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農村を活性化させる為には?

実家周辺の雰囲気から

>従って、もっとも大きな期待は、借地料を高く設定することや、従来の熱心な農家並に非常に行き届いた管理を徹底することでもなく、それほど充足感の得られない親和にだらだらとつき合うことでもない。<

私の実家は、大きい町でもなく、かといって、村落共同体の色が残っているほど、人口が少なくて、小さい「村」でもありません。でも、昔から、年に何回かは地域のお祭りがあり、大人も子どもも参加します。今でもそれを継続していますし、お正月の元旦も、早朝から地域の「組合」で新年会を行い、挨拶を交わします。男の人たちは、「無尽」(相互扶助の金融システム?)を続けて、毎月飲み会を開いています。地域の交流が、まだ続いているのです。 でも、誰も、本当にそこから充足を得ているようには見えていません。「参加しないといけないから・・・」「ずっと続いていることだから・・・」「協力しないと村八分になるから・・・」そんな後ろ向きの理由からの参加がほとんどだと思っていました。

でもそうなってしまったのは、みんな共有できる課題がなくなっていたんですね。
昔は、10軒あるうちの「組合」も、私の家以外はみんな農家でした。
子どもの頃、おじさんたちが楽しそうに集まっては飲んでいたのを憶えています。
でも、最近では1軒以外みな、田んぼや畑をアパートや駐車場にしてしまい、農業はやっていないようです。

お金が定期的に入る地主になったおじさんたちが、最近元気をなくしたと思ったのは、歳のせいだと今まで思っていたんですが、やっぱり、「課題」、特に、「みんなで共有できる課題」を失った、というのが一番大きかったのかも知れません。

今、みんなで寄り合っても、そう充足が得られるわけでもない。でも、みんな集ってお酒を飲みたがっている。これからどう進んでいったらいいか分からずに、だらだらと昔ながらの関係を続けている、といった感じです。

>何か協働できる課題が欲しい、みんなで面白いことをしたいという意識が顕在、潜在は人によってちがうにしろ確実にあります。 <

そうですね、今でもみんなで集うのは、やっぱり地域の仲間で協働できる課題が欲しいという思いが潜在的にあるのでしょう。

>協働できる課題を出して、企画立案し、先頭に立って旗を振って実現していくこと、さらに進んでいけば、今までの歴史の積み重ねの上に新たなコミュニティー、規範をつくり上げていくことだと思います。 <

この言葉に、大きな期待を抱きました。若い人は(私もその一人ですが)家から出て行ってしまいつつある今、地元以外の人であっても、リーダーシップをとる人に反感を買う人はもう少ないのかも知れません。ひと昔前は、「よそ者」による企画立案の実現なんて不可能って感じもしましたが、今はそんな気をさせません。新たなコミュニティー、新たな規範が共認されてゆけばいいんですね。

そこへ連れていってくれそうなのは、やはり「農」が可能性大きいなあと思います。



田中道世


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市場からの脱却~コミュニティー再生の視点から

「脱市場」を考えるときに、あらためて「市場は単なるツールである」24267雪竹氏)について考えさせられます。

厳選○サイトに「九州のムラ」というサイトが紹介されています。同名の雑誌出版社によるサイトで、バックナンバーを取り寄せて読み始めたところですが、とても興味深い記事があったので紹介します。


関サバで有名な大分県佐賀関町は、漁業の他に銅精錬では全国の3割の生産量を占める町。その中で木佐上地区は農業を基盤としているが、地盤沈下は著しく農業離れが進み、一時は自治会活動もままならないという状況まで追いつめられた。そんな中で住民の危機意識が拡大、昭和50年頃のことです。

それからは、区の運営委員会が対策を協議したり、町や農協や県庁と何度も懇談会を重ねたり、自治会グループでの話し合いを重ねたりと、さまざまな問題解決の道を模索した結果、「地域づくりは、区長や運営委員の人たちだけでなく住んでいる住民一人ひとりが自らの手でやらなければできない」という結論に至った。この間に12年もの年月を要している。

その後、5自治区を9ブロックに分け各ブロック毎に毎晩話し合いを持ち、昭和63年には「みんなの活動、みんなが主役」をキャッチフレーズに「木佐上コミュニティー」が誕生。産業観光・福祉環境・スポーツ健康・教育文化の4部会が設置された。

特筆すべきは、地域住民約1100人が全員どこかの部会に参加する方式を採ったこと。最初は“きつい”と言ってた住民もやがて“楽しい”と変化し、運営すら困難になっていた農業生産や自治活動、スポーツ大会や盆踊り大会などの地域行事が復活し、その他様々な行事が行われるようになり、地域はみごとに息を吹き返した。

