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農村を活性化させる為には?

社会と繋がれる農業だったらいい。

>幻想期待と当事者意識の関係がどうなっているのか、もう少し掘り下げてみてゆく必要を感じます。

先日、農業をされている方と話す機会があり、インターンシップの学生について伺うことが出来ました。その中でとても意外に感じたのは、研修終了後に再び訪れてくれる学生がいないという実態があることでした。確かに学生の期待と、農業従事者との間に何かズレがあるのかもしれません。

>農業の現場に来ても、農業技術のことが最も知りたいことではなく、みんな何を考えて、これから、どういう方向へ進もうとしているのかに興味がある。しかも、農業という1つの分野の中での話ではなく、社会の中での位置付けとして。
農業インターンシップを経験にする学生も、答え探索の一端として農業体験をするのだと思います。農業インターンシップを体験した学生の感想の中で、それを示すものがいくつもありました。

>社会勉強の一環として参加
>農業の知識は大学の講義とテレビや本などで得たものしかなく、実際どうなのか知りたい
>色々な人と出会い、仕事や日常・人生の話をしているうちに、狭かった私の世界が大きく広がっていくのが実感でき、本当に毎日感動してばかりでした。本当によい社会勉強になりました
>人間が人間らしく生きていく上で必要不可欠なものを農業は兼ね備えている
>今回のインターンシップで更に勉強の意欲が増しました

答え探索の潮流においては、「みんなどうなの?」「事実・実態はどうなってるの?」「本来はどうあるべきなの?」という意識が溢れていると思います。だから、農業を通して社会がわかる社会と繋がれる、そんな人と社会を繋ぐ媒体でなければ意味が無いんだと思います。これが学生の期待では?
そして、現状その農家にはその機能が充分に果たせていないから、再び訪れてくれる学生も少ないんだと思います。これがズレなのかしら?

>単一の農家の枠を超えた地域,知域の広がり感は媒体に欠かせないということなのだろうか。

まさに、これが社会とつながっているということなんだと思います。
農業が媒体であるならば、より社会と繋がれる、そんな可能性を示していかなければならないんだと思います。

山崎許子 

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若者は、既に、農や農村を媒体と捉えている。

>「農」そのものが「媒体」であるという観点が必要なのではないか。

「農」には「共認充足場」としての要素が無数にある。
そこに共認需要が発生するのは必然的であると思うのだが、これまで全くそれが顕在化してこなかった。<

 全く、その通りだと思います。このことを我々の世代は、はっきりとは気付いて来なかった。

 ところが、農業体験や研修、新規就農希望の若者は、実は、最初からそのことに気付いているようです。

 農業の現場に来ても、農業技術のことが最も知りたいことではなく、みんな何を考えて、これから、どういう方向へ進もうとしているのかに興味がある。しかも、農業という1つの分野の中での話ではなく、社会の中での位置付けとして。
 
 そして、農の現場が、答えをみんなで探せる場であるかどうか、答えを追求しようとする魅力ある人が居るかどうかを見究めようとしているのだと思う。

 彼らは、決して、是が非でも農業をとまでこだわっているわけではないことからもそのことは伺える。

 つまりは、新規就農需要、研修、体験需要というのは、正に、共認需要と言えるのではないでしょうか。

 そう捉えると、事業化という観点からも、可能性が見えてきます。

長谷暢二

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どんな共認域を形成するか

>共認原理に転換したということを手掛りに、'70年以降の市場での購買動機はどこから来るのかということを考えてみました。
 三種の神器と謳われた家電が売れた頃は、それらが豊かさの象徴であったから、「(他所よりも)豊かになりたい」一心で買い求めたのだと聞きます。また、バブル期にブランド物が売れた背景には、それを持つ事で「モテル」という価値観が存在していたそうです。また、ここ2,3年のブランドブームにおいては、「みんなが持っているから」という極めて消極的な理由によって高額商品が売れています。

魚沼産コシヒカリ、松坂牛・・・もこれにあたる?これも一見幻想価値と見る向きもありますが、どうもこのところの動きと照らし合わせるとそれだけでもなさそう??消極的理由の意味は、モノそのものを買うことにさほど重きを置いていないということでしょうか?

