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農村を活性化させる為には?

食べる側の権利

このところ「安ければ、それでいいのか!?」(コモンズ出版)「あぶない野菜」(めこん出版)をたて続きに読みました。どちらもグローバル化、とりわけ輸入食糧について書いてあるのですが、現代の怪談話だな~と恐ろしくなりました。そしてまた同時に今、自分のしている「農」に対して自信が持ててきました。

「安全」「環境」「関わり」がこれから不可欠になってくるのではないでしょうか?これは「安全」=無農薬、「環境」=化石エネルギーを使わない、「関わり」=直売と、直結的なこれ以外許しませんというものではありません。しかしこの3点を目指すか目指さないかによって大きく違ってくると思います。

農業が工業や衣料と違うのは人が直接口に入れるものを育てているということです。そして先進国と呼ばれている国で日本ほど食べる側の人権が蹂躙されている国もないと思います。

農業が「業」である以上、食べてくれる人がいないことには成り立ちません。そして前述した通り、直接口に入れるものである以上、農家だけの考え方では成り立っていかないよう思います。

人は基本的に保守的だと思います。とりわけ農業がそうだと思います。同じ農業仲間が「安全」「環境」「関わり」を話してもなかなか変わりません。なぜならそれを受け入れる事は今までのやり方が間違っていたと認める事だからです。

しかし生き残りをかけている今だからこそ、食べている側の意見を受け入れる必要は出てきたよう思います。もちろんその方法は双方向である必要はあると思います。

そう考えるとこの会議室で話されている事は非常に有効だと思います。「机上の空論」などと卑下する必要もないと思います。これまで農業というと「食」そのものを介在して成り立っているという考え方でした。

しかしこの会議室で「屋上農園」「観交農園」など農業の新しい可能性を気付かせてもらいました。

ある人が「買い物は投票である」と言ってました。この言葉には色々な意味もあると思いますが、農家だけでなく買う人、食べる人もその意識が必要かと思います。またそこには正しい情報が不可欠かとも思います。


西田栄喜


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実態としても成立する可能性へ

建設的な意見であっても、実践の立場からすると違和感を感じる事はよくありますね。「理想としては有り得るかも知れないが、現場をわかってない」という感覚でしょうか?

現場のプライドという見方もできますが、「実際の農業を分かっていない」という指摘であれば、建設的な可能性のある意見であっても現場の問題を捨象した部分がかなり多く、従って両者の協働の場が成立しないという問題ではなかったかと感じます。

可能性を感じる意見として成立していくには、直観的な可能性に加えて、現場の「壁」の部分を問い直して統合・再編してていく必要があるのではないでしょうか?


田村正道

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できる?できない?

>したがって、農の現実に苦心している方々はその壁が一つでも飛ばされた意見に理想論という感覚が生じる。そこがまた、協働のネックとも認識される方もいる。

「現場」の立場から、机上の意見に対し「それは理想論」であるとか「現場をしらない」という感覚が生じる構造がありますね。

土井さんも指摘されているように、「ワイワイと語る」というような部分、更に言うと、いいなあ!とか可能性がある!とかいう「プラス」と「マイナスの壁」を解け合わせて再編成する事が「理想論」で終わらせない為に是非必要だと思います。

以前、この会議室で「皆農論という考え方がある。」と提起された事がありましたが、これなど言わば殆ど空想論であるにもかかわらず、私はかなりショックを受けました。なんとすっきりした考え方だろうと思い、以来、農業生産者と消費者という見方だけでなく、本来は皆農であって、役割分担があるという認識も持ち合わせるようになりました。

農村は遠いし、株式会社では農地を持てません。認識が改まったところで「壁」がなくなる訳ではありませんが、しかし、その壁の大半が私権社会の遺物である事は解ります。
先日知りましたが、株式会社が農地を持てない法律は私権体質の企業から農業を守るために制定されたそうです。じゃあ、共同体体質の企業達が農業をやるのであれば、「壁」にみえる法制もその趣旨を考えると壁ではない可能性がある。

