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農村を活性化させる為には?

世界に誇る食文化を有する日本人

ほそかわ・かずひこのオピニオンサイト■米と理想的な食文化より、引用・抜粋させていただきます。

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穀物の中で、米は生産性が抜群です。モミが一粒まかれると、秋には500~700粒に増えるといわれています。米と麦を単位面積で比較すると、米は麦の約2倍の収穫を得ることができます。そのため、多くの人口を養うことができます。
 そのうえに、米は栄養的に素晴らしい食品です。米はでんぷん質が75%、タンパク質が7%含まれ、更にビタミンB1・B2や鉄分や食物繊維なども含まれています。これらの栄養素は、精米や調理法によって減少しますが、他の食材に比べ大変栄養価が高いといえます。
 そこで、米を主食とした民族は、こうした米の特長を生かした食文化を発達させています。

 我が国では、米を中心として、「ご飯とおかず」という方式の食事法を取っています。米をカロリー源として、米の吸収を早め、栄養を補うために副食をとります。副食類には、米の吸収を早めるために、一種の触媒的なアルカリ食品を、さらにミネラル、ビタミン類を補給する食品を、少量摂取しています。これは、実は合理的な食事法だといえます。
 白米の場合、主な欠点を挙げると、まず酸性食品であることがあります。次に完全無塩食品であることがあります。また、米をカロリー源としたために、タンパク質や脂肪、ミネラル、ビタミン類の摂取が少なくなりがちです。そこで副食類は、その3点を補うことに集中されます。

 第一に、酸性の中和剤として、日本人は梅干、味噌、漬物などの発酵食品を摂ります。特に素晴らしい発明品が、梅干です。梅干は、米の酸性を中和し、食べた米のカロリーのほとんどが吸収される役割を果たします。「日の丸弁当」といって、ご飯の真中に梅干が一粒という弁当がありますが、実はこの梅干が日本人のパワーの秘訣だったのです。
 第二に、米の澱粉は完全無塩食品ですから、塩分をいかに摂取するかが課題となります。塩は、空気に触れるとすぐ品質が変化します。そこで、日本人は、塩を空気に触れさせない方法を考え出しました。それが、他の動物の蛋白や繊維の中に塩を入れておくという方法です。この発想が、味噌、醤油、漬物が発達した原点です。味噌、醤油、漬物の中に塩を入れると、そのもの自体の発酵がそこで止まるという働きがあります。それと同時に、塩が空気に触れないから半永久的に保存されるのです。
 特に味噌は、傑作です。味噌は米と一緒に食べると、味噌のおかげで、米の酸性が中和され、カロリーがほとんど吸収されるだけでなく、栄養素が体の中に入ってから変質して、大切なアミノ酸に化すのです。ご飯に味噌汁という組み合わせが、日本食の基本です。
 第三に、さまざまな栄養素を補うために、日本人は魚類や大豆食品(豆腐、納豆など)、根菜類、海草類などを副食に摂ります。これらは低脂肪で食物繊維、ビタミン、ミネラルの豊富な栄養バランスの良い食事です。

 米を中心に組み立てられた日本食は、科学的に見ても非常に優れた食事であることがわかっています。そこには、豊かな先祖の智恵が盛り込まれているのです。
 日本食は、世界で最も健康に良い食事であると評価されています。私たちは世界に誇る食文化を有する国民です。理に適った日本食を見直す時ではないでしょうか

マリー

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食料自給率向上と地方活性化に向けた一提案

これまで議論されてきたように、日本国内における食料自給率の低下や農業の衰退は世界的な食糧危機に通じる問題である。そして、このような事態になった要因を抽出し、それらへの対応策を講じることなくして問題が解決に向かうことはないだろう。

日本で農業が衰退しつつある要因としては、よく「他産業より経済的に不利である」ということが言われる。しかし、経済性のみを以って農業の衰退を語ることは、人間の性質を見落としていると言わざるを得ない。

その人間の性質とは、「自分の役割に誇りを持つこと」ではないだろうか?ある高齢の農業者は、「戦後は我々が国民の食糧を担っているという自負があった。だから大変でも頑張ろうという気持ちになった」と語っていた。体力的にきつくても経済的に豊かとは言えなくても、誇りが農業を続けさせたと言うことができよう。

しかし、食糧が溢れる時代となった現在では、多くの農業者にとって「作物を育てて出荷するだけ」「しかも安く買い叩かれる」という構造になってしまっている。これでは自分が農業を営んでいることに誇りを持ちにくい。事実、「子供には継がせたくない」という農業者も多い。この状態を放ったまま農業再建や自給率向上を謳っても、当事者にとってはお寒いだけである。


では、どうすれば良いか?一案として「生産者と消費者の交流の場」をもっと増やすことが挙げられる。近年「道の駅」などの産直の場が増えているのは、直接販売による経済的利益だけでなく、「自分の育てた作物に対して消費者からダイレクトな反応がある」こともあると思われる。これをもう一歩進めて「地場産の農作物を使った食堂」のようなものを設立すれば、農業者が「人に美味しく食べてもらうこと」を強く意識することになるのではないだろうか?それはその地域共同体における農業者の役割を明確にし、誇りを持たせるきっかけにならないだろうか?