実は社会空間で認められているものにとりあえず収束し、そのあからさまには見えない共認域にいること、若しくは共認域を維持することにお金を使うということがより先鋭化しているということなのかも知れません。

農業にひきつければ、どんな共認域を、モノや認識を媒体として形成することが出来るか!その芽が何か??ということなのか。

土井誠也

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農業に参入する大企業の動き

>実際、ここ10年くらいの間で、農業界で一定の成功を収めた方々には、農外からの新規参入者が多いのですが、そんな方達にしてみれば、今まで、実現のスタンスで考えて来なかった農業の世界は、ニッチ(可能性収束先)が幾らでもある世界に見えたのではないでしょうか。

大企業でも、成功・不成功はともかく、農業分野への参入の動きには、目ざましいものがある。

>アグリビジネスに目をつけていたのはファーストリテイリングだけではなかった。キューピー、カゴメなどの食品加工会社のほか、三井物産、伊藤忠商事、日商岩井などの商社や日本たばこ産業をはじめ、警備会社のセコム、製薬会社の大幸薬品まで多くの企業が参入している。特に、最近は農業とのつながりの薄い異業種が、本業で培った資本力や技術力をもとに、この分野に進出しだしている。
上記の他にも、食品系ではキリンビールやサントリー、伊藤園、製造系ではトヨタ自動車やオムロン、その他ではプロミスまでが、農業に進出している。

これまで企業にとって未開拓の領域であった農業分野では、巨大な資本力や高度な技術力を活かせば十分に勝算があるというのが、これらの企業に共通する目論みだろう。

農業への関わり方を見ると、大きく二手に分かれている。一方は、過去に培った技術を活かして農産物の生産に重点を置く企業群(バイオ技術を活かすキリン、サントリーや、警備機器のセンサー技術を活かすセコムなど)であり、もう一方は、農業基盤(農村)の再生から販路開拓に軸足を置く企業群(東海地方で農村活性化事業を進める三井物産や、有機栽培農家の組織化に取り組む日商岩井、茶産地育成事業に取り組む伊藤園など)だ。

>まずは、序列原理→共認原理へ転換という根本認識をしっかりもって、市場を突き抜けた実現可能性がどこにあるのかといういうことを徹底的に探索することが必要ではないでしょうか。

上記の根本認識に照らして大企業の動きを見ると、とりわけ後者の取り組み(企業が主導する農業or農村再生)には可能性を感じる。

矢ヶ崎裕

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市場を超える農業

>ただし、彼らも、市場の中で一定の成果を収めたとは言え、市場の枠組みを突き抜けたとは言えないので、さらに一歩踏み出す必要があると思います。

市場の中では農業は儲からない、他の産業に比べて負け続ける存在、といったあきらめ(不可能視)があるのはその通りだと思います。そこから、保護政策が採られ生産者側の努力の芽を摘んできたという事情もあったといえると思います。

一方、社会が大きく変わり、市場の状況も変化してきている結果、農業が「市場の枠組みを突き出る」可能性の芽も出てきていると考えられます。

ひとつは、市場に流通している様々な商品に含まれていた幻想価値のウェイトがどんどん縮小してきていること。もともと、この部分で農産物は負けていたから、対等なところに立てる可能性が膨らんできているといえると思います。

次に、農業の新しい担い手が参入する道が開けはじめたこと。その結果、農業の業界でも大規模化・効率化など生産体制の変革が進むこととあわせて、新しい経営組織・生産体制が広がっていき(長い目で見れば、たぶん、共同生産体制のような方向に収斂していくのではないかと思われる)、農業自体が活力の出るものに変わっていく可能性の芽が感じられます。

また、農業への新規参入者である蒲野建設(岩手県の地場の建設業者)でも始まっているようですが、生産予約のようなかたちでの受発注システムもこれまでの流通市場のやり方を突き出ていることのひとつとして上げられると思います。今までも、食品メーカーや外食産業、スーパーなどがやっていたと思いますが、さらに進んで末端消費者との受発注体制まで広がれば、市場の仕組みそのものが変わっていくと思います。

以上の他にも、可能性の芽があると思いますが、市場が私権原理に基づくものから評価を流通・統合するものへと変質していく中で、農業自体も変わっていくことによって可能性が開けていくように思います。

山田渉

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『生産の場として、儲かる農業』が、みんな期待に応える事になるのでは?

このところ、農業の生産性には期待しない、という論調がありましたが、少し違和感があったので考えて見ました。
例えば、農に期待される役割として、教育機能がありますが、それは農業が生産の場だからこそ=闘争圧力の加わる場だからこそ発揮されるものだと思います。同様に、地域の繋がり、再生を考える上でも、生産課題の共有無くしては成り立たないと思います。

また、現代は食べるに困ることはない時代ですが、その生産基盤の維持、存続という次元では、社会全体として課題を抱えています。小農制と市場流通によって支えられている食料生産の現状は、非常に脆弱だといえるでしょう。かつてみんなが農業をやっていた時代ではなく、ほとんどの人が農業から離れている現代だからこそ、農業生産基盤の確立(と社会全体としての組織化・統合)は、求められているのではないでしょうか。

