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農村を活性化させる為には?

定年後の人々の副業から考えると「本当は農業がやりたかったのだ」ということが分かりますね☆

ふと思えば、会社を退職された方々がガーデニング→畑をされていることに気づかされます。

若いときはお金になる仕事をしなければなりませんからどうしても工業や商業や役所に入ることが多いです。私の自宅のお隣も農家生まれですが、ごく若いころは家の農業の手伝い、所帯を持ってからはパン工場に勤め、定年退職して10年ほどになります。今はご自宅の庭と少しばかり畑を借りた面積で農業をしています。

収穫期になりますとおすそ分けをいただきますが、数年前から私も少しずつ花や野菜をやり始めたので仲間意識が芽生え、やり取りする量が増えてきました。

そのお隣さんのように元農家だった人はもとより、農業を全くしなかった人たちも本当は農業がしたかったことが明確に分かるほど、どこの家でも何かしらの作物が見られるようになりました。

会社の兼業であれ、年金の兼業であれ、兼業に農業を選ぶということは共通しており、兼業に工業を選ぶ人は滅多にいません。それほどまでに農業は食と健康に良く高齢者でも子供でも手伝うことがたくさんあり、生産物は万人に喜ばれます。喜ばれるけれど金にならなかった。そこのところのネックは副業ならそれほど気になりません。逆にやっただけしか生産できない≒経費がかからないので分かりやすいです。

生産性に関しても自然条件におおきく委ねられるので、豊作不作が共通しており、共通の充足のために社会普請を考えられます。

農業以外にもそういう感じの事業がないかと考えると、塾なども本当はそれぞれのやってきたことが良ければ次の世代に種を蒔けるので農業のようなものです。おばあちゃんの知恵に代表される地域の知恵も、今は核家族だから伝承相手がいないですが、自分の家族に限定せずに気軽に伝承できる土壌作りが社会という畑には必要ですね。

佐藤英幸

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兼業農家の必然性――世界に冠たる担い手システム

蔦谷栄一(株)農林中金総合研究所 特別理事(週末は山梨市牧丘町で自然農法を実践)が『月刊現代農業』に寄せられた“意見異見”より。
『兼業農家の必然性―― 世界に冠たる担い手システム』を紹介します。

***(引用開始)**************************************************
 戦後日本はアメリカモデルにすっかり毒され、これが固定観念化してしまっているといわざるをえない。戦後一貫してのアメリカ追随が、わが国に高度経済成長をもたらしたことは事実だが、多くの歪みをもたらしたことも確かである。さらには自由化・グローバル化による経済至上主義を極端に推し進めた小泉構造改革によって、ひと握りの“勝ち組”に富が偏重する「格差社会」がもたらされつつある。

 農業の世界でもアメリカモデルを暗黙の前提にして近代化が進められてきた。すなわち、戦後、大農機具導入と農薬化学肥料使用によって大規模化・専業化・生産性向上が推進されてきた。だが結果的には、1960年度に一戸当たり0.66haであった平均経営面積は、2002年度で1.88haと2.8倍に増えるにとどまった。また農家の専兼比率をみると、60年度に専業農家34.3%、第1種兼業農家33.6%、第2種兼業農家32.1%であったものが、02年度では専業農家20.1%、第1種兼業農家13.1%、第2種兼業農家66.8%となっている。大規模化・専業化の歩みは遅々としたものであった。このため農業は日本の産業の中で“劣等生”と刻印され、兼業農家はわが国農業の大規模化・近代化を阻害する張本人だと揶揄されてきた。

 こうしたなかで、実質的に手つかずのままきた構造政策の柱である担い手対策が、品目横断的経営安定対策として実行に移されている。まさに小泉構造改革の農業版である。

 多くの兼業農家の存在が大規模化・専業化を阻害しているとの議論には、「百姓を馬鹿にするのもいい加減にしろ」と声を荒らげざるをえない。 
      
 専兼比率とは若干異なるが、作物・畜種別の主業農家比率なるものをご覧願いたい。これによれば02年、米では主業農家比率37%、準主業農家27%、副業的農家36%となっているのに対して、米以外での主業農家比率は、野菜83%、果樹68%、花き86%、生乳96%、肉用牛93%、豚92%となっている。これらの数値は、専業化・規模拡大のメリットのある作物・畜種については、日本でもすでに専業化・規模拡大が進行していることを雄弁に物語っている。