少々単純に過ぎるかもしれないが、人の反応を実感できることが農業者のやりがいに繋がり、更には農業を中心とした地域の共同体が確立し得る。これこそが食料自給率の向上と地方の活性化に至る1つの道筋だと言えよう。

ただ、「経済性だけが農業問題ではない」とは言いながらも、現代社会において経済性を無視することはできない。自力で経営が成り立つことが理想だが、まだ農業や関連事業にとって国や地方自治体からの補助金はありがたい存在である。どうせ補助金を出すなら、上記のような仕組み作りに充てて欲しいものである。少なくとも「金はやるから米を作るな」というような趣旨の政策よりは有意義だと思われるが・・・。


以上、拙い文章ですが何かのきっかけになれば幸いです。

KY

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大規模な農業形態は日本の自給率改善につながるのか?

大規模な農業形態は確かに“効率”が高いと言えますが、あくまでも“経済的効率”であり、持続的な自給率の改善や、自然環境との共生を考えると、むしろ危険もはらんでいるように思います。

////////引用開始////////
 農業生産の投入量と産出量を貨幣換算した上での経済学的な尺度でいえば、一つの農場が平均200haといった規模のアメリカの大規模農業は「効率的」で「生産性が高い」ということになるのです。しかし、熱学的な尺度による「エネルギー効率性」を見ると、アメリカ農業は世界でも最も「非効率」で、最も「生産性の悪い」、世界最悪の農業ということになります。

 現在、WTOの農業自由化によって、途上国で広く展開されている畜力農業が「非効率」のレッテルを貼られて淘汰されています。途上国は穀物自給率を低下させるとともに、米国などからの穀物輸入量を増やしています。途上国の側は、小規模農家の穀物生産が淘汰され、代わって前の記事の写真にあるようにアブラヤシ、コーヒー、ゴム、綿花、バナナ、コショウなどなど、輸出向け商品作物のモノカルチャー経営がますます興隆しているのです。競ってそれらを生産すればするほど供給過剰になって国際価格は下落するので、自給率を下げながら輸出作物を伸ばそうと頑張れば頑張るほど農業部門の貿易収支は悪化していき、米国で旱魃などが発生した場合の飢餓の危険性を高めるわけです。。
 熱力学的なメガネで見れば、エネルギー効率の非常に優れた畜力農業が、エネルギー効率が最悪の米国型機械農業に侵食され、地球生態系の破局と石油資源の枯渇を早めているだけということになるのです。

 熱力学的な観点に立つとどのようになるのか、例えば、『エントロピーの法則』(祥伝社)の著者として有名な米国の文明評論家ジェレミー・リフキンは、近著の『水素エコノミー』(柴田裕之訳、NHK出版)の中で次のように書いています。

<引用開始>
「熱力学の観点にたつと、近代的農業は歴史上もっとも生産効率の悪い農業形態ということになる。つまり、近代農業が一定のエネルギー量を産出するために投入するエネルギー量はこれまでのどの時代よりも多い。(人力と畜力のみに依存していた時代の)小農は通常1カロリーのエネルギー消費につき10カロリーのエネルギーを生み出す。これに対して、最新の技術を用いるアイオワ州の農場主は、人間の労働1カロリー当たり6000カロリーのエネルギーを生み出すことができる。とはいえ、この数字はエネルギーの純益を生み出すために使われるエネルギーの総量を計算すると、その輝きを失う。270カロリーのトウモロコシの缶詰一個を生産するために、農機具を動かし、合成肥料や農薬を与えることで2790カロリーが消費される。つまりアメリカのハイテク農場は、正味1カロリーのエネルギーを生産するために、10カロリー以上のエネルギーを使っているのだ。」
ジェレミー・リフキン著(柴田裕之訳)『水素エコノミー』(NHK出版、2003年、212頁)
<引用終わり>

 つまり、人力と畜力のみに依存していた農業はエネルギー投入1に対して10の産出をもたらしますが、米国農業は輸送や加工まで含めればエネルギー投入1に対して0.1の産出しかもたらさないわけです。米国型農業は、エネルギー収支で見れば、とてつもなく「非効率」で「生産性が悪い」のです。人間の労働力を省力化する代わりに、全てを石油ガブ飲みの機械で代替してきた結果です。

 石油の値段が安い限りにおいて、米国型農業が貨幣的な収支では「効率的」とされるわけですが、ピーク・オイルを迎えると言われる昨今にあっては、経済的な観点での「効率性」もいつまで続くか定かではありません。石油の値段が上昇を続ければ、遠からず人力・畜力農業の方が経済的にも効率的になる日がやってくるのです。

