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農村を活性化させる為には?

農協の実体③~協同ではなく統制を選んだ農協~

引き続き農協について引用します。
(引用元:ローカル通信舎)
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●農政の下請け機関に徹する時代

農基法農政の金看板「農業の構造改善事業による機械化一貫体系」に、農協は、構造改善事業の事業主体として積極的に関わり、誘導政策に「農政の下請け機関」として従いつつ補助金や助成金に全面的に依存いくようになっていく。

しかし現実には、補助を受け、せっかく融資をすすめて大型トラクターをはじめとする大型農業機械を導入したり、ライスセンターを代表とする大型施設をつくっても、それを利用するのに十分な周辺環境が整わず、それだけが農業現場で孤立し、稼働率も悪く、ほとんどが遊休化して償却費だけが高くつくという極めて不経済なものになっていった。

また、例えば農家が、農協の薦める補助事業の下で牛舎を建設する場合などは、柱一本の寸法から材質に至るまで「補助事業の規格」に支配され、雪国でもない地域にも豪雪に耐え得るほどの柱が要求されるという具合に、補助事業を利用すると結局は高くつくことにもなっていった。そして、そうした多くの負担が最後には農家個々の肩に重くのしかかり、農家は機械化や設備投資貧乏に悲鳴をあげるようにもなっていった。

~中略~

●変幻自在な農協の姿の原型
/農業者に対する巧妙な説得テクニックを会得した組織

農業者(組合員)や単位農協の声が反映されない農政追随型の農協の上部組織への不信や疑念、そして不満が、減反受入でピークに達すると、農協中央会は、1970(昭和45)年の第12回農協大会で「安易な政治依存を廃し、自主自立互助の協同組合精神の本旨に立ち返らねばならない」と、農業者(組合員)や単位農協の不満をかわす努力を必死で開始する。

そして、「農協の自主建設路線」を確立するために「組織がばらばらになってはいけない。これまでのいきさつを捨て、組合員の自主的な組織である組合の縦横のつながりを強め、総合した力で問題解決に立ち向かっていく」と、にわかに「協同組合」の顔を演出していく。

だが実際には、その議論の下で出現した筈の『総合三か年計画』の具体的な施策は「組合員(農業者)利益のために」とした「農畜産物の生産販売一貫体制の確立」「生活活動の拡充強化」「物的流通体制の確立」というもので、協同組合としての運営やこれからの方針をどのようしていくのかという内容とは異質の、上意下達的な農協の経営方針が高らかに謳われるだけになっていく。

そして、これを機に、「協同の精神」と「組合員利益」という極めて便利な論調の持ち出し、つまりは、対策に窮するごとに、あるいは誘導政策を推し進めなければならなくなるたびに、「協同の精神」と「組合員利益」を持ち出しては最終的に農業者(組合員)の不満をかわして合意を取り付けることが、農業者(組合員)に対する巧妙な説得テクニックの原型になり、今日に至るまでの農協の必須の手段になっていくのだった。

一方、農業者にしてもその多くが、自らが組合員として農協の運営に主体的にかかわることもなく、まして意に沿わない名前だけの協同組合から脱退することもなく、すべての方針を農協や農協職員に委ねて依存。農協の姿に不満や危機感を持ちながらも「農協が何とかするし、してくれる」という依頼心ばかりが強くなっていくのだった。





三浦弘之


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農協の実体②~経営悪化を政府救済でしのいだ組織の宿命~

引き続き農協について引用します。
(引用元:ローカル通信舎)
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●政府介入を容易にした農協組織
/経営悪化を政府救済でしのいだ組織の宿命

協同組合の何たるかも把握せずに誕生した、いわば泥縄的組織は、運営においても当初から決して明るいものではなかった。信用事業では、農地改革が進むに連れて地主の経済力が急速に弱まり、預貯金の引き出しが頻繁に行なわれるようになっていった。そして、米麦を除く多くの農産物が食糧統制から外れると、農業会の遺産を引き継いだだけの運営方針もない、形だけの農業協同組合は、経営形態の確立もままならない状態に陥っていく。
 