できる?できない?なぜ?と「わいわい話る」に賛成でです。



田村正道

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農業には、商品市場に馴染まない特性がある。

産業とか職として農が成立するか?との設問自体に、濃厚に商品市場経済の枠組みの思考が残っている様に思いました。農を産業として考えなくても良いし、農で充足を得る生産者で有れば良いと思います。今後は、農業以外の仕事も同じ思考が進んで行く様に思います。

農業をどの様な生産か?と考えると、量的観点からは消費する人間の胃袋(腹八分目かな?)に規定されます。豊作だと過剰になり暴落し農家は窮地、不作だと高騰するが売るモノが少ないだから農家・消費者共々窮地(但し、消費者は輸入品で急場を凌ぐ事は出来ます)。農家は、豊作でも不作でも商品市場では救いが無いのです。質的観点(新鮮とか美味いとか)からは、土地と手間の掛け方によって規定されるのではないでしょうか?そうすると、省力大量生産(例えば化学農法ですね)だと質が落ちるし、安全思考の口の肥えた人の中では競争力で負けていくだろうと思います。高品質少量生産だと競争力では勝るけれども販売量はしれています。

そう見てくると、農業は適正量の生産をして成立するモノだと思うんですね。適正量しか生産できない農業は、市場経済には馴染まないのです。そして年に一度、乃至は数度の収穫しか出来ない農業の生産は非常に難しいし、だからこそ不特定・理不尽な要求をする購買者を満足させる生産体制を組むのは困難な事だと思います。この様な生産を「生活の基盤は市場生産ルート」と考えるからおかしいではないでしょうか?
「農業が変わらないといけない」と思ったのは、農業が商品市場から離脱して、信認関係で結ばれた産直販売を主流に変えて行く所に「生活の基盤」が有ると思うからです。その方向が、農業の価値を高める事になるし、皆が農業を身近に出来ると思うからです。

そして、人的広がりの有る農業が、
「もの・お金より人間関係・親和充足を求めるところに彼らの特質がある」
そう云う彼らを引き付ける場と成るのでは無いでしょうか?



松本幸二

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若者の収束先

>若い世代の意識を敏感に感じ取り、「農村」に出来る事は、やはり受け入れ態勢を整える事ではないでしょうか。既存のどちらかというと閉鎖的な「農村」には、彼らは反応してこないと思う。彼らが反応するのは、あくまでも、可能性を模索している人達が作り上げている「農」ではないだろうか?

私も同様に思います。
今、農業就業人口の総数が減少する中で、新規学卒、離職を含めた新規就農者は増加しています。就農ガイドセンターへの就農相談件数も大幅に増え、農への関心も目に見えて高まってきました。
それに比べて農村の受け入れ態勢は、実態上まだまだと言わざるを得ません。個々の農家が、生活と田圃の維持で手一杯というのがほとんどだと思います。

そんな中で、徐々にですが地域活性化や新規参入者受け入れに向けての取り組みも見られるようになりました。その核となっているのは、農家よりも他業種の経験者が中心である事が多いようです。元々自足的な暮らしを続けてきた農村では、その共同体的な地域を越えて広い視野と方法論を持ち合わせることが難しかったのでしょう。また、自ら販売といった、外向きに発信、交信する機会がなかったことも原因だと思います。

自治体の対応もまちまちで、積極的に力を入れている所と、まだまだ保守的、消極的な所とがあるようです。法人や傑出した個人が核になるなど、いくつかのケースが考えられますが、いずれにしろ、農への機運の高まりを敏感に感じ取り、その先を切り拓いてゆく活力のあるところに、若者は集まってくるのではないでしょうか。

馬場真一 


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自己実現は、実は安心できる居場所探しでは?

「グリーン・ツーリズム」に関するご意見参考になりましたが、少し違和感も持ちました。 

 グリーン・ツーリズムは、ここ数年、日本でもよく耳にするようになりましたが、企画としては、なかなか苦戦を強いられているようですね。それは、まだまだ、仰るように、観光、レジャーの域を抜け出していないことが最大の原因と思います。

 >異質な文化や空間への興味は、旅の原点であり、その過程での個性的な体験を通した、「誰にも出来ない、自分だけの」の時間を楽しむことこそが、ツーリズムの限りない魅力であろう。
「個性的な自己実現」これを農村の場で、どのように創造できるのか。
 …… <