 生態学のメガネで見ても米国型農業は破綻しているといえます。フィリピンの写真にあるように小農経営の農地の境界には必ず林や茂みがあり、そこに鳥や昆虫などが多く生息しているので、それらは農地に害虫が発生した際にそれを食べる天敵として機能します。
 重機を導入し易くするために、米国型農業はそうした林や茂みを全て除去したので、天敵がいなくなりました。その結果、農薬散布量が増え、さらに害虫が農薬耐性を持つようになるので、農薬散布量をさらに増やす・・・・・というイタチごっこに帰結したのです。このイタチごっこの最終形態が、毒素を分泌する殺虫成分を作物の遺伝子に埋め込んで害虫を駆除するという、殺虫性遺伝子組み換え作物の登場なのでした。

 さらに水循環を無視した地下水の大量汲み上げも米国農業の「持続不可能性」を保証しています。ネブラスカ、カンザス、オクラホマ、テキサスなどの米国の西部穀倉地帯の農業は、オガララ帯水層という化石水を汲み上げることによって成立しているのですが、オガララ帯水層の化石水は既にかつての半分程度にまで減少しており、もう20年ほどで枯渇に直面すると言われています。

<なぜ小規模自作農家を守らねばならないのか? ②>「代替案」より
////////引用終了////////

市場原理においては、大規模な農業形態によって生産されるローコストな農作物は競争力があります。
しかし、廉価な石油がふんだんに使えると前提があってのことですし、自然のサイクルから逸脱した様式であるため、長期的には自然環境を破壊していきます。

市場原理に乗っかったままでは、仮に日本の農業を大規模化しても、他国がより大規模な形態で廉価に供給すれば、結局そちらを選択してしまい、自給率の改善は思ったほど進まないのではないでしょうか。

日本が自給率を改善していくにためには、国内農業に力を入れていくことと合わせて、市場原理から脱却することが必要なのだと思います。

西村秀彦

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日本の食料自給率はなぜ低迷してしまったのか?②

<①よりの続き>
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基本法制定時609万haあった農地のうち農地改革で解放した194万haを上回る230万haが転用・潰廃された。農地法は耕作権の強化等農地改革の成果を固定しようとした反面、農地改革が当然の前提とした農地の所有者・耕作者の義務を規定しなかった。「農地改革は“耕地は耕作者へ”という原則によって貫かれたのですが、この原則の前提には“耕地は有効に耕作されるべきである”というもう1つの原則があったはずです。
その自作地なり小作地をその自作農なり小作農なりが休耕しても自由である。自作地ならばその自作地の売買も転用もまったく自由であるとは考えられていなかったのです。土地保有は耕作者の責務を伴うものでした。農地法制定とその後の制度改正において、この責務を立法化することを忘れ法的義務として顕在化する工夫の必要に気づかなかったのです。」(小倉武一)
また、農地法による転用規制、農振法によるゾーニングも厳格に運用されず、大きな転用利益と転用期待を生んだ。農地の減少の約半分は宅地などの都市的用途への転用である。農地法制の制度・運用両面での問題も零細兼業農家を滞留させ構造改革を阻むとともに、食料安全保障に不可欠な農地資源を減少させた。農地減少の他の半分は耕作放棄等による農業内的壊廃である。ここでも高米価・生産調整政策の影響がみられる。自給率は低下しても米余りの中では農地は余っているという認識が定着し、農地資源の減少に対し農政関係者の間でも危機感を持つ者は少なかった。農地、水田が余っているのではない。米が余っているだけなのである。これは転用圧力も高めた。戦後の食糧難の時代人口7000万人に対し農地は600万ha存在した。現在人口1億3000万人に対し農地は500万haを切っている。今では国民がイモだけ食べてかろうじて生き長らえる程度の農地しか残っていない。

明治から1960年まで不変の3大基本数字といわれた農地600万ha、農家戸数600万戸、農業就業者人口1400万人は40年間でいずれも大きく減少した。農業就業者人口は280万人へ激減した。
フランスでも農家は減少したが農地は減少しなかったため、平均的な農家規模はフランスでは2.5倍に拡大したのに日本では36%(北海道を除くと17%)しか拡大しなかった。
また、農業就業者のいないパートタイム的農家が増加したため、今では農業就業者が農家戸数300万を下回っている。逆に第2種兼業農家の比率は3割から7割へ、65歳以上高齢農業者の比率は1割から6割近くへ上昇した。フランスの農業経営者の年令構成は35才未満12%、35~54才51%である。農業衰退に歯止めがかからず、消費者への食料供給にとって憂慮する事態である。

『3.誰のための食料安全保障か』
農政は戦後の消費者行政から生産者保護行政に転換した。しかも、不十分なゾーニングに加え、消費者に負担を求めながら全ての農家に利益が及ぶ高米価政策をとったことから、兼業農家は利益を受けたが、農業の構造改革は遅れ、食料供給の主体となるべき企業的農家は育たず、農業の体力は衰え、米過剰の一方で食料自給率は低下した。もちろん、いかに食料安全保障が重要だとしても無駄で過大なコストをかけてよいというものではない。

