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農村を活性化させる為には?

新農(業?村?民?)共同体の創造と生産基盤の共有

>今まで、人や暮らしに関する研究や対策を日本の農学・農政はしてこなかった。専ら農産物を生産効率よく作ることなどが農学・農政であるという生産性を重視する偏ったイデオロギーの中で、日本の食と農は立ち往生している。
>これからは、「農」と食・住・遊・教育・地域などが融合した、新しい生産方法を考えていかなければならない。

>活力源が、私権から「人の役に立ちたい」「役に立つのが嬉しい」に転換した今、みんながみんなの為に働く共同体社会実現の為の仕組みが、求められているように思われる。

私自身も農業に従事しながら、具体的な農業生産行為自体が、みんなの役に立っている、社会の役に立っているという実感は少ない。
実際は、食糧を生産している訳だし、環境負荷低減という観点で農薬・化学肥料を減らす工夫をし、地元の遊休農地を使っているので、農地保全に繋がっているし、又、周囲の皆さんに何らかの活力や刺激を与えている、だから、少しは役に立っているとは思う。
しかし、これらが本質的な”解答”や”展望・可能性”あるいは”みんな期待に応える事”には繋がっていない事も明白であると思う。
(同じように若いインターンシップ生や研修生、就農希望者達にも農業の現実と展望そして、実際の農作業体験を指導しているが、本質的な解答を与えられずにいる・・・。)

では、農業生産の現場からできる本当に人の役に立つ、社会の役に立つような新しい方法は何なのか?
それは、統合板で議論されているように、企業の共同体化が潜在的なみんな期待であるように、農業や農村自体を共同体に変えていく事が潜在的なみんな期待の中身であるように思う。
又、「国の借金700兆~」の議論の中で出てきたように、現代のサラリーマン(労働者)は生産基盤を持たない根無し草であって、だから、年金が必要になる、しかし、農民は、老人になっても生産基盤があって、周りの期待に応えられる・・・という農業の持っている特徴もある。

その為には、企業が経営者の私有物でなく、成員みんなの物であるのと同様に、農地や山林、農村全体を共同体、或いは社会全体の共有物にしなくてはならないし、又、同時に、これらを守り、育てていく共同体の成員を募らなければならない。

今、考えられる、農業に対するみんな期待の中身はこのような事だと思う。

丸一浩


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農業の生産性に対する期待からの脱却

>今まで無農薬・低農薬農法、有機栽培などの安全と結びつく農法は、「消費者の期待に応えるとてもよいこと」と思っていた。別に全くの間違いではないと思うが、消費者の期待の主ではないことに今、気が付いた。

消費者の安全性に対する関心は、子持ちの主婦層を中心にあると思いますが、実際に消費者が求めているものは、本当に安全であるかどうかということであって、それは、農薬を使っているか、いないかの問題ではないように思います。現に世の中には、農薬に限らず化学的な物質はいくらでもあるのに、すべてに於いて関心が高いわけではない。価格に関しても、輸入物でどれだけ安いとか、国内産ブランドで高くても品質のいいものだということは、個人の価値観に基づくものであって、本源的に期待するものではない。それらは、すべて単なる表面的な安全や価格面での企業間競争で、ユニクロの野菜販売事業の失敗は、その企業間競争では優位に立てるだろうという、ユニクロの生産システムの過信であって、新しい形での消費者の期待に応えるものではなかったのではないでしょうか。

>「生きていくために必要な食料を生産すること」これは人間の本源的な期待になると思うが、食べ物で溢れ返っている現状からはこれを期待として感じることはなかなかできない。

確かに、みんな食べることで困ることもないし、農業を身近に感じることも出来なくなってきている。だから、農業に期待することを考えても、なかなか見当がつかない。食料を生産する仕事という枠組みの中で、農業を考えていても、期待されることは分かり難い。「農」はすでに生産者と消費者という分類を超えたより広い意味で考えなければいけない状況にある。

今まで、人や暮らしに関する研究や対策を日本の農学・農政はしてこなかった。専ら農産物を生産効率よく作ることなどが農学・農政であるという生産性を重視する偏ったイデオロギーの中で、日本の食と農は立ち往生している。

これからは、「農」と食・住・遊・教育・地域などが融合した、新しい生産方法を考えていかなければならない。

芝田琢也


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農がもつ依存的秩序安定性に風穴を開ける可能性

ユニクロのファーストリテイリングの野菜販売事業は、農業への企業参入という点で興味を感じていました。
しかし撤退した。何が足りなかったのだろう?