 逆にいえば、米では専業化・規模拡大のメリットが得られがたいがゆえに専業化・規模拡大がすすまなかったと理解するのが素直であろう。「百姓の知恵」が兼業化を志向してきたともいえる。現に、大規模専業米生産農家ほど所得確保に苦労するという「農政の矛盾」を露呈してきた。水田稲作が装置産業化し、土日中心の農作業で生産対応が十分可能になったことが大きいとはいえ、農外収入によって生活費を確保し、赤字覚悟でも米を生産することによって、兼業農家は水田を守り、地域を守り、お墓を守ってきたのである。それなのに、所詮、国際競争力を獲得できるはずもない規模の4ha以上の認定農業者か20ha以上の集落営農を担い手とし、これに絞って支援しようというのである。

 国民一人当たりの米消費量が減少を続け、人口は減少に転じ、現状約4割もの生産調整がさらなる強化を余儀なくされるなかでの規模拡大は、たいへんなリスクを農家に強要することになる。むしろ国際競争力云々ではなく、耕作放棄地等が増加するなかで農地を集積してくれる人を支えていくというのが、実態に即した整理なのである。できるだけ兼業農家にも頑張ってもらい、地域農業を守っていくなかで、作付けできない農地を主たる担い手が助成を得ながら集積をすすめ、農地として維持していくことが求められているといえる。

 ここで、とくに2つのことを強調しておきたい。第一に、現状は絶対的な担い手不足の状況にあるのであって、そもそも「小農切り捨て」などはもってのほかであるということ。第二に、多様な担い手によって地域農業を守っていくという前提を抜きにした議論は、農村・共同体のつながりを弱体化させ、農業生産の停滞ばかりか暮らしの貧困化をもたらしかねないということである。兼業農家にできるだけ頑張ってもらい、さらに退職後は企業等での経験も生かし、専業農家として地域のリーダーとなって活躍してもらうことが、現実的には最大の担い手対策であろう。
(後略)
***(引用終了)**************************************************

同感である。
ただ多様な担い手として企業が加わらなければ、先細りになるだろう。
企業も農業専業である必要はなく、他業種との“兼業”でよいわけで、むしろそうして多くの企業が参入したほうがいいと思う。


匿名希望

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農業は医療や教育と同じく人類(集団)にとって不可欠の事業であり、脱市場原理の最先端可能性といえるのでは?

農業に携わっている人も交えてこれからの農業の可能性について話し合ってみた。

「超国家・超市場論13 人類の新たな活力源=圧力源」 四方勢至
>また、既に動物的な生存圧力を克服した共認社会では、環境その他の人類的課題に対する期待・応望の同類圧力=共認圧力が解脱充足と並んで主活力源となり、人々の期待に応える政治や哲学や科学や芸術が主活動となる。

 貧困が消滅して以降、それまでのように生きるための食糧を生産するという課題は希薄になっていく。食べるだけならば、世界中から安く農産物が輸入されてくる。人件費が日本の1/10、あるいは規模において数百倍以上の大規模農業の効率性と比較すれば、単純にコスト競争では歯が立たない。しかし、多くの人はだからといって国内の農業をやめてしまっていいわけではないと感じている。

 しかし、そこが鮮明になっていないが故に、結局は安い商品に淘汰され、結果として利益もほとんど残らず、農業は儲からないというようなマイナスイメージとなってしまっている。

 ただ、実際に農業をやっている方の意見としては、儲からないのは市場原理の中、価格競争圧力によって低価格構造から脱しきれなかったり、豊作や不作で需給バランスが崩れ価格が大きく乱高下することも計画的に経営を続けていくことが難しい原因となっているとのこと。

 要は、安定した価格(別に高額でなくともよい)で継続的に購入してくれる顧客さえいれば、農業は今でも充分に成立するはず。そのためには安定した販路を構築する必要があるわけですが、そこで評価されるのは商品そのものというよりは、作り手の姿勢であり、その背後にある状況認識や課題設定にあるのではないか。