さらにユニークなのは、こうして地域コミュニティーができた現在、施設整備面が遅れていたこともあり、親水公園の整備・農道や用排水路の整備・多目的ホールや農産加工所の建設など、ハード面の地域づくりを行政に頼らず自分たちの手で総合開発計画としてまとめあげていること。まずハード面を整備するというありがちな村おこし、地域活性化とは全く異なります。



衛藤信義 

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実現基盤に裏打ちされた持続発展可能性が問われる。

>そんなことを考えているとき、荒廃しそうな農地に対する問題意識は誰がどんなかたちで持つのか?ということが疑問として浮かんできました。その部落なりの共通課題として皆が認識するものなら話は早いと思いますが、個々の農家の個別の課題であるとすると、進め方に工夫を要することになりそうな気がします。<

 荒廃しそうな農地に対する問題意識は、切実には個々の農家が自分の問題として、漠然としては、地域の問題として捉えているように感じます。

 私が住んでいる地域では、この問題に対して、地域の共通課題としてなんとかしようという具体的で実現的な動きや機運は今まで残念ながらなかったようです。
 そんなところでは、新しく来た者が、いきなり地域の共認を得てまとめて行けるということはないですから、取っ掛かりとしては、農家の個別の課題、期待に応えるところから実績を積んで、一定の信用を得たところで、協働課題を積極的に提示していくという方法が現実的でしょう。
 
 その際、地域の人たちがどこを見ているかと言えば、発言する言葉そのものではなく、担い手として地域に定着し(個人でなくても組織としてで良い)、実現基盤に裏打ちされた持続発展可能性があるか、言い換えれば、答えを持っているかです。具体的には、経営的に挫折しないか、地域と一体になって発展していこうとする気があるかです。

 そこをクリアして、次に、地域の共通課題として農をとりあげ協働していけるところへ進めると思います。
 最初の具体案は、地域での共同出荷でも良いし、地域挙げての農業体験企画でも良いです。やっていく中で課題や問題の本質が鮮明になっていき、協働の機運も高まって来ると思います。
 とにかく、持続性が重要です。
 
 もし、答えを持っているならば、既に、そういう機運が盛り上がっているところより、これからという地域の方が、幾らでもやり様があって良いかも知れません。

 むしろ、足枷となるのは、既存の農家や地域の人々ではなく、既得権益を持った農協やできるだけ前例のないことはしたくないという体質の役所です。
 それに対するためには、あえて喧嘩をする必要はありませんが、実現派の生産者や地域との関係を深めて包囲網を築いていく、彼らを無力化していくことです。



長谷暢二

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求められているのは協働できる課題。

>お金が条件とならない、「信認関係による取引」とか、「ウチの土地」というよりも、「地域のみんなの土地」という考え方とか(理想論すぎますか?)そんな空気が増えていっているということでしょうか?<


地域によって事情は異なるでしょうが、実際に農業、田畑の管理を担っている60代以上の世代は、「先祖伝来の土地」、「ウチの土地」であると同時に、「集落の一部」という感覚ですから、土地の貸し借り、売買については、地元の一定の共認圧力下にあります。
 一方、その1世代下、ほとんど農に関わらない世代(40~50代)では、その辺りについてもっとドライで割り切りがあります。
 
 しかし、共通していることがあります。それは、農地の管理という直接的な必要性以上に、それをきっかけにして、何か協働できる課題が欲しい、みんなで面白いことをしたいという意識が顕在、潜在は人によってちがうにしろ確実にあります。

 それは、過ごした時間の長短はあっても、農が生活と一体あるいはそのものであり、地域共同体の課題でもあった時代を経験しているからだと思います。

 その時代は、課題があったから、寄合いも祭りも楽しくて充足できた。でも、今は、飲み会などの親和を幾らしても、形式的になってしまった祭りで盛り上げようとしても、その頃の充足感は得られない。その失ったものを求めているのでしょう。

 従って、もっとも大きな期待は、借地料を高く設定することや、従来の熱心な農家並に非常に行き届いた管理を徹底することでもなく、それほど充足感の得られない親和にだらだらとつき合うことでもない。
 協働できる課題を出して、企画立案し、先頭に立って旗を振って実現していくこと、さらに進んでいけば、今までの歴史の積み重ねの上に新たなコミュニティー、規範をつくり上げていくことだと思います。

 新しい統合NWの会議室で議論されている認識仲間への転換は、今、農の現場でも最も求められていることと実感しています。


長谷暢二


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実現できる場所はいくらでもある。

>フルタイム・完全就農者を受け入れるしくみと同時に、例えば、荒廃の恐れがある農地なら、いろんな形態の参農者によって労働が担われる農場或いは法人のようなものを作ってしまえばどうかと思います。そこで何を作るかのある程度のガイドラインを地域内での協議で決めた上で、生産計画や農作業の指導は地元のプロがやり、生産物は市場で売れなくても参農者たちが引き取るなどいろんなことが考えられるのではないでしょうか。<