国内生産にも効率性が求められる。食料が不足して困るのは消費者であって農家ではないからだ。食料安全保障とは本来消費者の主張であって農業団体の主張ではない。1918年の米騒動で米移送に反対して暴動を起こしたのは魚津の主婦であって農家ではなかった。戦後食料の買出しのため着物がひとつずつ剥がれるようになくなるタケノコ生活を送ったのは都市生活者であって農家ではなかった。近くは1993年の米の大不作、いわゆる平成の米騒動の際、スーパーや小売店に殺到したのは消費者であって農家ではなかった。

これまでの政策は食料自給率向上とは逆の効果を持つものだった。
しかし、それでは狂瀾を既倒に廻らすような政策はないのだろうか。
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以上引用おわり

改めて上記の事実を踏まえ、市場→国家に振り回されないためにも、本当に必要なもの見定めた上で、本来の農業の姿を提示していきたい。

リンゴヨーグルト

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日本の食料自給率はなぜ低迷してしまったのか?①

そもそもなぜ日本は、米から麦の消費にシフトしていったのか?。
自給率の低迷(混迷)の原因をつくりあげた政策の実態を紹介したい。


以下引用スタート
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「何が食料自給率を低下させるのか」
2004年7月25日号 『週刊農林』に掲載
山下 一仁氏
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『1.食料自給率の低下』
我が国の食料自給率は1960年の79%から2002年には40%まで低下し,穀物の自給率は82%から28%にまで低下した。

その要因は急速な洋風化による食生活の変化であると説明される。
1人1年当たりの米消費量はピーク時の1962年118kgから63kgに減少した。他方、この間、小麦の消費は26kgから32kgへと増加している。この結果、米について約1400万トンの潜在生産力がある中で約450万トンに相当する生産調整を実施する一方、米の生産調整量を上回る約600万トンにも及ぶ小麦を毎年輸入している。
また、畜産物や油脂の消費が増加したが、これらを生産するための飼料穀物や大豆は輸入に依存した。1960年の国民1人1日当たり供給熱量2291キロカロリーの内訳は、米1106、畜産物85、油脂105、小麦251、砂糖157であった。しかし、2002年の同熱量2758キロカロリーの内訳は米612、畜産物400、油脂379、小麦321、砂糖210となっている。
米の一人負けの状態である。


『2.なぜ食料自給率は低下するのか。』
しかし、いかなる産業分野でも消費が変化しないものはなく、それぞれに対応してきている。なぜ我が国農業は対応できなかったのか、農政に対策はなかったのだろうか。

これに答えるためには、農業基本法とその運命についての説明が必要である。1961年制定された農業基本法は経済が著しい成長を遂げる中で、農業部門からの労働力流出により農業経営規模は拡大し、我が国農業の零細性という構造問題を解決できると期待するとともに、消費面では、所得が高まるにつれ消費が拡大すると見込まれた畜産、果樹等に農業生産をシフトさせ、食生活の変化に我が国農業を対応させようとするねらいを持って策定された。農業基本法は農業の構造改革による規模拡大、コスト・ダウン、これを前提として、需要の伸びが期待される農産物にシフトするという選択的拡大、あくまでもこれらを補完する安定政策としての価格政策、これらを通じた農工間の所得格差の是正を目的とした。食生活変化への対策はあったのである。


しかし、実際の農政は農家所得の向上のためのコスト・ダウンではなく米価を上げる道を選んだ。米の消費は減り、生産は増え、30年以上も生産調整を実施している。米価が重点的に引上げられたため、米と麦等他作物の収益格差は拡大し、農業資源は収益の高い米から他の作物に向かわなかった。
選択的拡大のためには本来なら消費の減少する米の価格は抑制し、消費の増加している麦等の価格を引上げるべきであったが、逆に米の生産を増加させ、麦の生産を減少させる価格政策を採ったのである。
これは麦の安楽死政策と呼ばれた。食管法廃止後も生産調整によって米価は維持されている。さらに、兼業化が進み二毛作から米の単作化に移行したことも耕地利用率を下げ、食料自給率を低下させた。選択的拡大をしたのは輸入食料だった。1960年から73年まで、小麦生産は150万トンから20万トンへ、大豆生産は42万トンから12万トンへ減少した。その後穀物危機を契機として国産麦の生産振興にも努めたが、いったん品質の違う外麦に移った需要は戻らなかった。今や讃岐うどんの原料はオーストラリア産のASWという品種である。高度成長期以降の農政は消費者から離れていった。これを端的に示すのが食料自給率の低下に他ならない。自給率の低下は我が国農業生産が食料消費からかい離し、消費の変化に対応できなくなった歴史を示している。国内農業が対応できなかった消費の空白を輸入食料が埋めていった。選択的拡大をしたのは輸入食料だった。