 その状況認識と課題共認によって追求され導き出された「答え」に人々は共鳴し、その作り手の事業を応援したくなる(つまりは、農産物を購入する事で)。そういった信任関係にまで高められなければ、結局は価格が安いという「金銭的メリット」だけで様々な小売店や直売ネットと比較され、安定した関係にはいたらない。

 とすれば、信認に基づく販路開拓とはすなわち、「農業を取り巻く社会状況認識→課題共認→答えの追求→実現態としての農業事業」という認識を発信し、その内容に共鳴共感し協働してくれる人たちの共認域を拡大していくことと同義なのではないか。

 よって、もっとも重要なのは「何の為に農業をやっているのか」「社会にとって何故農業が必要なのか」への答えなのではないかと思います(商品の売り方や営業方法などはその前提の上に議論されるべき課題)。

>つまり、共認社会の同類闘争は、人類的課題に応える創造競争=共認闘争となる。(政治であれ哲学であれ科学であれ芸術であれ、提起された認識は共認の獲得を目的としており、最終的には社会共認となることを目指しているので、創造競争は本質的には共認闘争である。)

 上記の観点に立って考えれば、農業とは人類が狩猟採集生産に続いて営み続けてきた本源的な事業であって、近代になってから発展した諸事業(工業品=車や電化製品、印刷やマスコミ業、外食産業等)とは歴史が違う。人類の集団にとって切っても切り離せない食糧生産を担う事業であり、これは貨幣によって取引されるはるか以前から存在していたものであるといえる。

 例えば、医療や教育、介護などと同じように市場原理だけでは統合できない集団課題という位相にあるのではないか。だから、市場原理に任せるだけでは、需給バランスの変動によって価格が大きく下落や高騰したりするといった問題構造を常にはらんでしまう。

 では、これは国によって管理すればいいのかというとそういうわけではない。現在の医療や教育、介護と同様に財政悪化の要因となるだけだと考えられる。つまりは、「(集団にとって)必要か否か?」というみなの共認圧力(評価圧力)のもとに晒されなければ、品質低下や非効率、あるいは価格吊り上げなどの問題を防げない。また、共認圧力(外圧)不在では携わっている人の活力(内圧)も上がらない。

 農業はモノ(食糧)の生産業ではなく、それを行なうことを通じて活力を再生していく「活力再生事業(=集団再生事業)」と同じなのではないか。その萌芽は、露店においてこれからの社会に必要とされる仕事の筆頭として介護や農業が挙げられたり、若者や定年後の人たちの就農意識の高まりにも見られるように思う。

 農業とは、人類や集団にとっては不可欠なものであって、事業そのものが自然に親しみ(自然循環系を再生し景観や保水力を維持するという点ではもっとも有効な環境保全=環境対策ともいえる)、そして種を蒔いて収穫するという人類の本源的な充足に直結し、その共同作業を通じてお互いの共認充足も得られ、また子供や老人というように世代を超えてともに働く(役に立つ)実感も得られ、何よりも命にとって必要な日々の糧をまかなっていく余業をもって代えがたい本源的な営みなのではないかと思います。

>人類的課題に対する期待と応望を主活力源にして創造活動を営み、評価収束による創造競争(=新たな同類闘争)によって圧力=活力を高め、その同類闘争を同じ評価収束⇒評価共認によって統合する社会、これは原始人には夢想だにできなかった社会である。

 市場原理の統合限界(価格価値以外の安全性の問題、食糧自給確保という国家防衛、近代工業型農業による土壌汚染=化学肥料や農薬多用)が顕在化し、このままでは永続できないというところが顕在化しつつある。市場原理にそぐわない農業こそ、市場原理に代わる共認原理(「自分からみんなへ」「必要か否か?」等)によって運営することが求められている「社会事業」なのではないかと思います。

浅野雅義

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農業界の実力をどう評価する?「自給率」に代わる新指標(新たな概念)が今必要!