 決して、絵に描いたもちではなく、やってみればできる、やった者勝ちの段階にまで来ていると思います。

 一昔前、3ちゃん農業という言葉があって、じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんで農作業を担って、とうちゃんは働きに行って、稼いだ金で機械を買って、何とか兼業で田畑を維持するというのが多くの兼業農家のスタイルでした。
 ところが、今や2ちゃん農業。60代後半から80代のじいちゃん、ばあちゃんでなんとか田畑の管理をして、40代、50代の息子夫婦は、ほとんど手伝わない。その、息子夫婦からは、じいちゃん、ばあちゃんが田畑の面倒を見れんようになったら、管理をお願いします。と今から頼まれることも多くなりました。
 それだけ、担い手がいない。今や、親戚や長いこと親しくつきあってきた間柄の人でなくても、都会から来た者でも、農家出身でなくても、まじめに取り組んで、田畑を荒らさず管理してくれる人であれば、誰に頼んでもいいというところまで、多くの旧来の農家の意識は来ています。それだけ切羽詰まっています。
 ただ、自分が言い出しっぺや、先例になるのがいやという意識が邪魔しているだけで、きっかけがつかめれば、本格的な流れになると思います。
増してや、そこに多くの若い人が集まって活気が出るようであれば、間違いなく歓迎されます。

 そこで重要になってくるのが、山田さんの仰るような企画、運営の場作り、コーディネート、広報等ができる人材、あるいはグループを確保できるかです。
 農家側の気持ちや歴史も参農側の意識もつかんで、それを踏まえ、既存の枠に囚われることなく、一種の共同体のような新たな充足の場を協働して作っていける存在です。

 そんな人材は、広く探せば、実は幾らでもいるし、実現できる場は、幾らでも存在すると思います。
 ただ、顕在意識化されていないだけでしょう。


長谷暢二


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みんなの農!みんなの情報!

独立農家とコミュニティー、独立農家と気軽な農というのは自分の中では相反するものではなくむしろ独立農家だからこそコミュニティーが必要だし、農の楽しさを伝えていけると思っています。

私も気軽な「農」は大切だと思います。というかその為に農家をやっているようなものです。ただ「農業」とするならば気軽に独立できる農業スタイルがこれから必要かなとも思います。

自分の理想とする農家はそれぞれが独立して(規模の大小は問わず)対等な立場でお付き合いする関係です。対等だからこそ良い関係が成り立っていくと思います。

そして真の生活力の観点から見た独立農家は自分の中では小さい農家です。(国の補助での新規就農者への対応は大型化を前提にしているよう思います。)小さいからこそやりたい農が出来たり、本当の意味で顔の見える関係が作れるよう思います。そんな農家が沢山いて、普段はそれぞれ生計を立てていていざとなれば団結する。私自身独立してから本当に人の輪も広がったし、地域の大切さも知りました。

農産物の値段も難しいですが、農業法人で働く、雇うのサラリーの関係ももっと難しいかな、とも思います。そういった意味でも23世紀型経営をしているこーよーさんのようなところはすごいなと思っています。

そして私の未来の理想は誰もかれもが農にたずさわってくれる事です。皆、家庭菜園や屋上菜園などで自然からの贈り物を享受する。そして交換する。それが広がり専業としての農家が成り立たたなくなってくれればと思います。(国内、国外問わず)きっとその時は貨幣経済の終焉だと思うからです。

農と市場経済は相容れないとするならば、農がすすめばすすむほど経済市場主義が弱化していくと思います。そしてコミュニティーが復活していくようにも思います。

そんな観点からも現在の農家は情報や楽しさをもっともっと知らせるべきだと思います。


西田栄喜

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現在の不安は頭を直撃したもの

日本の食物について、感じる漠然とした不安。これは、一言で現すなら「何か大きく変わりつつあるということ」を潜在感覚で気づいているからではないかと思っています。

政治にしても、行政にしても、農業にしても、何か今までの体制が持っていた膿が少しづつ吹き出てきているように思われるのです。

そして、その不安は個人の生存本能を直撃している訳ではなく(生存本能は充足している)、みんなとの関係や社会の体制、そして世の中全体がどうなるのだろうかという頭の中を直撃する不安だとみれます。
だから漠然とした不安となるのです。

でも、ここで止まっていたら、不安は消えないし益々拡大することになると思えます。不安の一つ一つをこの会議室で見つめてゆくことで、頭の中の霧に穴を明けてゆきたいものです。

