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農村を活性化させる為には?

私の知っている地域リーダー

>元々、日本の共同体的組織、集団のリーダーは、最初から「俺が、俺が」とか、「俺について来い」と言うような、最初にリーダーありき的なタイプではなく、皆で活動していく中で自然と期待が集まって、収束していく人(リーダー)が決まるということだったのだと思います。

 その通りです!私が学生の頃出入りしていた集落でもそうでした。ジャイアンのような「俺について来い」的な人(ジャイアンといっても40代ですが)は、若者には人気がありましたが、集落全体から信頼を集めていたの人は、もっと控えめでまさに人徳があるという感じの人でした。リーダーとして集落の共認の基に「選ばれた」って人でした。実際頼りになったし、仕事(バラ作り)そっちのけで私の研究に付き合ってくれました。
 でもこういう存在はまれだと思います。その集落は特に他の市町村の同様な農村集落に比べても、とりわけ仲の良い(共認形成されている)集落でした。他では少なくとも世代の断絶があったり、共同体制(青年団や消防団の消滅などなど)の崩壊が見られました。

> これからの地域のリーダーは、地域の課題期待に応える、皆が共認する存在として生まれて来る必要がありますが、地域ネットでの議論や活動の中から新たに生まれて来る可能性は大いにあると感じますし、地元出身者に限らないと思います。

 これにも共感。私の秋田出身の友人は、郷里で就職をしたかったけれど思うような職がなく、大阪で働いているのですが、出身地域のまちづくりに携わりたいという夢が捨てられず、ネットを駆使して地元の意見交換サイトを発見し、地域のまちづくりについて日々議論しているそうです。地域づくりは地域に生活しているものがするのが望ましいと思っていますが、やむをえない事情の人もいるわけで、そういう場合ネットって有効に活用できますよね。
 それから地域外の人がリーダーになるような可能性もすごく高いと思います。山形県の寒河江というところで、役所主催の地域づくり会議に出席していたときも、有閑主婦がサークルを作ってまちづくりに取り組んでいましたが、他県から嫁いで来た人が参加して、活発に活動していて驚きました。わざわざ外部から来て生活はじめる人のほうが、地域に対する情熱が強いし、地域に対して客観的な評価ができるから、リーダーにむいてるかもしれないですね。

山崎許子


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自給の社会化

農文協の出版する「現代農業」の5月号は、米糠・クズ大豆除草の特集を組んでいて興味深い。いつもの事だが、農業従事者の投稿記事、紹介記事は『現実直視・実現思考』で前進的である。幼いころ、雲の形や動きから天候を読んだ時と同じようなトキメキを感じながら記事を読んでしまう。それくらい、観察し洞察しながら理を極めようとする姿勢には説得力があり、引き付けるものがある。

そんな中に、「JA甘樂富岡(群馬県)の取り組みは『自給の社会化』にほかならない」という記事がある。
一頃のスーパーには、種類も形も画一的な作物が、あたかも工業生産物の如く並び、生産者は「市場の原理(?)」に蹂躙されるかのように単一作物の作付けへと偏重したきらいがあった。

JA甘樂富岡の実践活動で注目すべき点とは、
●地域で生産していた作物で商業的な農業に埋もれてしまった作物を、遡る事50年のスパンで見直し、復活を試みた事。
●生産の担い手として定年やリストラで退職した中高年層や子育ての終わった女性に働きかけた事。
●新規参入農家も巻き込んで、108品目に及ぶ多品目少量生産を実現した事。

そして、その基本概念が『自給』である、という。

商業的な農業の価値基準からすると、自家採種の地域特有の在来種などは地元の農家にとっては当たり前過ぎて商品価値がないのではないか、と生産も出荷もしなかったが、地域総点検運動で見直されて個性的な自給農産物が脚光を浴びるようになったという。

そもそも、地方色豊かで個性的な自給農産物は、近所や親戚に日常的にお裾分けしていた。それを地元JA直営の直売所「食彩館」や量販店の「インショップ」で扱ううちに販路拡大したという。

消費者の産地訪問や農業体験も組み込んでの交流を踏まえた「お裾分け」=「自給の社会化」により、今では、248品目を出荷して活性化している、という。
地産地消という概念を基調にしながら、経済基盤足らしめるものとして、『自給の社会化』という言葉は、とてもしっくりとするように思われる。

小圷敏文


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独自サイトを越えて統合ネットへ集う。

>農村の課題共有にネットを利用する考えに賛成です。
>意外と農村は、ネット生活、ネット社会が適した場かもしれない。

長谷さんのご意見に始まり多くの方より、ネット上で農業課題を共有して行こう!とのご意見が有ります。全くその通りだと思います。
るいネットの厳選○サイトの農業系を拝見しても、何とか農業を理解される様に色んな角度から奮闘されていると思います。だから、多くの方がサイトの掲示板で人との意見交換を通じて関係性を期待されているものと感じます。