政策空間より以下引用
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「日本の食糧自給率は、食用と飼料用を合わせた穀物で2000年現在、約28%にすぎない。全食糧を供給熱量自給率で計算すると、その自給率は70年には60%であったが、現在40%にまで低くなった。ちなみに欧米主要先進国の自給率は、イタリアの87%を除き、いずれの国も100%である。確たる長期計画を立てて、その向上に努力すべきである」

食料自給率に関しての常識はこんなところかもしれない。行政がいつもこの数字を持ち出し危機感を煽り、予算獲得に動くのは知られたことである。

そこで、農水省自身が公表している「総合食料自給率」(平成13年食料需給表、農水省総合食料局15年3月)について引用してみる。全て平成13年の数字である。 「人口1億人以上国の穀物自給率(平成10年) 中国94%、インド100%、米国138%、インドネシア91%、ブラジル85%、パキスタン104%、ナイジェリア94%、バングラディッシュ89%、ロシア93%」

日本人は「国際比較好き」だが、自給率という数字が無意味の一例である。また、日本以外で、このように食料自給率を政策に取り入れている国はない。
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食糧高騰や食品の安全から、消費者も食品業界もできるだけ国産の物を使おうとしている。実体経済への移行から農業の必要性も強く意識されるようになった昨今。生産者としてもこのチャンスを逃すまいと必死に供給体制や販売方法を考えている。自給率の低迷以前に、農業界の実力が上昇する土壌ができているにも関わらず、依然と自給率を問題とする政府の対応には違和感を覚える。

農業経営者1月号以下引用
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■農業を成長産業として位置づける

「まさか国際競争力がこんなにあるとは知りませんでした。なのに保護者を装って『「食料自給率思想に潜むインチキ性や向上政策のさまざまな問題点はよくわかってきた。こうした批評もいいが、自給率より前向きな指標で、われわれの農業界を広く社会に知らしめる方法はないものか? 自給率の低さと関連して、規模の小ささや高齢化、耕作放棄地の増大ばかりが問題視され、農政の中心課題となり、報道される。衰退産業の代表のように扱われるが、われわれが農業を始めた一昔前と比べて、どう考えても全国的に各農家の面積、収量、収入いずれも飛躍的に向上しているはずだ。まともに農業をやっている者にとって当たり前の話だが、世の中の目は違う。農業だけが特殊な零細事業で儲からないではなく、他の成長産業と比較できるような社会的な指標を本連載で提示いただきたい」
 九州の園芸生産読者から、こんな課題をいただいた。
 正論である。「自給率」に代わる新たな概念がいま求められてるように強く感じる。社会が農業という産業に正当な評価を与えられる、公平で科学的な指標作成を試みてみたい。自給率思想に洗脳された人々に対して、農業を見る目に変革を促すことを今号の達成目標としよう。

■日本農業500万tの増産に成功

まず、シンプルな量という指標だ。自給率より自給量のほうが国民にも農民にも圧倒的に重要だ。率は食えないが、量は食える、買える、売れる、と3拍子揃っている。図1をご覧あれ。日本の総農産物生産量は増えている! 自給率が79%だった1960年と40%を切る前年の05年を比べてみてほしい。5100万tから5600万tへと500万tの増加だ。多くの人は自給率半減と聞いて、生産量が半減していると勘違いしてはずだ。「ニッポン農家は食料の増産に成功している」———このシンプルな事実だけで、漠然とした不安感を払拭し、頼もしい産業であると農業への認識が改められるだろう。
「でも、本当に大丈夫なのか?」。こんな問いかけが聞こえてきそうだ。「農業の担い手が減少し、高齢化が進む中、耕作放棄地が増え続ける昨今、食料自給率は下がり続けてます。日本の食はこれで本当に大丈夫なのでしょうか?」といった政府発表や大手メディアの決まり台詞を連日聞かされているのだから、仕方あるまい。それでも、大丈夫である、我々に任せなさいと冒頭の読者が自信を持って言える指標が必要だ。

■農家一人当たり生産量6倍に

それが図2の農業者一人当たりの生産量だ。1960年の4・3tと比較して、06年には26t。過去40年で6倍も生産性があがっていることがわかる。全農畜産物の総生産量を基幹的農業者数(注1、以下農業者)で除して独自に算出した指標である。最近の06年と前年対比でも900kgもあがっている。年率4%の上昇である。
「減少する食料自給率」が頭にこびりついている人にはにわかに信じられない数字だろう。
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自給量という視点からみると、なるほど!という数字である。これからは、市場に左右されない食料の供給体制をみんなで作り、自信を持って社会の役に立てる農業を実現していきたいと思う。