その一つの穴がコミュニティーの再生に見られるように思います。私の田舎でも市民市場が再生し、農業を営んでいる母親の生きがいにもなっているようです。


橋本正雄


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漠然とした不安

私の実家は今住んでいる家と200mぐらしか離れていませんがそれでも旧集落であります。

そこは俗にいう田舎のコミュニティーがしっかり残っていて自転車など勝手に乗りあったり、井戸端会議があったり、食べ物の交換など日常的に行われています。

少し前まではなんてうっとしい人間関係だろうと思いもしましたが最近は見なおしています。少なくても「ここには泥棒は入らないだろうな~」と。

また農業についてからとにかくあげる事、もらう事が多くなりました。畑で育てた(自然が与えてくれたもの)は気軽に行き来できるような気がします。買ったものだとこうはいかないのでしょうね。

日本の貯蓄のほとんどが高齢者のようですね。ではなぜ貯めなければいけないのか?
それはコミュニティーがなくなってきたからだと思います。

「衣」「食」「住」が保証されていれば老後にお金はそんなに必要ないと思います。
ほんの少し前まではコミュニティー(家族含む)がその役割をしていたのではないでしょうか。

普段「自給率」など考えない人でも漠然とした不安をもっている、それが現在の日本なのかもしれません。

長谷川さんの言われる通り、農産物はどんなものより値段がつけづらいと思います。まさに
>そのモノに内在する価値(物的価値とでもいうのでしょうか)を尺度にする考え方もあってよいのでは、と思います。

そこにはやはり「関わり」が不可欠だと思います。「あの人が育てた(作った)あの・・・」という具合に。

そう考えると「農」にはコミュニティーを再構築する力があるのかもしれませんね。


西田栄喜


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市場にどっぷり浸かった現実から出発する。

農が元来馴染みにくい市場経済に組み込まれてしまったことが衰退の原因であることは確かです。しかも、今の日本の農業をみると、商品作物という生産物としてだけでなく、その生産手段や生活システムそのものごとどっぶり市場につけられているといっても過言ではないと思います。
 たとえば、各種農業資材や種子、機械、燃料、輸送、通信etc.市場経済の生産物、システム無しには、農業生産は不可能な状態です。別の見方をすれば石油漬と言えます。これは、有機農業や自然農法を実践している人も例外ではないと思います。その現実から出発する必要を感じます。

 農業が、現在、市場経済の中で冷や飯を食わされていることよりも、むしろ、早晩訪れると思われる市場経済の崩壊時に、農業生産を今の半分だけでも維持できるかどうかの方が重要ではないでしょうか。

 そのためには、農業という範囲に限って言えば、担い手を確保し、農地の荒廃を防ぐために市場システム内である程度成り立つ方法を見つけ、かつ、市場外の信認関係を構築し、工業生産物や市場システムに極力頼らず持続できる農業を確立するということだと思います。

 もちろん、その答えは、人里離れて自給自足生活をすることではなく、社会システムを根底から変えることになると思います。そのきっかけが農からの提案になれば面白いです。


長谷暢二

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生活力

私自身、大学卒業後バーテン、オーストラリア遊学、ホテルの支配人を経て農業につきました。今年で4年(独立して3年)になります。30a(自称日本一小さい耕作面積)の畑で無農薬野菜を育ててキムチ・漬物にも加工して販売して生計をたてています。

農業を目指す動機は色々あると思いますが、最近の就農希望者の増加のキーワードになるのが生活力でないかと思います。これまで生活力というとイコールお金だったと思うのですが、本当の意味での生きて行ける力にたちかえって来たのではないでしょうか。その前提には「衣」「食」「住」をすべて海外に依存しているという漠然とした不安があるのだと思います。文字通り地に足をつけた生き方をしたい。そう思う人が多くなってきたのではないかと思います。

海外を放浪した人が帰国してから有機農業をやる人が多い、というのもそのあたりにあるのではないでしょうか。

そこで問題になるのはやりたい人と受け手の意識のギャップです。旧式然としているところでは、就農希望者が増えていることばかりに目をとられて肝腎な動機についてはあまり考えていないように思います。実際、就農希望者が増えているところにスポットがいってますが、その陰で非常に挫折した人も多いのも事実です。

新規の就農希望者は大歓迎ですし、私自身やって良かったな~と心から思っています。そしてこれからも増えて欲しいと思います。だからこそ経営が必要になってくると思います。農業、とくに有機農業を目指す、やっている人には「お金」から目を背けている人が多いように思います。

前述の「生活力」の話とは矛盾するように思われるかもしれませんが、貨幣社会の現在「農はすばらしい、だけどお金にはならない、でも意義があるからやれ」と言われても続かないように思います。

私自身は現在経営をしながら、将来貨幣経済が崩壊してもやっていける方向を目指しています。

就農にも「独立農家を目指す」「農的な仕事をして収入(サラリー)を得たい」「とにかく収入が欲しい」と色々あると思いますが「独立農家を目指す」人がうまくいく体制になれば面白いかなと思います。


西田栄喜

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