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農村を活性化させる為には?

可能性を感じるのは、農業ではなく本源集団では

逃避先としての「農」を選んでいる人は論外として、本当に(?)「農」に可能性を感じる人はどの部分に感じているのだろう。

>市場の拡大によって、闘争の場(職場)と生殖の場(家庭)が分断されてしまったが、これは実は、生物史上かつて無かった極めて異常な状態である。

この異常な状態に対して、潜在思念が「闘争の場と生殖の場が一緒だった集団」を求めている事は事実といってよいだろう。

しかし、(状況を認識できる概念装置がないため)それは、意識としては顕在化しておらず、(その結果)ストレートに本源集団の再生に向かわず、懐古的に村落共同体に答えを求めているのでは?そして村落共同体から「農」という要素を抽出し、それに収束しているのでは?

もしこの考えが正しいのであれば、「農」に可能性を感じている、というより、本源集団に可能性を感じている、という方が適切だと思った。
農業を、数多くの他の生産や仕事と比べて「より次元の高いもの、より本源的なもの」と考えない方が良いと思う。

佐々木健二


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当事者としての意識の現われ

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圧力と対峙する事から始まる

>対象化すべきことは様々ある。天候、病害、市場、環境、自然。それら外圧の一つ一つを対象化し、生産活動を行う必要性が「農」にはあるのではないだろうか?

農にまつわる欺瞞と、農業集団の閉鎖性の問題が浮上してきています。それらに共通する違和感、いかがわしさの出所は、「圧力の捨象」にあるのではないでしょうか。

現在農に付随して幻想化されているものの多くは、農村が生産も消費も生活も、独立して完結出来ていた時代、自集団の統合が中心課題だった時代の様式だと思います。
作物を作ることも、食べることも、生活用具を作ることも、家を建てることも、婚姻も、祭りも、村落共同体の中で行われていました。

最近耳にする「田舎暮らし」や「農的生活」、「人同士のあたたかい繋がり」といったものは、皆この時代の様式を踏襲したものに過ぎません。

しかし現実は違います。
国家という肥大した集団と市場という肥大したシステムが綻び始めた今、私たちの置かれている現実は社会不全であり、最大の課題は単独集団を越えた社会の統合です。
自然圧力をほぼ克服した私たちにかかる最大の圧力は同類圧力です。

物を作ることも、売ることも、人が繋がることも、広く社会に向かって開かれているし、その圧力と対峙する事なしにあらゆる生産活動は成立しなくなってゆくでしょう。農業が生き物を扱う仕事である以上、自然外圧を対象化し、工夫と創造を重ねて行くことはこれからも変わりません。その行為は、今私たちが置かれている現実の圧力と対峙して初めて、実際に必要とされる、生きた生産活動になるのだと思います。

馬場真一


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社会改革を掲げながら閉鎖性を強める農業集団の欺瞞

>現実逃避して代償充足を貪るための免罪符や正当性に、農を利用するのを許していては、今後誰も農に可能性を感じなくなる。
馬場さんが言うように、「農は生産行為」であり、生産行為には現実の圧力が必ず存在する。


麻丘さんの指摘から、ヤマギシ会を思い出しました。
ヤマギシ会のホームページには、「ヤマギシ会の目指すものは一言でいえば“全人幸福社会の実現”です。」との記述があり、かれらが社会の変革を目指していることが見て取れます。

しかし、自分たちだけしかいない閉鎖社会の中でいくら自分たちにとっての理想社会を実現来ても、このサイトで皆さんから指摘されている「現実逃避」と変わらないでしょう。
それでは社会が変わるはずが無い。

他にも、農業を生産の中心に据えて社会改革を目標に掲げる集団が多数存在します。
しかし、実のところ、彼らは食ってゆくために不可欠な農業を自分達で担うことによって、社会と断絶を図ろうとしているようにも見えます。
そうすることによってのみ、自分たちの理想社会が実現出来るからではないのでしょうか。


>本当に闘う姿勢があれば、その圧力(同類圧力=社会)を対象して現実課題にしなければならない。
そして、そのためには新たな認識が必要になる。

彼らの理想が社会的に広がる兆しは見えません。むしろ閉鎖性を増すばかりです。
とすれば、彼らの掲げる理論・認識は、間違っているのです。

本気で社会改革を担うつもりなら、現実の課題を解決できる「新たな認識」への転換が必要だと思います。

小西康雄


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「現実逃避として”農”を利用する者」と闘う姿勢が必要

>この間の議論で明らかなように、これらは全て現実逃避とその自己正当化に他なりません。逃避先、代償充足先として農を求めている限り、芸術芸能へ逃避する事と何ら変わりはありません。そしてそこからは、何ら生産的な創造行為は生まれて来ないし、社会的な課題、役割は全く捨象されたままなのです。>