芝田琢也

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企業の農業参入は「共認充足をいかに高められるか」がポイント

 企業の農業参入では、ワタミ(自社店舗や施設にて消費)やセブン&アイ・ホールディングス(イトーヨーカドーにて販売)などの華々しい事例が大きく紹介されているが、どうも違和感を感じてしまう。他店舗展開のチェーンストアという「大量生産大量消費型の業態」が、農業に参入するポイントは「中間マージン▼によるコスト削減」だと思われます(付帯的に安全やおいしさとはいっているが・・)。

 つまり、農産物を「モノ」としてとらえ、それをどれだけ効率的に中間マージンを廃して低コストで流通させるかというカタチの違いでしかなく、市場原理(市場拡大、売上拡大)の延長線上にすぎない。モノとしての農産物の流通構造を変えるだけでは限界がある。

 また、(工業品のように)カタチの整った農産物を安い価格で年中(あるいは24h)買いたいという消費者の利便性追求や美食志向などの「快美欠乏」こそが、生産者や企業に過酷なコスト削減を強いたり、過剰な生産効率の追求(そのためには大量の農薬や化学肥料も必要)や安全性確保(必要以上の防腐剤等の使用)につながっている。消費者の「快美欠乏」第一という意識そのものも変えていかなければ根本的には変わらない。

『生存のための農から「共認充足」の農へ』橋本氏
>かつては、「生存するための『食』」でしたが、現在は貧困を克服したため「共認充足するための『食』」へとあり方が大きく変化しているのです。この「共認充足」は広く捉えれば、「食の安全・安心・楽しみ・健康」、それらすべてを包括します。

 対して、地方中小企業の取り組みは、生産者側の共認充足(生産過程の協働課題や、収穫の喜び、地域社会への貢献という役割充足等)を意識しているように思います。そして、今後、考えていかなくてはならないのは消費者の共認充足を「食」を通じてどう実現するかということではないでしょうか。

 つまり、皆といっしょに調理したり食べたりする、健康的で活力向上につながるための新鮮で安全で滋養溢れる野菜や穀物、そして、日本の食を支える農業を応援している(支えている)ことで永続的な循環型社会の実現に貢献できるという役割充足もある。

 そういう視点でとらえれば、いつでも便利に食べたいものを買うということではなく、生産者が作ってくれたものをありがたく戴くという人類本来の食のあり方に回帰していくことこそが重要なのではと思います(その意味では脱市場原理ということも不可欠な要素)。


浅野雅義

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市場原理から脱却した兼業農企業が“万人が農業を担う社会”を実現する

食糧生産は人類にとって絶対に必要な課題であり、万人が農業という生産課題を担っていく社会は、食の安全と共に生産過程における共認充足も得られる可能性を感じます。

ただ、ひとりひとりが兼業農家として取り組む形態だと、もう一つの仕事との調整が困難になるケースも多分に想像され、なかなか実現しないようにも思います。

その問題は、一個人(家庭)ではなく、企業集団が兼業農企業として取り組むことで突破できるのではないでしょうか。


実際、市場縮小で逆境に立たされた地方の建設会社が、企業として農業に取り組んで、軌道に乗り始めている事例もあります。

///////引用開始////////
 松山市に本拠を置く愛亀は愛媛県を中心に舗装業を手がける地方建設会社である。売上高は36億円(2008年3月期)。無借金経営で自己資本比率は80%を超えている。この愛亀、実は50ヘクタールの水田でコメを作るコメ農家でもある。その生産量は年120トンに達する(2008年産の見込み)。

 なぜ舗装会社が農業なのか。西山社長の広げた巻物にその解がある。

 愛亀が農業に参入したのは2000年のことだ。1995年をピークに公共事業費は減少の一途をたどる。舗装が本業の愛亀にとって、公共事業の縮小は死活問題である。工事が減れば、舗装の技術を持つ従業員の雇用を維持できない。

 建設会社の強さの源泉は高い技能を持つ従業員にある。淘汰の時代を生き残り、競争力を高めるには、技能を持つ人々を自社に抱えておく必要がある。「技能者を温存するにはどうすればよいか」。2000年に社長を継いだ西山氏は、農業生産法人「あぐり」の設立を決断した。