質の良い食を安く提供しようとするスタンスではじめた割に、健康志向潮流を意識して質(安全とか)の向上を目指しすぎためスーパーより高い金額になって普通の人の意識に受けず黒字化の目途がたたない、というのが撤退理由。
ところで、そもそも今の農業事業で採算が合っている農家などどれほどあるのだろうか?
今の農業の構造はどうなっているのだろう? 

現在の農業構造を考えるうえで、戦後の昭和22年から25年までの3年間かけて行われたGHQによる”強制的”な農地改革は重要な視点であると思う。
この農地改革は、小作人を使った「大農制農業の形態から小農制農業に移行」する契機となったが、私はこれが現代の農業がもつ構造の決定的分岐点だったのだと思う。
農地改革は、地主の搾取から苦しむ小作人の貧困を和らげる施策ではあったが、農業という生産様式で見た場合には、「小農制への転換」という決定的な構造的問題を孕むことになったと思う。
その問題構造を思いつくままに簡単に列記すると、
①まず何と言っても農地のばら撒きは、農地の私有権意識を、一部の地主だけでなく小作人であった全ての農民にまで広げた。
②生産様式を共同体的集団様式から家族(≒個人)に転換させた。
③家族零細経営である小農制(人的労力が不足)のため、農業の効率的生産性が必要に迫られ、生産機材の変化による生産性の向上を目指さざるをえなくなる。⇒農業の工業機材の必要意識が拡大⇒都市部の工業生産拡大に寄与し、皮肉なことにこれが農業と工業の格差を広げていくことにも繋がる。
④更に、“土地私有=農業を継続”の構造ゆえに、専業では成り立たない生産性に陥っていっても農業を継続していく(=土地を所有しておきたい)ために兼業農家という形態に移行していく。しかし、これが都市部の工業生産の労働力確保に寄与し、さらに農村と都市(農業と工業)の格差を付けていくという皮肉を生んでいく。
⑤農民の殆どが零細ながらも農地を私有する小農制は、土地の共有化(→村落の共同体化や農業法人化や企業的農業、etc)とは逆ベクトルで、全ての農業改革が土地私有の呪縛から抜け出せなく足枷になる。

このように考えていくと結局、農業の可能性への転換は、「零細な土地私有制の農業形態=小農制」が足枷になって現代に至っている。

麻丘東出

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農業の活性事業を担う指導層から、若者に発信するとき。

 私は農業社会の生活実感がないが、親父の生家が代々の大謀式大網の漁村だったので、定置網漁を中心にした日本の伝統的漁村の空気は記憶として残っている。大網漁(百人ほどで操業する)が主体の漁村集落は外の世界の受容性が高く、外界の情報や専門職人衆をよく受け入れ、近年でも学校に赴任する先生など都市からの転勤族には集落を挙げて実にこまめな支援をしていた。生産関係や婚姻様式は氏族社会の様相が濃いけれど、縄文的な受容精神と同化の度量を持ち合わせていた。

 漁場の海域は勝手に線を引いて、私有権を宣言するのは不可能である(近年、200海里の経済水域等が私権国家により宣言されているが)。回遊する漁業資源の採取漁労は、仕掛の網に入るのも、釣り針を咥え込むのも海流や魚の選択任せであり、科学技術を駆使した機械化が確立するまでトロール漁法のような一網打尽は有り得なかった。然し、資源が豊かだった夏の最盛期には、小錦のような黒マグロが一網で数百本入ることが稀ではなかった。