そしてそれは、アメリカ側から出された経済安定政策「ドッジ・ライン」の影響で、より深刻な状況になっていく。

その頃の日本は、物資不足と終戦処理のための紙幣の乱発で、急速にインフレが進行していた。その悪化を避けるためにアメリカの公使・ドッジは、課税政策とデフレ政策を指導。独自の打開策を持ち得ない日本政府はこれに従い、今日に至るまでの政策展開の悪癖でもあるアメリカの政策提案に従属しながら行き当たりばったりの政策施行をする原型をつくっていった。

そのために農産物の販売価格も急暴落、それと同時に、農産物販売に比重が高まっていた農協金融も逼迫し、赤字農協が全体の40%を占め、預貯金の払い出しを停止する農協が全国で255、払い出しを制限する農協が800にも達していった。

ここから農協は、方針なき組織の姿を鮮明にさせる。

1950(昭和25)年、農協経営の健全化(赤字解消)を政府に救済してもらうことで成立させようと、農協代表者会議は日本政府に救済を嘆願。政府は、GHQが規定した「農協に国家権力は介入してはならない」ことを理由に、自力での立上がりを農協に指示するのだが、農協はただひたすら日本政府に救済を要請。そして政府の「農林漁業組合再建整備法」「農林漁業組合連合会整備促進法」「農業協同組合整備特別措置法」(再建三法)による二重三重の援助で、農協はかろうじて成立していくようになる。

また、政府援助に寄りかかり過ぎた農協は、団体再編成問題でも国に依存。1952(昭和27)年頃から頻発した農協組織とは別の農事団体・組織発足の動きに対しても、新しい組織づくりを阻止するために、農協をあげて強烈な反対運動を展開し、政治力を結集してそれらの動きを押さえ込んでいった。

そして、再建三法で救済された農協は、一気に行政省庁の監督下に入り、1954(昭和29)年に改定された「農協法」で、全国の府県連を傘下におさめた現在の全国農協中央会(全中)を誕生させ、農業現場をほぼ統括する基盤を、政府おかかえの下でつくりあげる。

それと共に、1955(昭和30)年に成立した講和条約で占領軍の手を離れた日本政府は、農業協同組合設立の定款作成や許認可にも介入できるように改定した「農協法」を盾に、農協組織の完全掌握・支配を手中に納めていく。農協側もまた、行政省庁の監督下での従属が、最も安定した組織の姿であることを認識していく。

そして、これらを契機に、日本独特の農業協同組合が本格的に成立。これはまた、戦後農政と一蓮托生の歩みを続ける農協の今日に至る姿の出発点にもなっていくのだった。

●国家計画に足並みをあわせる農協
/行政指導優位の運営方針を選択した組織

1960(昭和31)年に「もはや戦後ではない」と経済白書で表明した政府は、経済の自立と成長を至上のものと位置付け、所得倍増計画を代表とする経済成長路線を突き進み始める。

その頃、政府の肝入りによって首の皮一枚で救われた農協は、協同組合の精神を置き去りにしたまま、ただただ農協を維持させていくための米価を代表とする価格支持政策の要求といった政策依存の動きに没頭。経済成長路線上に生まれた「農業基本法農政」に対しても「行政指導優位」「農協経営の優先」を農協運営の中心に据えて従順に対応していく。

農業地帯をほぼ踏襲する農協は、高度経済成長と相舞って、何ら自らが経営努力することもなく、農業者自らが主体となった協同組合づくりを喚起することもなく、まして農業の岐路を十分に掌握することもなく、農業者が機械化貧乏に悲鳴を上げるのと反比例して、取扱事業高を飛躍的に伸ばしていった。

そして「信用事業」が1961(昭和36)年の9744億円から1970(昭和45)年の5兆2000億円に、「購買事業」が1800億円から9600億円(昭和37年~43年)に、「販売事業」が1兆6296億円から4兆8967億円(昭和35年~42年)に、「共済事業」が3兆6517億円から8兆9000億円(昭和41年~45年)にと急伸していく。