このことは、「儲かる農業」にもつながってくると思います。儲かるということは、経営的に実現するということであり、そこから誰もが担える可能性を拓けるということだと思います。最近の農業志向を現実の力とするためにも、経営的に成り立つ農業が必要だし、これまで儲からない→仕事に出来ないという図式にあった農業を、新しい仕事にしてゆくことにもなると思います。

活力の面から考えても、儲からない農業では活力は出ないと思います。儲かる=お金が集まる=評価が集まる⇒活力上昇という意味で、儲かることは活力の指標であり、みんなの期待に応えているかどうかの指標にもなると思います。

(生産の場ではあるが儲からない(実現しない)農業とか、儲けは出ているがどんどん農業生産から離れてゆく、というのでは、みんなの期待に応えていないような気がしてなりません。)

馬場真一

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いちご農園の面白い研修

昼飯を食べながら、NHKの地方紹介番組を見ていました。

いちごを作っている農園なのですが、雰囲気が普通の農園っぽくないのです。代表がレポーターかと思うぐらいに話がうまいし、従業員も茶髪のにいちゃんで、お笑い芸能人のように機転の利く対応しています。

なんだか活力のある農園だな、どうしてだろう? と思っていたら、

「うちでは、特別な研修をしています。それは、ホスト研修です。」

一瞬、耳を疑いましたが、本当に「ホスト」でした。
いちご摘みに来た女性を、車のドアを開けてエスコートするところから始まり、美容師よろしく会話を弾ませながらエプロンを着せてあげて、ゴム手袋も息を吹き入れて膨らませてからはめてあげる、と至れり尽くせり。

「いちごは女性と同じです。やさしく扱って、相手の状態に応じて誠心誠意対応することが大切なのです。」と、代表。

ホスト研修の意図するところは「対象に同化・応合すること」であり、つまりは(農作物に対してでさえ)共認回路をフルに作動させることによってしか、成果を上げることはできないんだ、ってことを示しているのです。


> 極限状況の中で、人類は直面する現実対象=自分たちを遥かに超えた超越存在たる自然を畏れ敬い、現実対象=自然に対して自分たちの生存(=危機からの脱出)への期待を込め、自然が応望してくれる事を切実に願った。つまり、人類は直面する過酷な現実対象=自然を凝視し続ける中で、元来は同類を対象とする共認機能を自然に対して作動させ、自然との期待・応望=共認を試みたのである。そして遂に、感覚に映る自然(ex. 一本一本の木)の奥に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を措定する(=見る)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。直面する現実対象(例えば自然)の背後に精霊を見るのも、物理法則を見るのも、基本的には全く同じ認識回路であり、従って精霊信仰こそ科学認識=事実認識(何なら、事実信仰と呼んでも良い)の原点なのである。 <実現論1_6_02


「対象との同化・応合」って、何をするにも不可欠な、人類にとって基底的なスタンスなんだ、と改めて納得しました。

松尾茂実

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みんなが可能性収束できる社会を実現するための農業

>これらの投稿を読んで感じた事は、新しい・これからの農業を考えていく上で、今、言葉化されている、あるいは、実際に農業の中で提案されている課題や目標には、本物の可能性や展望は無いのではないか?
>一面的には実現すべき課題はあると思いますが、それを追求したところで本物の可能性には繋がらない、”業”としてだけ捉えた場合の当面の課題に過ぎないのではないかと思います。

この掲示板でもこの間議論が続いていますが、未だに農業問題の解決にむけた糸口が見い出せないでいる気がするとともに、問題へのアプローチに多少の違和感が残っていました。
それが丸一さんの投稿を読んで「農業からの発想」に問題があるのではないかと感じています。

現在農業ばかりでなく、家庭や会社、学校などのあらゆる局面で問題が発生している事を見ても、その原因は貧困の消滅という人類初めての転換に直面し、これまでの私権時代の枠組みで形成された社会構造が全く役に立たなくなってしまったという社会不全が根本原因である事は間違いありませんし、人々の潜在的な欠乏も新しい社会にあるのだと思います。

ですから「顔の見える関係」や「地産地消」等の提起も「これからの農業」「新しい農業」にとっては”とりあえず”の可能性でしかなく、人々が抱える社会不全に応えきれていない事が、いまひとつ収束できない原因なのでしょう。
その社会不全に応えるとすれば、みんなが収束できる社会を追求する以外に答えは無いように思います。