農産物一単位のコストは面積当たりのコストを単収で割ったものだから、品種改良等による単収の向上は農産物のコストを低下させる。しかし、米過剰のもとでは生産調整の強化につながる単収の向上は抑制された。農地の集積も規模の経済を発揮させコストを下げる。しかし、高米価のもとではコストの高い農家も米を買うより作るほうが安上がりとなるため、零細農家が滞留し農地は担い手に集積しなかった。1つの問題にはそれを直接解決する政策を採ることが経済政策の基本なのに、農家所得を直接向上させる政策ではなく価格支持という間接的な政策を採ったため、食料自給率や国際競争力の低下等大きな副作用が生じてしまった。
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<②へ続く>

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食物高騰は日本の未来に何を与えるのか?②

<①よりの続き>
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国内米価と中国産米の日本への輸入価格をみると、国際市況を映し中国産価格が上昇している一方で、日本の米価は内需減少で低下している。これは関税で日本の国内市場が国際市場から隔離されている証左だが、より注目すべきは2つの価格が接近していることである。筆者の試算では、生産調整をやめれば米価は現在の中国産米輸入価格を下回る60キログラム当たり9500円に低下し、国内需要も1000万トンに拡大する。


食管制度以来、農業団体は「米価を下げると農業依存度の高い主業農家が困る」と反論してきた。ならば現在の1万4000円から価格が下がった分の約8割を彼らに補てんすればよい。流通量700万トンのうち主業農家のシェアは4割なので約1600億円ですむ。これは生産調整カルテルに参加させるため農家に払っている補助金と同額である。

主な所得を農外から得ている兼業農家も主業農家に農地を貸せば現在年10万円程度の農業所得を上回る地代収入が得られる。主業農家の規模が拡大してコストが下がれば、受け取る地代も増加する。

財政的な負担は変わらない上、価格低下で消費者はメリットを受ける。さらに、日本の人口は減少するが世界の人口は増加する。これまで国内需要にしか目を向けてこなかったことが農業のじり貧を招いたが、需要先を海外にも広げるのである。価格が安くなったコメを日本が400万トン輸出したとしても中国の穀物需要の1%にすぎない。食糧危機が生じた際には、輸出していたコメを国内に向けて飢えをしのげばよい。

大正時代米騒動を起こしたのも、戦後タケノコ生活で飢えをしのいだのも、消費者であり、食糧安全保障は本来消費者の主張である。食料の供給を制限し、高い価格により消費者家計を圧迫する政策は食糧安全保障と相いれない。

自給率39%とは61%の食料を国際市場で調達し、食料輸入途上国の飢餓を増幅させていることにほかならない。EUも生産調整を廃止しようとしている。筆者は数年前からコメの生産調整廃止を主張してきたが、農政は抜本改革に後ろ向きだった。政府首脳からも減反見直しを示唆する意見が出ているこの時期こそ、戦後の消費者負担型農政から脱却し、輸出によって農業を縮小から拡大に転じる好機である。これこそが、日本が食糧難時代に行える国際貢献であり、かつ日本の食糧安全保障につながる政策である。
____________________________
以上引用おわり

上記の方針に加え、改めて本当に農業の生産性を上げるにはどうしたらいいか?(生産量を上げれば水不足→工業農業の道か?)。
そしてその根本にある食糧消費の必要か否かを見極める課題をつめなければならない。

以下その他参考資料
<輸入輸出品総量の諸統計データ>

<畜産物の需要関係の諸統計データ>

リンゴヨーグルト

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食物高騰は日本の未来に何を与えるのか?①

食物高騰は日本の未来に何を与えるのか?。
日本と世界のパワーバランスの事実経緯をまずおさえていきたい。

以下引用スタート
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「食料高騰下の農業政策 減反政策やめ増産目指せ」
日本経済新聞「経済教室」に掲載
山下 一仁氏
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穀物価格の高騰が紙面をにぎわしている。今後も高値水準が続くことが予想される中で、日本の農業政策はどうあるべきかを考えたい。

まず国際農産物市場の特徴を考えてみよう。各国の貿易政策で、国際農産物市場は各国の国内市場と分断・隔離されている。各国は国際価格が低迷しているときには関税で安い農産物が入らないようにし、国際価格が高騰すると輸出税をかけたり輸出数量を制限したりして国内消費者への供給を優先するからである。

しかも工業製品と異なり、穀物は生産量のわずか約15%が貿易されるにすぎないため、わずかの需給変動が貿易量や国際価格を左右する。1973年に穀物価格が3-4倍に高騰し食糧危機が叫ばれた折、世界の穀物生産は3%減少しただけだった。

日本は高関税で支えられた高い農産物価格によってコメなどを保護しながら、一方で麦やトウモロコシなどを大量に輸入し世界一の農産物輸入大国であり続けた。不測時の食料供給(食糧安全保障)の観点から、今後もこうした方向はとりえるのだろうか。
◆◆◆

ウルグアイ・ラウンド交渉で、農産物に関し日本は輸出禁止などの輸出数量制限措置を規制することを提案した。だがインド代表から「不作の時に国内供給を優先するのは当然」と反対された。

95年―97年に穀物の国際価格が上昇した際、欧州連合(EU)は、輸出補助金をやめ輸出税を課して途上国への食料供給より域内市場を優先した。現在、インド、ベトナムが輸出を禁止し、ロシア、中国は輸出税をかけている。