 若者の間で、自己実現、自分探しと称して旅をしたり、いろんなことにチャレンジしたりといったことが盛んで、農業体験もその1つです。しかし、それらは、唯一私だけがといったような個人主義的な色彩は薄らいで、潜在的には、自分が期待され役割があり、人に期待し、応え、応えられて受け入れられて安心して居れる、充足できる居場所を探しているのではないでしょうか。結局、自分だけの空間、時間に収束しても充足感は、それほど大きくないですから。
 そんな居場所づくりは、都市でも可能なことでしょうが、脱市場の流れの中では、農という舞台がもっとも実現しやすいところでしょう。
 それを念頭においた企画をしていけば、都市と農村の対等な関係とか、交流、ひいては、ツーリズムという概念から脱皮して、農村を活性化していける、人を惹きつけていけることになるのではないでしょうか。
 

長谷暢二


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情報の難しさ

世の中はどんどん便利になっています。
したがって、無洗米は時代の流れの沿った商品だと思います。
しかし、問題も多いようです。

無洗米には、洗わなくても良い、といこと以外にも良いところがあるそうです。
その第1は、環境に良い、とされている点です。

「全国無洗米協会」のHP では

「とぎ汁は環境汚染の最大原因」とありました。本当でしょうか?

このHPによると
   ● 河川のヘドロ、赤潮の原因
     東京湾の汚染の原因の70%は家庭排水です。
   工場など産業系の排水は20%にすぎません。

   家庭排水の内で、最大のものはとぎ汁です。
   とぎ汁にはリンやチッソなどの栄養素が多く含まれています。

   台所排水の中でもっともウェートが高いお米のとぎ汁は
   BOD物質(有機物)が約44%、チッソは約67%、
   そして、汚染力の最も強いリンは約96%も占めています。

   これらの汚染物は通常の下水処理施設では処理しきれず、
   水道水の嫌な臭いや、赤潮、アオコなどの
   発生原因になってしまうのです。

これによると東京湾の汚染は、とぎ汁が原因だったようです。
では、本当にとぎ汁が東京湾の水質汚染の原因なのでしょうか?

(1) 家庭排水と台所排水
上記の引用では、この2つの言葉が出てきています。
どこが違うんでしょうか?
家庭排水とは、家庭から出る排水すべてを指しています。
台所排水とは、家庭から出る排水の内、台所から出る排水のことです。

では、とぎ汁はどの程度なのでしょうか?
富栄養化の原因となる窒素とリンは一日どれだけ排出されるのでしょうか?

H11年日本下水道協会データによると
一日1人あたり、窒素=11g、リン=1.3gだそうです。
その内、屎尿が原因である量は、窒素=9g、リン=0.9gです。
つまり、ほとんどが屎尿が原因だそうです。

とぎ汁が原因だったはずなのに、おかしいです。
無洗米協会のお話とは違います。
協会の文章を良く読むと、
途中から、家庭排水(屎尿含む)が最大の原因としながらも、
とぎ汁のウェートは、台所排水に占める割合を例に出しています。

数字のマジックです。
したがって、協会は、
>家庭排水の内で、最大のものはとぎ汁です
と言っていますが、正確には、
「台所排水の内で、最大のものはとぎ汁です」
ということになります。

全国無洗米協会のHPには、ウソがあるということです。

しかし、とぎ汁だけでも減らせれば、環境には少しはやさしい、
というのはそうかもしれません。

ところが、全国無洗米協会の方式である、BGというのは灯油を使います。
タンクローリーが無洗米装置に給油しているそうです。
なぜかは、わかりません。
無洗米装置は、なぜかしら非公開のブラックボックスとなっているからです。
BGは灯油をたきますから、二酸化炭素を大量に出します。

つまり、無洗米は
(1)水質汚染の内、生物的な汚染。つまり微生物を増加させる要因である窒素やリンの排出を少しは抑制できる。
(2)しかし、その一方で、二酸化炭素を排出し、地球の温暖化を促進している、ということが言えます。