 西山社長がコメに目をつけたのにはわけがあった。それは、舗装作業と農作業の繁閑がうまくずれるためだ。

 舗装の仕事は国や地方自治体が発注する公共事業が多い。国や自治体は4月から新年度が始まるが、実際の工事は秋から3月にかけてがほとんどだ。それに対してコメ作り。水田の代掻きは5月上旬、田植えは5月下旬、稲刈りは9月末である。舗装工事とコメ作りは作業時期が重ならない。工事がない時期は農作業を、農閑期には工事にと、従業員を効率的に配置できる。

 もちろん、繁閑のずれだけが理由ではない。農業には経営という発想が希薄。そこに、建設現場で培ったノウハウを持ち込めば、競争力のあるコメを作ることができると考えたからだ。

 「精密農業」。IT(情報技術)やデータ分析を駆使したあぐりのコメ作りを西山社長はこう呼ぶ。この精密農業の代表が、センサーを用いた土壌管理である。水田にセンサーを入れ、窒素量や炭素量、電気伝導度、pH値などを計測し、データを集める。

 窒素や炭素の量が把握できれば、水田に投入する肥料の量を調整することができる。水分量にばらつきがあれば、水田の高低差をなくすため、土をならす必要があるだろう。pH値が極端にどちらかに振れていれば、水田を休ませるという選択肢も出てくる。こうした土壌に関する様々なデータを分析し、施肥や作付け、水質管理に生かしていく。

 水田は1枚ごとにコンディションが異なる。土壌分析を徹底的に行うのは、水田ごとの品質のばらつきを抑えるためだ。そして、データ分析に長けた社員は社内にいる。「長年の経験を持つ生産者の方々にはかなわないが、彼らにできるだけ近づくために、科学的手法を取り入れている」と西山社長は言う。

~中略~
 今の時期、10人の作業員が水田に張り付いて作業している。彼らは普段は舗装で使う重機を動かしているオペレーターである。時期によって異なるが、10~20人の作業員が代掻きや田植え、雑草刈り、稲刈りなど水田での作業に専念する。

 作業員は、近隣農家や住民との間に信頼関係を築くという役割も担う。「彼らはホントによくやってくれる」と西山社長が何度も口にするように、新参者が地域に受け入れられ、順調に規模を拡大し、さらに作ったコメが地元で売れているという背景には、従業員一人ひとりが地域とのコミュニケーションを大事にしてきたという面も大きい。

 「コメの収支はトントンで構わない」と西山社長は言い切る。愛亀はコメで儲けるために農業を始めたわけではない。コメを作っているのは、あくまで本業である舗装業を強化するため。舗装工事の閑散期の人件費が出れば、それで十分ということだ。

 公共事業が存分にあった時代は舗装だけで雇用を維持できた。だが、これからの時代に同じだけの公共事業を望むのはナンセンス。ならば、別の事業で繁閑の波を乗り切る――。西山社長の発想は至極真っ当である。

~中略~
 「インフラの町医者」。最近になって、愛亀はこの言葉をCI(コーポレートアイデンティティー)として使うようになった。道路舗装や下水管調査、リフォーム、プラント修理――。愛亀のビジネスは、地域の社会インフラと密接に関わっているものばかりだ。

 もっとも、ここで言うインフラは何も道路や橋などの構造物だけではない。農作物を生み出す田畑や山林もれっきとした社会資本である。視野を広げれば、建設会社の技能を生かす場面は数多くあるということだろう。

~後略~
「地方の雇用を守るか、建設会社の農業参入」日経ビジネスオンラインより
///////引用終了////////

市場縮小という圧力の中で、経済効率最優先という価値軸から脱却したことが、兼業農企業としての適応を可能にしています。
また、集団として取り組んでいることが、人員配置の弾力性を生み出し、持続性を高めているのだと思います。

農業を含め、地域(社会)に必要なものを供給していく企業が、これからの社会において必要とされ、生き残っていくことができるのだと思います。


西村秀彦

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企業が農家を支援することもできる。

私は、周辺が、農家に囲まれたような場所に住んでいますが、
最近の金融危機、経済破局の可能性もという状況を受けて、営農意欲を増している高齢農家が増えているようです。