そこで、若干疑問を感じました。多くの人が多くの方と繋がりを求めているのに、その求め方が分散した独自のサイトに成るのかと・・?
各農業生産者の農業理念や生産様式等、又地域や地方等の個別の違いが有るでしょう。それらの条件の違いが、独自の集いに成っているのかも知れません。しかし、今の農業の課題は、個別の農業生産者の範囲で解決できるものではないと思うのですね。皆の知恵を集める事、皆の組織力を動員する事でしか突破できないと思うのですね。

今の農業の根本の課題は、活力の蘇生ではないかと思います。この課題の中に個別の課題群が有って、其処を意見交換する事では無いかと思います。個別問題を包摂した上位の普遍的課題を設定すれば、各農業サイトから抜け出て統合されるネットの場に収束して良いのだ!と期待感を持てるのでは無いかと思います。その様な統合ネットとしての「るいネット」で頑張りたいと思います。

松本幸二


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地域と社会統合のネットワーク的編成

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農村の新パラダイム論

『九州のムラ』
というサイトから発行されている雑誌の中に、面白いコラムがあったので紹介します。

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「これからのムラを考えるための新パラダイム」

「これまで農山村では、過疎化対策としてさまざまな地域活性化事業や『村おこし』活動が展開され、膨大な補助金が投入されてきました。そして、これらの事業や活動では、過疎からの脱却や若者定住といった地域の人口増加が目標とされてきました。ところが日本全体の人口が減少している中、農山村で人口を増やすことはほぼ絶望的。ではムラの解体・消滅といった悲観的なシナリオしか描けないのかというと、そんなことはありません。そこでポイントになるのが、人口増加=地域発展といった従来の『人口増加型パラダイム』ではなく、人口が減少することなどを前提にして、少ない人口でも地域の人々が生き生きと暮らせるシステムを形成することなんです。」

「現在の農山村は、単に産業構造や交通の利便性などの不利益地帯だから厳しい環境にあるのではなく、従来の人口増加時代にできた制度やシステム、さらに人々の意識が、現在の農山村社会を維持していく上で、適応しなくなっている事が問題なのだ。そこで必要なのは、人口増加型パラダイムとは違った視点から農山村を見ること。そうすれば、必ずしも悲観的な未来しか描けないわけではない。」

「現代の農村はもはや農業中心ではなく、他産業の依存度も高くなっています。・・・農業の担い手も、統計上は見えてこない非農家出身者の嫁も大きなウエイトを占めています。これからは、従来の農業経済論や産業論からだけでムラを見るのではなく、現代の農村に住む人々の生活や暮らしから農業・農村の在り方を考察していくという『生活農業論』が大切です。」

「ムラが元気であればそのムラは生き残れる。つまりムラを構成する家族を、更に個人をどうやって元気にできるかが、大きな鍵なんです。」


「九州のムラ」<特集A ムラの行方>のコラムより一部抜粋。
---------------------------------この新パラダイムの根拠としは、歴史的に見て人口の爆発的増加という現象が20世紀以降の特異な現象である事、そしてそういう現象が100年も続けば、人々の中に人口増加が当たり前という社会認識が生まれ、人口増加のパラダイムが出来上がったに過ぎないという点でした。

そして現状、どこをどう見ても今後人口が増加しつづけるという現実はない。さらに、現状を正しく認識し、集落が抱えている問題をどう解決していくかを浮き彫りにして、現在のムラの在り方を追求するという、この歴史的事実と現実の現象を基盤に考えていくスタンスにとても可能性を感じました。

つまりもう既存のパラダイムではどうにもならない事、そして現実を見つめる中からしか答えは出てこないことに気付いて、実際に動き始めている農村がある。何だか心強さを感じました。

確かに新たな就農者を増やす事や、新たな農の形を考える事も必要かもしれない。そしてもう一方で、こうやって根底のパラダイムから切開していくことって大切なんじゃないかと思います。

森本亜希子


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活力のある場(人)に、みんなは集まる。

>農村=農業という固定観念を一旦取り払って、活力ある人を結集できる可能性のある場の1つとして捉えると、大きな展望が開けます。

農村というものを考えてみたとき、その自然の豊かさや、あるいは人とのつながりなどの点で、農村の持つ潜在的な可能性というものは、かなり大きいのではないかと考えています。そのために、昨今、都市で充足しきれない、あるいは新たな可能性を求めて農村へ向かうといった現象が徐々に顕在化しているのだと考えています。人々の潜在思念下で農村は明らかに可能性のある場として映っている。

しかし現状では、「農村」は魅力的な場になりきれてない現実もある。それはなぜか?そこに暮らす人たちの旧態依然とした態度にその原因があるとも思えるし、何より人が出て行ってしまっている(幻想を追い求めて)為、必然的に場としての活力は衰退していく。

言ってみたら、先端意識と、旧態意識が混濁しているのが、現在の農村の状況であると考える。過渡期なんだなと思う。そこで、やはり必要になってくるのは、旧態意識を包括し、そして先端意識と統合するための軸であると思う。この統合軸がしっかりとし、農村という場を新たなパラダイムで形成することが可能になれば、きっと農村は、魅力ある場になる。そして活力ある人たちが自然と集まってくる。そう考える。