結論は、無洗米は、水質にはやさしい、温暖化にはやさしくない。
したがって、環境に良いとは必ずしも言えない。となります。

情報って本当に難しいですね。

そして私自身の思いとしては、そういった大型機械を使わないと出来ないものは好ましくありません。農家と食べる側がどんどん遠くなるからです。 西田栄喜

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若者発の新しい「農」

ここ数年、新しく農に取り組みはじめる若者を見る機会が増えています。

これまで農を担ってきた農村、農家は生活の為といった色彩が強く、市場に取り込まれながら衰退に甘んじる事が多いようですし、あるいは新天地を求めて農をはじめた人たちも、反近代、反市場といったものが動機付けの多くを占めていたようです。

ところが、ここ最近農に興味を示す若者達を見ていると、農や自然に親しむことそのものに、とても素直に向かっているように思います。作物を作り育てることが楽しいし、疑問が出てきたらいろいろと調べることにも熱心です。栽培という領域ではまだまだ試行錯誤し、工夫することが常ですし、仲間と集まって知恵を絞る事も自然に出来ています。
彼らには近代や市場に対する「反」の影は無く、ケータイもコンビニも当たり前のように身近に置きながら、農に取り組んでいます。引き売りや販売の場面でも、ちょっと後押ししてあげればあまり抵抗は無いようです。どちらかといえば、売りつける感のあったこれまでと違い、押しつけずに好感が持てるのではないかとさえ思います。

これらは豊かさ実現後の農の姿なのかもしれないと思っています。実際にはその周辺に、未だ収入基盤(=販路と価格など)といった問題が残ってはいますが、今まで実現が難しかった事も、彼らには出来るのではないか、それだけ魅力ある存在になっているのではないかと思って見ています。

馬場真一

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女に見える、市場社会と別の可能性

農業の可能性を追求するなら「女」は、最大の根底的なテーマだと思います。(と思いつつ、これまでは議論を避けていたようですが・・・)

現代、どちらかというと倒錯観念にがんじがらめで可能性感度の低いのは男の方で、女は可能性を直に感じて伸び伸びとしている感があります。
たとえばリストラで行き詰まった男達の自殺者は急増していますが、女の方は圧倒的に少ない。女は、市場社会が行き詰まっても「心中」なんてしない。「市場社会とは別の可能性」に目が向いている証拠ともいえます。


では「女」はどこに向かっているのか?(ちょっと思いつきですが)
●おしゃべり?:元気のない男との話しより女同士のおしゃべりはとても元気がいい。活性化した集まりが大好きですね。
●安心・信頼できる仲間?:互いに相手の話しを聴いたり、励ましたり、心置きなく話せる友達が大切。
●応望、役割?:ここに「いい男」が嵌ればいいのですが現状はなかなかそんな男は見当たりません。でも「自分にできる事」「なにかの役に立つ事」の喜びは実感するのだと思います。
●美味しいたべもの?:これは外せないようです。
●安心の子育て?:周りの期待と環境さえ整えばという感じでしょうか?


こうしてみると、提起されている「人の集う農場」や「レディースファーム」や「出会い農場」「パーティー農場」「子育て農場」がぴったりくるのもわかる気がします。作物をやり取りしながらおしゃべりを通じて信認関係をつくるのも女はぴったりきます。

現在の大量失業や雇用の現象は、むしろ「追い風」。農には市場社会にこだわらない、伸び伸びとした女達があつまり始める期待がもてますね。

田村正道 

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認証はブランド化しない、信用と安全と公開の意思表示で充分。

認証マークは、単なる信用価値・安全価値を越えて、ブランド化(幻想価値化)することがある。認証が生産者自らのものではなく、認証団体という生産者から切り離された主体であれば、生産者の主体性が失われることもある。

 市場経済を前提とするから、ブランド化(幻想価値化)が重要な戦略となる。しかし、今問題とされているのは、生産者と消費者の分断である。その分断を解消する信認ネットワークの構築(関係性の強化)が大きな課題である。これが総意となれば、認証は大きな問題とはならないはずである。最終的には必要ないかもしれない。

> 根本的には、やっぱ農作物の認証は農家にやってほしいから。
> そこで、農作物の認証は、農家が自分達の手でやる。そうすれば、認証料金を出した所で、自分達の集団から出て行かない。

(第三者がやらなければ認証にはならない・・・。しかし、第三者に任せても、その認証がまた問題になる・・・消費者自らが認証できる形に・・・)