かつて、輸出数量制限を廃止しこれを輸出税に置き換えた上で削減することを提案していた日本は、最近、輸出数量制限の容認に転向し、輸出国との協議が不調になった際には専門家の委員会に輸出制限措置の是非を判断させるという内容に提案をトーンダウンさせた。しかし、このような日本提案さえ、「これまで国内農業を保護するため高関税で輸入しないといいながら、困った時には輸入させろというのは虫がよすぎる」との批判にさらされている。
◆◆◆

インド代表が言うように、国内で飢餓が起きているのに他国に輸出しろというのは現実的ではない。結局頼れるのは自国の農業であるということを我々は再認識しなければいけないはずだ。ところがその国内農業をみると、食料自給率は60年の79%から39%に低下した。

これは食生活の洋風化のためだとされる。そうだとしても、米価を下げ麦価を上げる政策をとれば、自給率はこれほどまで低下しなかったはずだ。だが現実には逆の政策が採用された。60年代には米価を大幅に引き上げる一方、麦は生産者価格を物価上昇程度しか上げず、消費者価格はむしろ引き下げられた。

高米価はコメ消費減に拍車をかけた。1人当たり消費量は過去40年で半減したが、コメは生産が刺激されて過剰になり、70年から40年近く減反や転作による生産調整を続けている。一方麦の生産量は、その後の振興策にもかかわらず100万トン強と60年の4分の1の水準にとどまる。現在でも500万トン相当のコメを減産する一方、700万トン超の麦が輸入されている。

95年の食管制度廃止後も、米価を維持しようと生産調整が続いている。これは供給制限カルテルで、高い価格というコスト負担を強いられているのは消費者である。

ところが生産調整面積が110万ヘクタールと水田全体の4割超に達しているのに、米価の下落傾向は止まらない。生産調整には麦や大豆などに転作させ自給率を向上させる目的で補助金が支払われているが、実際に作物が植えられているのは43万ヘクタールにすぎない。米価を維持しようとすれば生産調整をさらに拡大する必要があるが、農家の側にはもはや減反は限界との意見が強い。

十分な農地がなければ食糧安全保障は達成できない。ところが自給率低下にもかかわらずコメの減反で、「農地も余っている」との認識が定着し、公共事業などで110万ヘクタールの農地を造成したのに、逆に260万ヘクタールの農地が宅地などへの転用と耕作放棄で消滅した。今では摂取カロリーを最大化できるイモとコメだけ植えてかろうじて日本人が生命を維持できる460万ヘクタールが残るのみである。減反主体の生産調整拡大で農地は一層減少し、日本の食糧安全保障は危うくなる。

生産調整と価格維持を軸とした従来のコメ政策の誤りはもはや明らかである。農産物をめぐる現下の国際情勢を考えれば、政策の抜本転換は待ったなしといえよう。

農業には農産物供給以外にも、水資源涵養や洪水防止といった多面的機能があるといわれる。しかし米作の生産装置である水田を水田として利用してはじめて多面的機能が発揮できることを認識すべきだろう。

今後のコメ消費は、高齢化の進展で1人当たり消費量が減少するだけでなく、人口減少に伴う総消費量の減少という二重の影響を受ける。これまでどおりの米価維持政策をとることで今後40年で1人当たり消費量がさらに半分になれば、2050年ごろにはコメ総消費量は今の850万トンから350万トンになる。生産調整は210万ヘクタールに拡大し米作は50万ヘクタール程度ですんでしまう。日本農業は大幅に縮小し、農地資源も多面的機能も減少する。

<②へ続く>

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設立一年目にして、2億円を売り上げ、1千万円の営業利益計上した農業集団

独自の生産・販売システムを構築して成功している農業人たちがいる。株式会社信州がんこ村という生産集団だ。

創立者である横森氏は就農当時から「国家公務員なみの年収」「生産者と流通業者が共存できる関係」を目指し、まずは個人として農協を通さずに愛知県にあるスーパーサンヨネと独自の直販ルートを構築。個人農家として成功をおさめた後、株式会社信州がんこ村を設立した。

同社の事業内容は、生産者への技術指導・農業資材の販売・農産物の集荷・予冷・販売などいわば農協と大枠は一緒であるが、その中身は以下に記すように大きく異なる。

●成功の秘訣(その1)は、既存の市場の枠組みに囚われず、皆が喜ぶ新たな流通システムを構築したこと。

具体的には、
・物流コストはスーパー側が負担
・受注生産方式による安定需給
・最低価格保証

とりわけ最低価格が保証されている点が大きい。生産者は安心して農業に取り組むことができるから、金銭的および精神的な余裕ができ、土づくりや栽培によりエネルギーを割くことができる。結果として、商品の質はアップし、消費者の満足度もアップする。