同感です。
そして、この間の議論を読んで、現在の農業・田舎に少し感じていた排他性、自己収束性が理解できました。
これは、農業・田舎が「現実逃避」の代償充足に犯されているところからきていたのだと思います。

>つまり、「現在の環境問題」を対象化するってことは、人類の同類圧力をどう制し、共認闘争でどう勝っていくかってことを考えなきゃいけないってことだ。
だから逆に言えば、それができてない運動は全部偽物だし、むしろ「環境」って言葉をそんな枠に閉じこめて、使えないものにしていくから、人々は(一見)いわゆる「環境問題」に無関心になっていくんだろう。>

このことは、農業にもあてはまることだと思う。
現実逃避して代償充足を貪るための免罪符や正当性に、農を利用するのを許していては、今後誰も農に可能性を感じなくなる。
馬場さんが言うように、「農は生産行為」であり、生産行為には現実の圧力が必ず存在する。

本当に闘う姿勢があれば、その圧力(同類圧力=社会)を対象して現実課題にしなければならない。(その姿勢を見せることで、人は農に惹きつけられる。)
そして、そのためには新たな認識が必要になる。

しかし、”農”を御旗に私的充足に嵌っている者に認識形成の場は敷居が高い(全く逆のベクトル)。
だからこそ、”農”を、チンケな身近な近隣などとの親和・解脱充足(代償充足)や自然への幻想を正当化させる存在にさせてはいけない。
まずは、そこに断固とした闘う姿勢を示す必要があるのだと思いました。

麻丘東出


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こだわり派の問題

私は、新規就農希望者の人と話をする機会がよく有ります。

一般的に彼ら(彼女ら)は、田舎暮らしや農業に、都会生活にない自然との繋がりや人との繋がり、サラリーマン生活にない充足できる生産活動、を求め新規就農を希望します。
この意識は、小松さんが指摘している「都会から田舎へ移り住んでいる人達」一般の意識ではないでしょうか?

しかし、彼らには、自分が現在おかれている「都会生活」や「サラリーマン生活」を、より充実したものにしよう、何らかの展望や可能性を見出そう、或いは、所属している会社を改善しよう・・・といった意識は一切無いようです。
そして、自然や田舎、農業を幻想化し、そこで生活をする事が「夢の実現」であると思っているようです。
当然、田舎や農村、農業や自然を対象化した事は無く、それらにどんな問題や課題があるのか?或いは、どんな可能性や展望があるのか?どうすれば活性化するのか?と言うようなことは、全く考えておらず、自分の充足だけを追い求めています。

この構造は、「現実否定→現実逃避」とその自己正当化の為の「イデオロギー化」に他ならないと思います。また、この人達が望んでいるのは、生活全てを代償充足化する事だけではないでしょうか?これは、「田舎生活にはまる」「農業にはまる」ということと同じだと思います。
ですから、「ライフスタイルにこだわる」「田舎にこだわる」「農業にこだわる」というような人たちは「実現派」と正反対の位置にいる、今のままでは全く可能性の無い人達だと思います。

私が、新規就農希望者で可能性があると思えるのは、「農業や田舎にこだわらない人」或いは、「何であれ、可能性や展望に収束できる人」なのではないかと思っています。

丸一浩


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勘違いしていた「実現派」

>‘ハマる’という行為の多くは、自分の充足面ばかりに傾斜した対象性の欠如したもので、対象を捨象しているだけでも闘争忌避であると言ってもいいでしょう。反対に、現実を直視(肯定視)して日々闘っている人は、外圧や課題を初めとするすべての対象に、選り好みをせずに真正面から向き合っています。

るいネットを広めるターゲットとして、しばしば登場する「実現派」と呼ばれる層について、全く正反対のイメージをしていたことに気づいた。

例えば、田舎に住み、自然と触れ合いながら、自分の趣味ややりたいことを生業としているような人。芸術や創作活動などをしながら、悠々自適に生活する人。実際、私の住む田舎でも、そういう人たちにはよく出会う。殆どが都会から移り住んだ人たちだ。彼らは、大抵人当たりが良く、自分の家に人を招きもてなすのが好きな人が多い。そんな姿を「肯定的」と捉え、自分のライフスタイルを「実現」している人たちだ、と感じていた。

しかしよくよく考えてみると、彼らが「実現」したのは、自分の趣味ややりたいこと、つまり単なる自己充足に過ぎず、現実の課題や圧力を何一つ対象化していない、従って、全く社会や人の役に立っていないということに今更ながら気づかされた。田舎暮らしというスタイルも、逃避の意識の現れとも言える。(もちろん全てがそうと言う訳ではないが。)自己充足が全ての彼らにとって、社会や人がどうなろうと関係ないのだ。せいぜい自己充足のための要求ぐらいしか出てこないだろう。