 「もう、来年から米作りは止めよう」とか、
 「自分の家族が食べる分だけに縮小しよう」と言っていた方々の中で、
 
 「こんな状況だから米は作っとかんといかん。」
 「親戚、知人の分は、作ろう。」
 というふうに変って来ている人が一部に出てきています。

もちろん、貧困を知っている世代だからこそ、食糧危機に備えて、自分の周りの人達の食の確保という感覚もあるのでしょうが、潜在的には、社会的な使命感に基づいているように感じます。
 今の流通システムの中では、米は、自分で作るよりも、買った方が安い場合も多いのですが、それでも作ろうとするのは、市場原理での儲かるか否かではなく、共認原理での必要か否かという発想だからだと思います。
 そういう意味では、実体経済への移行、そこでの必要なものという、実は、時代を先取りした意識ではないでしょうか。

 例えば、企業が、そんな意欲を上昇させている農家と米の栽培契約を結び、市場価格より少しでも高く買取り、社員の日常用として利用していくだけでも、農村、農業の活性化の支援になるし、社員は、出所がはっきりとした農産物という安心を得ることが出来るという意味でも面白いと思います。

 実際に、環境のためにプラスになっているかどうか怪しい企業の環境対策、活動よりもずっと、社会貢献になるのではないでしょうか。

長谷暢二

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企業の農業参入とその力点に注目!!

企業が農の魅力を導入することで、活力再生や人材育成の基礎が形成でき、採算性を補填しても、余る相乗効果が期待できそうです。

農業参入企業の新たな動きに注目です!!

以下、引用
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人材派遣大手のパソナグループが農業関連事業に参入する。独立就農を目指す人材を育成し、人材活用が不活発な農業分野の人材市場を開拓する狙い。パソナのほか、ワタミがすでに農業に参入し、グループ店舗に野菜を供給、流通コストを低減させるなどのメリットを出している。さらに、セブン&アイ・ホールディングスは2008年秋から直営農場で栽培した農作物の販売を始める、といった具合に、「農業」が注目を浴びている。

■経営、営業面で外部の人材を派遣

 パソナは2003年から就農希望者向けの農業研修などに取り組んできたが、2008年9月から農業ベンチャー支援事業を開始した。兵庫県淡路市で、農業生産法人以外の法人が農業経営できる「特定法人貸付事業」を活用して、2ヘクタール(6000坪)の農地を借り受け、農業事業を展開する。

 農地法の規定で、普通の企業は原則として、田や畑といった「農用地」を買ったり借りたりすることはできない。しかし、農業生産法人にはこれが認められているほか、一定の条件を満たす場合は、農用地を借りて農業に参入することができる。これを「特定法人貸付事業」という。

 就農支援施設「パソナチャレンジファーム」では、7人の研修生を対象に、地元の農業生産法人などからの技術指導を受けて、農作物の栽培から販売を行う。月給は約20万円の有期雇用契約社員の扱いで、4年目からの独立就農を目指す。

 「パソナチャレンジファーム」では、大根、キャベツ、ブロッコリなどを栽培し、08年2月の収穫が見込まれている。同社は、「販売の仕方は未定」としており、同社の社員食堂への供給や、あらたな市場の開拓を模索する。農作物販売という点ではそれほどのメリットはなさそうだが、なぜ農業事業に参入するのか。同社広報室はJ-CASTニュースに対し、

  「農業の分野では外部の人材を活用できていない傾向がある。経営、営業面で外部の人材を派遣する狙いがある」

と話す。同社では、「パソナチャレンジファーム」で独立就農した経営者などをビジネスパートナーとすることで、人材派遣のあらたな市場が広がると見ている。

■ワタミではグループ店舗に野菜を供給

 一方、セブン&アイ・ホールディングス傘下のイトーヨーカ堂は、2008年8月に千葉県・富里で農業事業を開始。富里市農業協同組合から約2ヘクタールの農場を借り受け、大根・キャベツ、にんじん、ほうれん草などを初年度で約130トン栽培・収穫する計画で、08年秋にも千葉県内のイトーヨーカドー6店舗での販売を開始する。販売店舗数も県内21店舗まで拡大する予定だ。生産履歴管理システムを農場と売り場で一元化することで生産性を上げるほか、品質管理を徹底するのが主な狙い。また、店舗から出される売れ残りの野菜などを堆肥に再活用して、直営農場で再利用する「循環型」農業を展開する。

