのは、集権的国家が成立したからでは無いでしょうか?武力国家体制に措いてのその支配者、兵隊、そして商人等、農業に直接的に変わらず国家内にいる人の食糧を農村が支えていた。工業生産時代も同様に、役人や資本支配層、工場労働者層の食糧は農村より供給される。社会的構成層が農業従事者(農村)と非農業従事者(都市)の分業の結果、非農業従事者の食確保の為には、農は社会課題でなければ成らなかったのだと思います。
この社会課題とは、どのような内容を持っているのか?と思いますに、結局はその私権支配体制を維持し且つ工業生産体制の維持を最重要課題とするから、農業は社会問題な訳ですね。その様に考えると、社会課題と捉える限りは、農での展望は見えて来ないばかりか現状の価値体系からも抜け出す事も出来ないと思うのですね。

現在の国は肥大過ぎて、信認関係など生まれる土壌など有りません。親和的関係力の中で信認関係が出来るとするなら、やはり集団課題(単一集団ではないですよ。ネットワーク集団を意味しています。)として農を捉えるべきでは無いかと思います。そして、その集団間を更にネットワークで繋げは、社会統合は可能だと思います。集団内に農を含める事で、自給自足の基盤も出来る訳で、自給率も集団内で制御も可能で有って異常事態の解決策でも在ります。すれば、非農業従事者の農に対する問題意識も身近になり、色々な提案が出し易くなるし対応策も共認により実施が容易であると思います。それ以上に、農業従事者の方の目標も明確に成り、生産活性度は上昇するのでは無いかと思うのです。

農の展望は、集団課題としての捉えて考えた方が、展望が開けるように思われて成りません。

松本幸二

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