三浦弘之


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農協の実体①~農業協同組合の誕生~

農業を追求していく上での基礎知識として、農協についてのなるほど~な記事がありましたので引用します。
(引用元:ローカル通信舎)
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■農協/農業協同組合の誕生

日本の農業を取り巻く環境が厳しくなる中で今、肥大化し過ぎた農協の組織改革や意識改革の必要性が唱えられている。「農協が変われば日本の農業も変わる」「農協職員が頑張れば農業者も頑張れる、農民のための唯一の協同組合なのだから」。そんな期待を込めた声が、方々で持ち上がっている。

しかし、果たしてそうか? 

「協同組合」。それは、川下からあくまでも必然性をもって生まれ、育まれていくものだと思われている。例え、その育まれ方が最初に意図したものとは異なり、時代の流れと共に変質したとしても、どこかに基本的な「生まれた時の意図や精神」は、潜在している筈である。

そうした認識の下に、農協もまた、「協同の原点に立ち返って」と、事あるごとに期待も込められ、そのあるべき姿が議論されてきた。しかし、それは「あくまでも川下からの要望が突き上がり、必然性をもって誕生した協同組合」であれば、の話。誕生からこれまで「協同組合」を名乗ってきた農協・農業協同組合は、誕生したその日から、実は本当の意味での「協同組合」ではなかった。

●戦後復興と民主化の中で
/農地解放とセットで実施されたGHQと政府主導の協同組合づくり

戦後復興と民主化は、GHQ(アメリカ軍が主体になった占領軍)政策の下で「財閥解体」「労働三法の成立」「農地解放(改革)」の3本柱で進められた。

農地解放は、「全人口のほとんど半分が農耕に従事している国において、長い間、農業機構を蝕んできた甚だしい害悪を根絶しようとするもの」(GHQの農地解放指令)という趣旨の下で、小作と地主の関係を代表とする封建的な弊害を解消するために実施された。

そしてGHQは、農地解放で自作農化した日本の農業現場の民主化をさらに進めるために、『農地改革に関する覚書』で「農民の利益を無視した政府の官憲的な統制や非農民的勢力の支配を脱し、日本農民の経済的、文化的向上に資す農業協同組合運動を助長し奨励すること」を指示し、日本政府に農業協同組合をつくりあげるように指導していった。
 
しかし、1947(昭和22)年に成立した「農業協同組合法」に基づいてできたはずの日本の農業協同組合は、実際にはそれとは異質の組織として誕生していく。

●農協が誕生した背景
/GHQと政府の利害調整の末にできあがった協同組合

GHQによる農地解放は、日本に旧くから残っている封建的な土地の所有関係を一掃し、実際に働く農民自らが土地を持ち、民主的な農村をつくることを目的として実施された。

そしてさらに、農地解放によって土地を地主から取り上げて自作農化しても、そのまま放置していたのでは、どんな勢力が地主に代わって農村を包囲し、支配するかもわからない、という事から、未然の防止策として、農民が結束して自分たちの利益を守る協同組合をつくることが最良の方法だとGHQは考え、農業協同組合の設立を促した。

GHQの指令に基づいて具体案をつくった農林省は「すでにある農業会を民主主義の方向にそって部分的に手直しして農協に改編、これを職能協同組合組織とする」とした。しかし、農業会そのものは、戦争中の統制経済体制の中から誕生した食糧供出を強要する封建的な統制団体で、いわば民主化の敵。これを排除するのがGHQの方針であり主張でもあった。

しかし、日本政府とGHQの駆け引きは、食糧難の解消(食糧供出の徹底)という当面の課題とマッカーサー指令による「反共の防壁」という利害のまえに、GHQが日本の政府案に譲歩することで決着。

実際には、農業者の意識が高まって議論を尽くし、農業者自らが主体的な組合員となって結集に動いて農業協同組合を作り上げたものではなく、農業会の資産を含めすべてをそっくり引き継いだ形で、政府が用意したひな形に沿って、農業者を組合員としてはめ込むようにして農協が誕生していくのだった。