そのためには、農業をどうするかという発想ではなく、新社会を実現するために農業がどのように貢献出来るのか?という発想から始めることが必要では無いでしょうか。

>(みかん農家による無茶々園)がしたことは、同地域の海側(彼らが山の産業としたら、全然違う方面)でやってる漁師さんたちとの勉強会。(勉強会といってもその内容は、あなた達の仕事を教えてください。どういった仕事をしてるのか知りたいのです。という、まずは相手のことを聞くことからでした。)

私達がこの行動に惹かれるのは、山の認識と海の認識がそれぞれの立場を超えて新社会に視点が置かれているからではないでしょうか。

小は地域の寄り合いから大は政策委員会にいたるまで、これまでのような農業問題がまずありきというスタンスでは”とりあえず”以上の答えは出せないのでしょう。
みんなの不全である社会の問題を追求するからこそ、社会の期待も感じられ、農業という枠をこえた誰もに可能性が感じられるのだと思います。
社会不全をやり取りする中で、それぞれ立場でするべき新しい仕事が明らかとなり活力が生まれる。このような活動がネットワークの本来の目的であったのだと改めて気付きました。

小西康雄 

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新しい農業に求められるのは、共認原理による統合

農業(農村)の共同体化を考えるとき、過去の村落共同体との違いは何だろうか?
事実として、過去の農村は生産と生殖を包摂し、村落全体として統合された共同体であった。だが、今、かつての村落共同体そのままの復活をイメージしても、違和感がある。その理由は過去の農村が、家、氏といった私権小集団を単位として、その利害を調整(止揚)する場であったこと、家父長権(序列原理)に基づいて統合されていたこと、主に自然圧力(生存圧力)を対象としていたこと、などが挙げられると思う。
つまりは、共同体の中での人間関係や生産関係は、根底的には私権統合の枠内での関係であったと言えるだろう。

では、今求められている、新しい共同体の条件とは何か?
それは、「共認原理によって統合されている」ということではないだろうか。

農業が、自分の為でなくみんなの為の課題であるならば、それは私権を離れた共認によって担われなければ成立しないだろう。飢えの圧力を克服した現在、農業において「何をつくるか」「どうつくるか」あるいは「何をなすべきか」さえも、皆の共認を羅針盤にしなければ答えを出せない状況にある。

私権秩序に基づく現在の農業(農村)は、衰退の一途をたどっている一方で、元気のある生産者や若手育成に成功しているところは、組織の内外を問わず皆で考える姿勢が出来ている。農という生産基盤を維持、再生してゆくためには、共認原理による統合が不可欠の条件になると思う。

馬場真一


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仕事の面白さ

休みの帰省先の新潟で、親の知り合いのお百姓さんと会った。新潟県内の山間部で百姓をしている。山奥の過疎地で、かっては、30軒の集落だったのが、今や3軒しかないという、そんな村で育ちそのまま家業をついで百姓をしている。

彼は、先祖伝来の土地に加え、周りの人が耕すのを止めた棚田を買ったり借りたりして、4ヘクタールの田んぼと自家用の畑を耕している。そして、新しい人と知り合いになるのが楽しみらしく、いろんな会合や講演などに顔を出している。そんなところで自分の親とも知り合いになったらしい。

彼は、採れたての山菜を持ってやってきて、米作りしながらどんな点に気をつけているか話してくれた。年々変わる耕作機や、農薬の種類、米の価格、自由化や天候の影響など。驚いたのは、その様子が実直で淡々としながらも、すごく楽しそうであること。

いままで会った、農業をやっている人は(そんなに多くはいないが)、どこか農業の先行きに悲観的で、農業以外の道に活路を探しているか、どこか仕方なくやっているような感じがしていた。だから、こんなに元気にやっているお百姓さんには、初めて出会ったような気がする。

どうして彼が、元気なのか?それは、新しい人に会うと常に相手がどうしたら喜ぶか探っていることにあるように思えた。かれは、人に自分の作ったどぶろくや、山で採った山菜を送ったり、どんな米が求められているかを聞きながら、常に相手に期待を込めながら反応を見ている。そして次にどうしようかと前向きに考えている。

自分の思うとおりに行かないと、つまらないとか、しんどいと思ってしまうこともある仕事だけど、そんな生き方に触れて、本来の仕事ってやっぱりこうなんだと感じた。
・・・・自分よりもまず相手の期待を対象化して、しぶとく前向きに考えていくのは、どんな仕事も共通で、その結果として、相手が喜んでくれる。その喜びがほんとの仕事の面白さなんだろうと感じた。
(逆に普通と思える割り切ってやる仕事は、充足感に欠けてすごい片手落ちだ。)

最後に彼の年を聞いてほんとにびっくりした。50台後半くらいと見えたのだが、昭和3年生まれの76歳とのこと。明日も朝4時に起きて、田んぼに行くからと早々に帰っていった。

井上宏


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