これは当然スーパーにもメリットとなる。

スーパーサンヨネの営業部長は両者の関係継続の理由として、商品力(レタスは甘くておいしい)、人柄(常に前向き。人生の師と仰いでいる)を挙げているが、このほかにも、レタスだけでは4トントラックが満載にはならないため横森氏が紹介した地元の野菜・乳製品を混載してスーパーの物流費の負担を軽減しているなど、お互いの工夫と配慮がこのシステムを支えているようだ。

●成功の秘訣(その2)は、農家=「生産者側」、スーパー=「消費者側」という対立概念を捨て、自然外圧や消費者の期待圧力に対して協働関係を構築できたこと。

横森氏曰く「流通は消費者相手の商売。店は一日も休めないので安定供給を求める。一方、一般的な生産者は、農協や卸売市場に出せば終わりだ。両者のギャップを埋めなければ両者がメリットを得ることはできない。特に、生産者にはなぜ一度決めた契約、出荷量を守らなければならないのかということを理解してもらうのに苦労した。」

例えば、台風で参加農家が収穫を休んだ場合、信州がんこ村の社員がその農家の畑に出向き、代わりに収穫をするということもあったという。すると、農家も家の中にじっとしてはおられずに一緒に収穫作業をするようになった。ユーザーにとって安定供給がどれほど大切かということを、横森氏は身をもって生産者に示し、理解を得たという。

●成功の秘訣(その3)は、参加農家メンバの間で生産能力評価のヒエラルキーを構築したこと。

当初、同社には30名以上の生産者メンバがいたが、栽培技術・野菜の品質・営農意欲にバラつきがでてきた。横尾氏は設立当初に「5年間で栽培技術を高める」という課題を参加農家へ一律に課したわけだが、能力差の問題にぶつかったわけだ。

苦渋の決断として、2005年からは20名については「がんこ村」というブランドで販売を継続し、残りの生産者ついては本人の意思を確認した上で、ブランドを外し、ノーブランド商品を求める売り先とマッチングさせることとしたという。

つまり、既存の市場システムが作り上げてきた「生産者」「流通業者」「消費者」という相対立する概念を取っ払い、お互いを戦略パートナーとして意識し、皆が喜ぶ新しいシステムを模索し、構築しえたことが彼らを成功に導いたといえる。

しかし、彼らの成功を根底で支えているのは、やはり商品力であり、その更に奥には、横森氏自身が祖父から教わったという「土づくり」がある。

>高度経済成長のころ、農薬や化学肥料に頼る「近代農業」が当たり前だった。でもそれは循環型の農業ではなかった。最大の問題は、土がぼろぼろになってしまうことだった。人間ができるだけ楽をして、土の方をぼろぼろにしてしまったのが「近代農業」だから、これが長続きするはずはない。
 やる以上、危険も犯さなくてはといろいろ挑戦した。県普及センターで、自己負担で六年間、試験データをとり、炭に対して勉強した。炭にプラス・アルファすることで、まだまだ素晴らしい結果が出る。炭によって、人生が変わった。素晴らしいエネルギーを持った野菜ができたんです。
 いい土を作るためには、まず、いい堆肥を作ることから始める。堆肥こそ、土の中に住む微生物の栄養源となるものだからだ。堆肥の原料には牛糞、稲わら、樹木の落ち葉などを使っており、私はさらに木酢液も入れている。堆肥に木酢液を振りかけて、それを畑にすき込んで行く。堆肥以外にも、さまざまな栄養の補給を心がけている。だいたい十種類ぐらいの資材は常に手に入れている。<

祖先への感謝、大地への感謝、自然の摂理への感謝が彼、そして信州がんこ村の成功の一番根底に横たわっているように思う。

<参照>
・長野県におけるレタス生産動向と佐久穂村(株)信州がんこ村の取組み(青山浩子)

・国柄探訪: 夢と誇りを持てる農業を

・〝正しい農業〟=横森正樹さんの熱い思い

六文銭

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賞味期限問題は、生産・消費が分離されているという問題

賞味期限とは、主に加工食品について、安全性や味、風味が保たれる期限として製造者が設定し表示するものである。

食品がまだ食べられるか否かは、外観の変化を見たり、においを嗅いだり、少しだけかじってみれば概ね判断出来るものであり、生鮮食品については従って賞味期限の表示義務はない。また、米についても、精米年月日(玄米を精白した日付)を表示することとなっており、そこから現時点での品質がどれほどのものか、経験的に判断出来るという感覚(実態)を残すものだと思う。

加工食品についても、安全性や品質劣化の程度は、同様に人間の五感で判断出来るものがほとんどと思われるが、こちらはむしろ流通の問題から、賞味期限表示がなされていると考えられる。みそ、しょうゆ、といった調味料から、乾麺、レトルト食品、菓子類など様々あるが、比較的長期間保存が利くからこそ、スーパーの棚に並んだ製品を手にしたとき、いつまで保つのか、目安となるものであろう。