そして「農業協同組合法」施行後わずか数か月という短期間に1万3800の総合農協が全国にできていき、都道府県単位の連合会が全国に660も乱立するという結果にもなっていった。

だから実際には、組合員にしても農協の当事者にしても、農業会と農協がどれほどの違いがあるのか、協同組合が一体何であるのかは、皆目見当もつかない状態での出発になっていた。




三浦弘之


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農地利用率200%! 自給率回復の可能性を探る

自国の食料を国内で確保するということは国民にとって何よりの安心基盤であるが、日本の食糧自給率は40%まで落ち込んでいる。

市場原理ではもはや解決できない段階に来ている。

私たちが向かうべき方策として考えられるのは、
無駄な消費を減らし、過剰な消費量を適正水準に誘導するダウンサイジングがひとつ。

他方、国内の生産高を上昇に導く必要があるが、農地拡大や従事者の大幅増加は国家レベルでしか解決できないのか。
しかし現有農地の高度利用は生産者の努力で出来るようだ。

「NEO OOITA(大分)」1999・10月号より引用
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 五郡博志さん(49歳)は、20年前に三重町久知良地区の実家に戻り、水稲(3ha)と野菜の育苗(10万本)を手がけていた。平成9年、耕作地が公共工事にかかり、ほかに土地を探していた時に、高齢化と後継者不足で農地が荒れていくのを憂慮していた法泉庵地区の神田農業委員長に請われ、野菜の育苗に好適地だったこともあって移住した。

 移転後は、作り手のない農地の耕作を次々と頼まれ、1年ほどで7haの営農をすることになった。いまでは、水稲と転作の大豆、裏作の麦を生産し農地利用率200%を達成し、98年産の豆類経営改善共励会では最優秀賞を受賞した。農業委員会を通して小作契約を結び、土地の調整、集積と契約期間が明確になり、大型機械の導入も出来た。作業しやすく、経費の償還計画も立てやすくなった。

 以前、東京、名古屋、静岡などで精密機械の仕上げ組立てに10年従事したこともあって、中古の大型農業機械の修理、メンテナンスは得意である。また、認定農業者支援金融特別対策事業を活用し、米と大豆と麦という土地利用型農業と、野菜の育苗という労働集約型農業を積極的に展開している。

 2月から6月までの5ヶ月間は、休む間がないほど忙しい。夫婦で営農しているが、育苗ハウスでは年間に70日、田の草刈りなどでは30日、近隣の人たちを雇用する。大型機械と地域の人の協力で未利用の農地を最大限に活用している。認定農業者としての経営改善計画も、100%以上達成した。

 五郡さんの目標は、耕作面積10ha、純利益1000万円。サラリ―マン以上の収入をあげられるようになれば、息子も跡を継ぐ気になるのではと期待している。
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都市の高齢者の自然回帰願望、若者の農業への可能性収束と合わせて、金融危機が引き起こす失業者をうまく取り込んで繁忙期の人手を確保出来れば現在の2倍程度の高度利用は可能ということだ。

安心できる自給率にいたる生産高、従事者数にはさらに抜本的な改革が必要だが、狭い農地の高度利用はまず実現すべきステップだろう。




やまと 


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「これからは農業の時代だ」「安定した収入を考えたら魅力がある」…元会社経営者などが農業への新規参入

企業を経営していた人も、今までの企業という枠組みではうまくいかず、農業に可能性を見出しているようです。

「これからは農業の時代」 県外の若者3人 日南へ


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鳥取県日南町に農業への新規参入を希望する若者三人が現れた。会社経営などをしていた大阪府在住の播井(はりい)秀幸さん(32)ら三人で、経済情勢の悪化に「これからは農業だ」と将来を展望。夢を実現できる場所を求めて同町にたどり着いた。町は農地や空き家を探して受け入れ態勢を準備している。

新規参入を希望しているのは、播井さんと高橋隆造さん(34)、工藤誠史さん(35)。
播井さんはタイで製造業関連の会社を経営していたが、悪化する経済事情に将来を見つめ直し、友人の高橋さん、工藤さんと農業を志すことを決めた。