そもそも「ライフスタイル」なるものも、自分のこだわりや思い入れの現れであり、一種のイデオロギーのようなものだ。要は「ハマっている」ことに他ならない。それにしてもこの「ライフスタイル」とは、自分の生活そのものであり、なかなか否定・脱却できるものではない。単なる趣味以上にイデオロギー性が強く、これにハマっている人は殆ど可能性が無いかも知れないと感じている。

「現実直視」「視野の広さ」「常に闘っている」「前進している」、実現派のイメージを再確認し、新しい認識の必要性を語っていきたいと思う。

小松由布樹


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中身がない、社会運動。

親父の体験。
「まちづくり」ということでなんとなく人は集まる。
実際、僕の故郷は過疎化が進んでいることもあって、危機感をもった人達が54名があつまった。いろんな夢が出てくる。

なにをするにしても、軍資金がいるということで
親父がけっこうな額の補助金の獲得に成功した。

結果はどうだったか。
誰も、その補助金の使い方がわからない。することがない。
膨らんでいたのは夢だけで、それは無責任な幻想だった。
夢を達成するために親父が勝ち取ってきた軍資金。
夢の実現に入ったとたん、みんな足を洗い、やめていった。
残ったのはたった4人。
夢を語ることはできても、その実現段階に入るや否やみな反転。

まちづくりにせよ、どんな運動にせよ
中身がないことが一番の問題だと、本当にそう思う。
「まず人ありき」「集落営農・地産地消が地域活性化を促す」
とにかく全部嘘なんだと、幻想なんだと頭の中で大きく×印をつけてから事に取り組む。親父は熱く語ってくれました。

佐々木健二


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「農」も認識形成への入り口の1つに過ぎない。

>また、地域の生産者とネットワークを形成する、或いは、消費者とネットワークを形成する、にしても、まず、「認識や答えの提示」とそれらに対する意見交換⇒共認形成・認識形成が最初の課題なのだと思います。


 現在、若者の「農」への収束が、本源的な潮流を表す具体的事象として、この会議室でもプラス評価を伴ってとり上げられています。

 それは、新しい時代の可能性の萌芽であることは、確かでしょう。しかし、丸一さんが仰るように、根本問題である社会不全に対する「認識や答えの提示」がないままに、「農」的なものに収束することや、産消間のネットワークを形成することは、問題を矮小化し、せっかくの可能性の萌芽を代償充足という檻に閉じ込めてしまうことになると思います。

 そうならないためには、「農」も認識形成への入り口の1つに過ぎないこと、そして、新しい認識=社会不全に対する答え の無い活動、営みは、ニセモノであるという明確な共認形成が必要です。

 そして、現在、頭の先っぽの観念ではなく、潜在思念レベルで「農」に可能性を感じて、興味を持ったり、実際にやってみようとする人達は、実は、本人達は顕在意識化していないでしょうが、答え欠乏が大きい人達であり、「認識形成」に近い層の1つではないでしょうか。

長谷暢二


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「みんなが当事者になる」事でしか問題は解決しない。

現在、私は「仕事」として農業に従事しています。
農業を取り巻く状況は、担い手不足、農地の荒廃、経営的な厳しさ、環境保全への配慮、食の安全・安心の確保・・・等々問題や課題が山積みです。これらの様々な問題を解決する方法として、提起されているのがネットワーク化です。生産者がネットワークを組み、消費者が(生協の共同購入のような)ネットワークを組んで、それをつなげる、そして、各々が顔の見える関係を作っていく・・・、或いは、生産者のネットワークで、直売所を設け、地産地消を促す・・・そんな事で問題を解決し、農業を活性化させようというのが大きな流れのようです。

しかし、この間のみなさんの意見を拝見し、これらも、しょせんは、市場構造の延長でしかないのではないかと考えるようになりました。
確かに、生産者、消費者が連携し、食料そのものやその安全、安心を確保する・・・というような事は部分的な問題解決の一つの方法だとは思いますが、「農業」や「食」だけを切り取って考えてみたところで、或いは、実践的な方法として、ネットワークのようなものを形成できたとしても、根本的な問題解決には繋がりません。

今、人々が本当に求めているのは、社会不全に対する「答え」であるし、また、ネットワークの形成を主目的として、「仕事」をしても、自分自身の社会不全は解消できそうにありません。

やはり、「認識形成の場」の形成とその協働者達との連携が本当の答えだと思います。
また、地域の生産者とネットワークを形成する、或いは、消費者とネットワークを形成する、にしても、まず、「認識や答えの提示」とそれらに対する意見交換⇒共認形成・認識形成が最初の課題なのだと思います。

生産者・消費者というようなわけ方ではなく、「みんなが当事者になる」事でしか農業の問題は解決しないのではないかと思う。


 
丸一浩


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