 漁場や漁法や漁具は網元が代々保全、改良伝承するとしても、協業作業で仕込みがなされ、朝夕操業が繰り返される集団的生産関係であった。厳しい自然圧力を皆で同一視し、大謀を頭に集団の役割分担と能力序列は皆衆の前で自明であり、それはガキの頃からの仲間遊びを介した評価序列や集落内の現在評価とが繋がるものでもあった。
 然しこの集落組織と集団的生産関係は1960年代末で衰弱し、市場時代に生き長らえる事が出来なかった。網元から協同組合の漁協に変わっても集団的漁法は略消滅し、現在再生不能と思われる。漁村に残るのは一人船主の漁法となってしまている。

 農業は田畑私有と家族単位の生産が漁業とは違う。そうである故、疲弊しながらも市場時代に生き残ってきたとも云えるのではないか。農業生産の再生にも農村集落の活力再生が不可欠である事は変わらない。貧困が克服されて序列秩序が崩壊し、若者達の意識を先頭に、市場第一の潮流が崩壊し始めた。バブルが崩壊して15年が過ぎ、市場第一の熱が冷めてみれば、都市や市場社会に拘らない生活の肯定視観は、都市育ちの若者の心の中に容易に浸透可能だ。狂気と毒気の沙汰の都市と市場に育った若者達の側では、就農定住の農村回帰を肯定視出来る潜在思念が実現されていると考えられる。
 
 新しい担い手として期待される若者像を、農村集落の活性事業に信念をかける指導層から都市に向けて発信(認識内容)し、彼らの潜在思念を顕在化させる課題が残されているだけではなかろうか。

阿部紘


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みんなにとって必要な「農業・農村のあり方」を考える。

>農業もみんな期待を感じること、本当に求められているものと感じられることで始めて、閉鎖性とかもなくなっていくのではないかなと思いました。 

私も新規就農者なので、農業や農村の閉鎖性を強く感じます。
昔から農村や田舎は、排他性が強い、と言われていますし、実際、地元以外の人間が空いている農地や家を借りる事はなかなか難しいのが実情です。

これらの意識の根本は、農業や農村の土地に対する執着性、端的に言えば私権性によるものだと思います。
農地は各農家にとって絶対的な生産と生活(消費)の場であり、そこへの介入は許せない、そして、土地はもちろん、生産手法(=農地の利用の仕方)や生産物も最後まで「自分のモノ」と言う意識が強いのだと思います。
(農家は一つの事業主体であり、平たく言えば、一国一城の主。)
農村と言う範囲で考えても同じで、その村の縄張りを守る事が、自分達を守る事(=私権確保)と直結しています。
(参考「私権の最後の砦、それが現在の農村」)
ですから、農地を私有化し、農業を市場社会の中の一つの産業としかみなせない所に根本問題があるように思います。

では、現在の農業や農村に対する「みんな期待」とは何なのでしょうか?
安心できる農産物の供給、環境保全・国土保全の為の農地保全、自然を通しての癒しの場・教育の場の提供・・・・等々、提起されている内容はたくさんありますが、本質的には農地の共有化、或いは農業・農村自体の共有化にあるように思います。
以前も提案されていましたが、例えば、幼児期から学童期(小学校or中学校)までは、農村で勉強と農作業をやって、それから、社会に出る、老人や母親達がその指導をする・・・今抱えている農業や農村の問題、そして、一対婚家庭の問題や子育て問題、老人の福祉や老後の課題も全て解決できるように思います。

農業の閉鎖性を突破し、みんな期待に応える事ができるのは、社会全体にとって、必要な農業や農村のあり方を考える事だと思います。

丸一浩


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共同体的所有

>農村はもともと「ムラ」という自集団意識が強く、その自集団内の出来事として共同して物事を進めていたと思っていたのだが、そのことはどちらに当てはまるのだろうか?

◆沖縄県国頭村奥集落の事例

明治39年春、村民全員(生まれたばかりの赤ちゃんから老人まで)株主で自前の生活拠点「共同店」誕生(日本初?)。生協・農協のさきがけ。木材や薪を運搬する「やんばる船」を持ち、売った材木代金で村では自給できない生活物質を共同購入したり、生産物の共同販売をした。共同店の利益で奨学金制度もつくった。

家族に病人が出て入院の必要となれば医療費を共同店から貸与し、発電所・金融業なども村民の必要に応じて、村民自らの意思で対応してきたという。それらを可能にする基盤となった、相互扶助の「ゆいまーる」や労働を提供するカセイ(加勢)が今も続いている、という。