 パソナやイトーヨーカ堂に先立って、居酒屋チェーンを展開するワタミでは2003年に農業事業に本格参入し、グループ店舗に供給している。

 同社によれば、全国に8箇所、476haの農場や牧場を展開。2008年3月期の農業部門の売上高は約30億円に上る。農場では、レタス、大根、キャベツ、白菜、インゲン、ブロッコリ、なす、ほうれん草、水菜など約40種類の作物を栽培。自社農場で栽培された農産物の7割はグループ店舗・老人ホームで使用しているという。農業事業に参入したメリットについて、同社は「食の安全」の確保のほか、

  「市場を通さない流通がほとんどのため、流通コストの低減ができています。また、店舗やホームという安定した販売先がありますので、安定的に収益を上げられる仕組みになっています」

としている。

 耕作を放棄された農地が全国に広がり、05年の法改正で特定法人貸付事業を導入する自治体が増えていることも、一方で背景にある。新たにビジネスチャンスが広がったと見て、農業事業に参入する企業は今後も増えてきそうだ。


匿名希望

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消費者から供給者への転換が進んでいく

食や農に対する人々の期待や関心は、年々高まってきていると感じる。特に最近は家庭菜園がブームで、市民農園・貸し農園なども、なかなか空きが無く順番待ちのところが多いと聞く。

その背景には、食品偽装問題や中国産の農薬問題などによって、食の安全・安心が脅かされていること、そのために自分や家族の食べる野菜は自分たちで作りたい、という意識がはたらいていることがあるように思う。

一方で、家族と一緒に農作業を楽しんだり、自分で作った野菜を近所にお裾分けしてあげるなど、周りの人々と充足を分かち合ったり、相手に喜んでもらうことによって充足する、という意識も見逃せない。

'70年の貧困の消滅以降、食に関しては、人々は単なる消費者でしかなかった=自分が充足することしか考えてこなかった。しかし、私権追求の圧力が衰弱し、収束先を見失った人々は、もはや単なる消費者では物足りないと感じ始めている。

仕事や生産活動とは、お金を稼ぐためでも、食べていく為に必要なものでもなく、人の役に立つことや、相手に喜んでもらうことで充足する、期待と応望の共認充足を供給する手段なのだ。

人々の共認充足欠乏⇒共認収束とともに、消費者から供給者への転換が進んでいくのだと思う。

小松由布樹

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旧パラダイムからいち早く脱却しかけている若者の「農」収束

 日頃、農業に携わっていますが、ここ数年、農園での研修や体験を希望する学生や若者が多いことには、目を見張るものがあります。
 10年くらい前だと、現実社会からの逃避的な、或いは、のんびりした田舎暮らしに憧れるようなケースが多かったのですが、最近では、はっきりと、農業は社会に必要なもの、誰かがやらないといけないもの、そこで自分も役に立ちたい(立てそう)という意識の若者が増えているように感じます。
 そして、同時に、彼らの親達の多くは、
「それじゃ、飯食えないでしょ。普通の会社員になってくれ。」
「一生、乳搾りする気?」
と、彼らのやる気を削ごうとします。

 確かに、現実に生きて行く上で、それなりの収入を得ることは不可欠だし、農業という分野において、それが、現時点では厳しい状況にあるのは、事実です。

 しかし、大きく捉えれば、このような流れは、
生存圧力から共認圧力の時代に移行して、下部意識では、既に本源収束。それをいち早く潜在思念で捉えて、脱私権のとりあえずの収束先として農業に向かったのが若者。それが、さらに一歩進んで、私権(旧観念)に替わる新しい可能性として積極的に肯定視して収束し始めたのが現在ではないでしょうか。
 それに対して、表層的には、「農業は素晴らしいですね。」と言いながら、自分の娘や息子がやるというと反対!するのが親世代。そういう意味では、まだまだ、旧パラダイムの範疇。

 今、農業に携わっている我々がすべきは、人間の営みとして必要なもの、これからの社会で不可欠なものとして「農」を肯定視し、新パラダイム(新観念)にも近しい彼らの受け皿を作って行くことではないかと思います。

長谷暢二

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