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農村を1つの場として捉える。

>本業のほうは続けるものの、住居を=生活の場をこの村に移したのだそうです。……
 完全に移住するかどうかは別にして、農作業を通じて農村と農業を知ってもらうのに、この一年棚田オーナー制度も、サポーター制度とともに考えてみても面白いのではないでしょうか。 <

 個人や家族で新規就農や農村移住しようとする場合、農業以外に、本業(副業?)があるというのは非常に重要です。

 他業種からあるいは都市からの新規就農経験者の話を聞くと、農業でなんとか食えるようになるまでの間の生活確保という意味でも、地元との信頼関係構築(具体的期待応望関係)という意味でも、農業以外の職能があることは、とても役に立ちます。とくに、地元で必需とされるようなものであれば尚更です。(例えば、大工さん。)

 さらに、広げて考えると、何も農業を専業とする人だけが農業の担い手ではないわけですから、本業があって、農業が副業であっても良いわけですし、定住でも、通いでも良いわけです。
 農であるか無いかに限らず、活力ある人を集め、活気のある農村にできる人が求められます。

 農村=農業という固定観念を一旦取り払って、活力ある人を結集できる可能性のある場の1つとして捉えると、大きな展望が開けます。
 それを知ってもらう方法として、オーナー制度やサポーター制度も考えられるでしょう。

長谷暢二


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農村の事業化の事例

先日、おもしろい新聞記事を見ました。
「農家直営レストラン」が人気を呼んでいるというもの。
鹿児島の5人の畜産農家が共同出資して福岡に開いた焼肉店や、宮城県の農家が物置に使っていた築100年の蔵を改築して開いた手打ちソバの店などが紹介されていました。また、財団法人都市農山漁村交流活性化機構によると、現在、全国で約500軒の農家レストランが営業中とのこと。

いずれも、農家が自慢の食材を提供するもので、流通を介さないので値段が安いこともあるが、安全、安心、生産者の顔が見える点などが消費者に受けているらしい。消費者が生産者とじっくり話せたり、例えばジャガイモやトウモロコシの収穫などの農作業体験の催しがあったりなどと、生産者と直接いろいろな交流ができることも消費者に評価されているもよう。

中には、農業経験の無かった市民グループが農家の協力を得て農場をつくり、そこで生産した減少農薬野菜などを提供するレストランもあるらしい。(札幌市)

農業側の活動が様々に広がってゆくだけでなく、都市住民側も農の方向に展開し始めていることがおもしろいと思いました。最近のこの会議室での議論が既に現実化し始めているようです。


 
山田渉


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対象は人

>とにかく、何が言いたいのかというと、何も農村に「農」で体当たりするのではなく、「農村」の持つ欠乏を、うまく消化してあげるような方向からアプローチしていった方が信認関係作りには有効なのではないか?ということです。

農村に移り住んで日が浅いのですが、私の所にも農に限らず頼まれごとや相談を受けることがよくあります。生え抜きの農業者でない代わりに、その他の分野についての期待も少なからず持たれているようです。平賀さんの言われるとおり、農に限定することなく、広く関係を築いてゆくべきだし、その方が実際の期待にも応えられると思います。

また、先日医師の方がうちの農園の見学に来られました。医食同源もさることながら、より広く社会を見渡した上で、協働できることはないか模索されていました。

>そして、その不安は個人の生存本能を直撃している訳ではなく(生存本能は充足している)、みんなとの関係や社会の体制、そして世の中全体がどうなるのだろうかという頭の中を直撃する不安だとみれます。(25972橋本さん)

これから始める農の対象は「自然」ではなく「人」なのだと思います。
その意味でも、農を母胎として、より広範な期待に応えてゆくこと、その中で広く認識を共にしてゆく事が求められていると思います。認識を共有出来ればこそ、より具体的な協働の課題にも繋がってゆくのではないでしょうか。

馬場真一 


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農村全体を事業化

>とにかく、何が言いたいのかというと、何も農村に「農」で体当たりするのではなく、「農村」の持つ欠乏を、うまく消化してあげるような方向からアプローチしていった方が信認関係作りには有効なのではないか?ということです。

私も同感です。
今の60代後半以上の人たちが若かった頃は、田舎では、農と生活は一体で、生活のほとんどが農にまつわるものであった、つまり文字通り「農村」であったと思います。
しかし、現在は、農村とは言っても、農で生計を立てている人は少なく、かつ、生活に占める農関連部分も少なくなってきている。そんな中、農業に限定することなく、いろんな事柄に渡ってその地域トータルで信認関係づくりと課題共有していくという視点は重要で、かつ、実現的であると思います。
特に、女、子供も巻き込んでいく企画って必要でしょう。
そして、そこでも重要なのが、持続性、発展性です。
さらに言えば、単なる善意や本源的自発性のみに頼らずに、システムとして持続していけるもの=事業化を目指すことです。

これからは、いろんなものを付帯して、農村全体を事業化していくという発想が必要ではないでしょうか。

実際に、私の住んでいるところでも、地域の人達から、子供達のための気軽な寺子屋塾的なものや、中高年者向けのパソコン教室etc.をやって欲しいという具体的な声があります。 

 
長谷暢二


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