また、80年以上も前に奥集落だけに通用する切符(=地域通貨)があって、大正~戦前昭和の不況時にも世間の通貨価値に左右されない金券として機能したということは、互いの存在と労働の価値を認め合う知恵としくみがあったということであろう。

共同店の事業は、部落全員総会で決定されるというから、共同一致の精神で運営された、ということであろう。

奥集落には、年30回以上の祭りがあり、かつ、月の1日と15日は公休日で山にも入れず畑にも出れない「遊び日」だったそうです。そして、月~水曜日は「農業日」で木・金曜日は「山入り日」というルールがありました。

それというのも、林産物は共同店に持っていけば即現金になるため、山入りを村民の自由にすれば山は荒れ、資源は枯渇して川や海の生態系さえも壊れるからだといいます。

遊び日さえも特定し、みんなでおしゃべりや自前の芸能をしたということは現代人から奇異に映るかもしれませんが、生産も生殖も教育も消費も全てひっくるめてのことであることに注目すべきなのだと思います。生きていくための課題において抜け駆けも落伍者も出さない、村民一致の取り決め(=規範)であり、共同体の共認事項なのだということがポイントだと思います。

このような状況下での「入会地」や「共同店」とは、「共同体的所有」といえるのではないかと思います。

一方、「隣りの人は何するものぞ」といえるほど没交渉で、到底、生存課題の共認などし得ないマンションの区分所有権などが、「共同所有」の典型かと思います。よって、近代の農村における農業機器の共同購入・共同利用なども、前述の事例のようなその他の条件が揃わないかぎり「共同所有」の範疇にとどまるといえそうです。

一般の農村において、それらを分かつ時代的な分岐点は、農地の私有を決定付けた「農地改革」(1947~50年)辺りになりそうですが次回の考察としたいと思います。

*参考資料:現代農業・2003年8月増刊「21世紀は江戸時代」
 
小圷敏文


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直売と「ものづくりの心」の復活

>客との会話を楽しむ露店のスタイルというのは、商売という方から見ても何か可能性があるんじゃないだろうか。
自分たちで作ったものを、流通に乗せるのではなく、直接露店で売るような形だとか。

最近都市近郊では、農産物の直売所が増えているそうです。
かつては、かなりの近郊農家の方が、直売所や自ら背負い籠に野菜等を積んで売り歩く光景がありました。

丹精込めて作った農産物を、ただ流通市場に乗せるのではなく、「有機農法の説明」や、「どの辺りを工夫した」とか、「旬の野菜の食べ方」とか「取って置きの調理法」とか、消費者と直に話しながら買ってもらう、このことが生産者の一番の充足となるそうです。

埼玉県の事例ですが、農業の機械化が進み、農家の嫁さんが畑に出る事が少なくなっている中(それを条件に嫁入りするのが常識)、直売所の売り役を若い嫁さん軍団に任せたところ、お客さんとの対話の充足感から、自分達も畑を持ちたいという希望が出て、女性による農場が出来たとのことです。

農産物に限らず、これまで大量生産の現場で、「作る喜び」を奪われてきた技術集団が、客のニーズを汲み取った直販のやり方で「ものづくりの心」を取り戻したという事例もあります。

かつて、庶民の流通は、人から人へという手の温もりが伝わるものでした。共認社会の萌芽が、市場・流通の真っ只中で、観て取れるのも、人と人が繋がる最先端であるからなのでしょう。

下城浩一

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きっかけ

>「自分の作った野菜を、自信を持って売れるか?」という言葉が印象に残った。これまで農家は、生産にしか携わってこなかったし、生産のことしか考えてこなかった。しかしそれでは片手落ちで、実は販売のために生産するのであり、そのための栽培技術なのだと。

父が地域の農家に声をかけて、販売会社に地域の特産物を販売を頼む機会がありました。
その時に父は「それが、どれ位で売れたら面白い?」と聞いてました。
そしたら大抵は「いや、そんなんわからん。」という応えが返ってきました。考えた事もなかったという感じ。