実際の加工食品の流通では、箱や袋に入っていて中が見えない、誰がどこでどのように作っているのか分からない、どのくらい保つものなのか分からない、そもそも初めて知る食べ物である、といった事が、(消費者の経験(知恵)の低下と相まって)賞味期限の表示を必要とさせているのだと思う。
生産者と消費者が区別なく、あるいは少なくとも互いの信頼関係に基づいて、生産、消費が行われていれば、本来必要のない表示であろう。食べ頃はいつなのか、どのように保存(保管)すべきか、どのくらい保つものかといったことを、生産者から消費者に直接伝えることの方が、本質的に重要な事だと思う。

馬場真一

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我々が危険な穀物商社の食品を食べず買わず自前用意することで、ロックフェラーは壊滅する

『ロックフェラーは壊滅する』(オルタナティブ通信)より転載します。
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文献紹介2:

まともな食べ物を取り戻す会編「新版・まともな食べ物ガイド」学陽書房

ロックフェラーの経営するカーギル社等の穀物商社の食品は、農薬、化学肥料漬けであり、危険で食べたくない・・こう考える人々が70年代から、自前の無農薬、無化学肥料の食品の生産流通網を形成して来た。組織の数は、本書に紹介されているだけでも日本国内で数百組織、そこに関わる人間の数は百万人を優に超える。

これだけの数のロックフェラー包囲網が、既に出来上がっている。本書を一覧すると、カーギル等を押さえ込む事はかなり容易である事が分かる。

本書に紹介された組織は、流通から出てきたもの、生産者の集団から発展してきたもの等、諸々ある。少し整理すると・・

1. 有機農業の生産活動に専念し、農業技術の研鑽に専念している個人、組織。

2. 1を組織し、生産者団体、流通組織、消費者団体を組織し、有機農業の生産=流通=消費=リサイクルの「社会組織形成」を目指すネットワーク集団。また後継者育成の教育にもこのネットワーク集団は熱心である。

3. 1、2の自然発生的な組織の経験を踏まえ、地域、国家の食糧自給率の向上を目指し、行政等に働きかけ、総合的な食糧自給計画策定を目指すグループ。地方議会、国会の議員とそのスタッフ・グループ。政治集団。

4. 日本の食糧自給率アップは、WTOとその背後にある多国籍の穀物商社との激しい「対立、せめぎあい」によってしか達成出来ない。多国籍企業穀物商社の世界の「食糧支配戦略」を読み解き、分析するグループ。このシンクタンク機能、戦略策定グループが、日本の有機農業には決定的に欠けている。

以上の1~2までの組織、有機農業の「実働組織」は膨大な数が既に日本に存在し、過去30年をかけ十分過ぎる程、経験と実績を積み上げて来た事が本書で分かる。

今後は、3~4のトータルな食糧自給体制確立を目指した政策作り、実行と、多国籍の穀物商社の活動の分析、対抗基軸の明確化が課題となって来ている。

ロックフェラーは市民生活への寄生虫であり、寄生しないと生きて行けない。危険な穀物商社の食品は食べない買わない自前で用意する、そうする事によってロックフェラーは「枯死に」する。原油、エネルギー問題も同様である。富=紙クズのドル紙幣、ユーロ紙幣をいくら大量に持っていても何の意味も無い。ドル紙幣、ユーロ紙幣、金塊をどんなに大量に持って来ても、私達はロックフェラーにはジャガイモ1つ売らない。
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猛獣王S

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グローバリズム批判と超市場論

確かに、近代市場論から見ると、日本の農業は工業生産と米国等の農業生産に対して、圧倒的に競争力がない。

反グローバリズムの理念だけでは、農業再生、食料自給率戦略へ収束しないのはその通りです。しかし、グローバリズムを私権の価値観念と規定するだけでは、不十分です。

事実認識として、以下の視点が必要です。

現代のグローバリズム原理の限界を先ずは解剖する。

グローバリズムには、2つの矛盾とシステム崩壊を内在している。

1つは、先進国の豊かさ実現により市場縮小過程に入っている。その市場を無理やり成長させようとすれば、必ずバブル化し、周期的なバブル崩壊(秩序崩壊)過程を辿る。(2000年代に入ってからでも、ITバブルと住宅バブルの崩壊を起こしている。)

2つ目は、先進国の市場縮小から、途上国の市場拡大と富の収奪をめざすが、途上国世界の中に、少数の私権成功者と圧倒的多数の敗者を生み出す。この収奪構造は、途上国の安定構造を崩壊させ、暴力反発を伴い、世界全体の秩序を崩壊させる。(石油資源収奪の為に実行したイラク戦争。しかし、軍事費用が、既に、石油利益を大きく上回り、原油価格の高騰として、先進国の豊かさにはね返っている。)

グローバリズムでは、うまく行かない事をもっと鮮明にする事が必要です。

その上で、市場競争の圧力では発揮できなくなった活力、例えば「もうかる農業を!」と旗を振られても全然やる気がでなくなった活力の再生。新しい活力源としての農業収束、自然の摂理を読み解きながら行なう仕事活力、食糧という基底的な局面で成立する信認関係、結果としての自給率拡大等々を各々固定して行く。

「超市場(超近代市場)の農業論」とは、そのようなものだと思います。

レオンロザ

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