 生産者と消費者を直接繋ぐことに寄与するような表示、例えば、生産地や生産者氏名・顔写真を添えれば「信用性」は確保できる。また、有機か減農薬かというような差異がはっきり分からなくても、生産方針をホームページ等に明記していれば、「安全性」は確保できる。もちろん、これらの明記だけでは不充分で、それらをご自分で現地で確認してもいいですよという「公開性」があれば、第三者の認証に値する信認の裏付けとなる。

 認証は、農産物が市場という暗闇を経由し、匿名化するから必要となる。有機農産物の認証も、市場を経由する限り、ブランド化(幻想価値化)に過ぎない。(以前、新しい統合NW板で議論された匿名性の問題が参考になる)

福田尚正

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生産物ではなく生産者や地域を売る。

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認証制度について

>この制度を作り運用するためには、新たなる信頼の置ける集団=団体を我々自らが作る必要性があると思います。

現在形で実現しているものとして、京滋有機農業研究会(農業者がつくる有機農業の勉強会)などがあり、独自の認証をしています。
→前の投稿で挙げたレインボープランも、プラン独自の認証制度があり。

>日本にもJASがあり、(略)、問題を多々孕んでいる

JASに限らず、認証の問題点として取得費用の大きさがあります。
零細農家はもちろん、大抵の農家にとっては大きな負担。
認証制度が広まると、認証をとっていない農家の信用が相対的に下がる。
本当はきちんと作っているのに評価されない農家ができることになる。
→きちんとしている所ほど、認証を取らない(取れない)とも聞きます。

いくら信頼のおける、また誤解がすくない名称の認証であっても、そこをクリアしないとなんか変。

ただ、認証は現実問題としてあれば便利なもの。
そこで、農作物の認証は、農家が自分達の手でやる。
そうすれば、認証料金を出した所で、自分達の集団から出て行かない。
要は、農家が認証という仕事を半専任するということ。

ポイントは「自分」じゃなく、「自分達」でやる点。
変な事をしたらグループ全体の信用がなくなるから、互いの目も光る。
あと根本的には、やっぱ農作物の認証は農家にやってほしいから。
餅は餅屋。

佐々木健二 

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いい女をどれだけ集めることができるかにかかっている。

>「人の集う農場」はいいですね。そして、人を集わせる為には、女性の参加が不可欠です。
……
現在、農業インターンシップでも、男性より女性の希望者の方が多いのです。要は受入側の問題だと思います。 <


これからの農業と農村を考える上で女性はキーポイントになると思います。
農業インターンシップの希望者は女性の方が多い、つまり関心が高いというのは、それだけ、潜在的に旧私権観念に囚われていない、あるいは、そこに可能性を感じていない、性市場の男女関係(駆け引きetc)なんかつまらないと感じている層が女性の方が多いということではないでしょうか。

また、一方で、農業というものの特質を考えても、組織統合的なところと一部の力仕事以外は、女性で全て担えると言っても良いと思います。ちょっと大げさに言えば、男は経営者人材以外は、ほとんど必要ない。
また、現在、大半を占める兼業農家の実作業の多くも女手で支えられています。

さらに付け加えると、いい女が居ることが男にとっての大きな吸引力、活力原の1つである。

等々考えると経営体としての統括をする人材(男)が居て、あとは、女性達が具体的な企画を自分達で出し合って進めて行くようなレディースファームがあっても面白いと思います。女性が安心して活動できる場です。女性の口コミネットワーク力は侮れないものがあるので呼び水になるかも知れません。
別に専業でやる必要もないし、たまに参加するという程度でも良いと思います。

長谷暢二

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どう描くかにかかっている

農業のみならず様々な産業や業界でも見られるものなのかもしれませんが、「農家は農協職員の給料を払うために働いているのと同じ」という一面、つまり、実際30年前と比べて農家戸数は半減しているにもかかわらず、総合農協の職員数はほとんど変わらないという、頭でっかち構造は問題としてあるんじゃないかと思います。農協は協同組合としての原点に返る必要があるとも思いますが、原点回帰もパラダイム転換を踏まえた原点指向型の帰を目指して生き残りを賭けることになるのではないだろうか?。

土井誠也 

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