(ただ)そうやって、値を付ける事を考えるようになって以降は、生産だけではなく、消費(or購入)の段階でいかに喜んで貰えるかという視点がもてるようになって、包装を特産の杉を使った木箱にしてみたりと商品開発などにも積極的になっているそうです。

「値を付ける」という行為が、生産と市況にしか目が向かっていなかった(=どん詰まり)所から脱却するきっかけになったようです。
多分、農業だけじゃなくてあらゆる事にも共通するのでしょう。

佐々木健二

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“生産者としての活力”だけでは物足りない

先日、各地の農家に対して、栽培指導の活動をしている方の話を聞く機会があった。

その中で、「自分の作った野菜を、自信を持って売れるか?」という言葉が印象に残った。これまで農家は、生産にしか携わってこなかったし、生産のことしか考えてこなかった。しかしそれでは片手落ちで、実は販売のために生産するのであり、そのための栽培技術なのだと。この認識は、ハッとさせられるものがあった。

そして、彼が直接指導している地域では、生産者がスーパーの売場に立って、自分の作った野菜を売り込む、ということを定期的にやらせてもらっているそうだ。初めは、慣れない販売に気恥ずかしさも手伝って、なかなか上手くいかない。そこで生産者は、どうすれば売れるのか、はたと考えさせられる。自分の野菜は、他の野菜とどこが違うのか、何故美味しいのか、と。そして、その中身を語れるということの必要性を、あらためて感じさせられる。つまり、それが栽培(技術)の中身そのものになるのだ。

やがて、そのようにして自分の野菜が売れ出すと、最初の気恥ずかしさはどこへやら、次の販売が待ち遠しくてしょうがなくなるのだ。自分たちでPOPを作ったり、チラシを配ったり、だんだん販売にも熱が入っていく。そのような対面の場で野菜を売ることが、明らかに生産者の活力そのものになり、栽培技術と共に、野菜の品質も目に見えて上がっていっているというのだ。

いわゆる直売という場は、消費者の期待や評価を、生産者がダイレクトに感じる場であり、そこに収束することで活力が生まれるのは、確かにそうだ。だがそれだけでは、相変わらず生産者と消費者という枠組から、一歩も抜け出すことは出来ず、「安全・安心・健康」というような期待に、ただ表層的に応えていくだけである。

それは言わば、単なる“生産者としての活力”とでも言うべきもので、もはやそれだけでは、何か物足りない。

>「みんな」を体感共認する

生産者と消費者という枠を超えた「みんな」を対象化し、その期待を感じそれに応えていくこと、やはり現在これに勝る活力源はないだろう。
であるならば、この“本物の活力”を、いかにして生産の場に生かしていくのか、ということがこれからの生産者の課題なのかも知れない。

小松由布樹


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“活性化”とは、みんなが当事者になること

>交流会を実際に運営していく(=場をつくっていく)ことの引力は想像を絶する。

地元の町づくりの活動に何度か参加したが、町づくりも交流会作りも、どちらも自分たちで作っていく活動なのに、町づくりの活動ではこれほどの活力は感じられない。それに、町づくりのイベントをどれだけ重ねても、町は一向に活性化せず、すぐに行き詰まりを見せる。

町の活性化といえば、人がワイワイと集まり、賑やかになること。それに伴い経済効果が期待できること、とこんな感じだろう。しかし、市場経済の価値観をもとにしたこの発想自体が、もはや壁にぶつかり、出口を見失っているのだと思う。町づくり運動の問題とは、市場の限界そのものだとも言える。

交流会運動の活力を見習い、町の活性化とはどういうことか、根本的に見直す必要がある。町の活性化とは、そこに住む人々が、まさに活き活きとして毎日の生活を送ること、という極単純で、当たり前のことなのだと思う。だから、毎日の生活と無関係なイベントなど、どれだけ企画しても、活性化につながらないのは当然だろう。

従って、どうすればみんなが活き活きと生活できるのかを、みんなで考えていくこと、そういう場(共認域)作りが求められているのだと思う。そのように、自分たちで共認域を作っていくことこそ、社会の当事者として最も充足できる活動だし、みんなが当事者になることこそが、本当の意味での活性化につながるのではないだろうか。

小松由布樹


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