今年十月ごろから情報を集め、何カ所か自治体窓口や農家を訪れて話を聞いたがなかなか糸口は見つからなかった。米子市を訪れた際に日南町を紹介され、今月十日に役場を訪ねて話を聞いた時、農林業の振興に取り組む町の姿勢に共感し、播井さんは「一緒に取り組める町だと感じた」という。

町は三人の希望を受け入れ、現在、町内で農地と空き家を探している。また、これを機に新たに農林業に取り組む若者に研修の場を提供する制度を新年度から設けることを検討しており、導入すれば雇用対策と町の農林業振興、人口増加が狙える“一石三鳥”の取り組みとして期待できる。

三人は受け入れ態勢が整い次第、町に移る考えで、播井さんは「人は食べていかないといけない。
安定した収入や雇用を考えた時、農業は魅力ある仕事。日南町で研修しながら作物を作って、町づくりにも貢献できたら」と意欲を燃やしている。


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匿名希望


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企業と農業生産地のネットワークで「顔の見える食」を -株式会社ゆめみ-

企業と農業生産地をつなぎ、顔の見える「農」のあり方の良い事例がありました。

※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※
 株式会社ゆめみ(本社:東京都世田谷区、以下ゆめみ)は、福利厚生の制度の一環として、月に一度新鮮な野菜が一人1000円分支給される、『野菜支給制度』を導入、運用していることをお知らせします。(中略)

 野菜支給制度の導入によって、生野菜と添加物のない加工食品を元に、料理のレシピを考えることや、健康に意識を向ける会話につながるなど、社員の意識変化など副次的な効果も生み出しています。
 ご協力いただいている青森県の企業のご担当者様からコメントをいただいております。

★つがるにしきた農業協同組合 深浦支店 営農経済課 課長補佐 藤田様のコメント
 「昨今はスーパー・コンビニ・ファストフード店へ行けば食べたいものがすぐ食べられる時代にあり、特に若い世代の人が生野菜を買って自分で料理するのかな、どんな野菜を送ればいいのかなと悩みました。調理に手間がかからずできれば社員全員に食べてもらえるような野菜を提供しようかなと思いましたが、都会へ田舎の「旬」を届けたいという気持ちから、その時(5月)旬であった竹の子(根曲がり竹)を第一便として送ることになりました。一般的には水煮した加工品が主で皮のついたままの本生品を送って調理ができるのか心配をしていたのですが、意外に創意工夫した料理が社員ブログに紹介されていたので料理ができるのかな?なんて大変失礼をしてしまいました。自然相手ということもあり配布期日に予定していた野菜を提供できない場面もあるかもしれませんが、今後も都会にいて田舎の旬の野菜味わえるよう提供していければと思っています。」

★青森県観光物産館アスパム 青森県地場セレクトスタッフ 加賀谷様のコメント
 「野菜支給制度についてのお話を伺った時、働く社員のことを考えたなんて素晴らしい制度なんだろうと思いました。初めのうちはお勧めする商品の選定に頭を悩ませましたが、今では青森の旬の食材を思い浮かべながら、どの商品をゆめみ様に食べていただこうかとスタッフ一同楽しく考えております。毎月のテーマにそって商品を選んでいくうちに、販売している私たちも食べることと健康は結びついているのだと再認識できました。これからも青森県の美味しく安全な商品を提案していきたいと思います。」
※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

生産者と消費者の顔が見え、お互いに共認充足を得られる関係、支えあう関係の構築が、「食の安心・安全」を保障し、「農」を再生する活力へとつながるのではないでしょうか。

「株式会社ゆめみ」HP
「株式会社ゆめみ」の人事ブログ



橋本宏


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企業における社会的役割として農業参入は必要

企業はもはや金を稼ぐだけの集団だけでは、経済低迷とともに弱体化していくだけです。実体経済への転換にともない、競争激化→倒産、収益減が加速していくことが懸念される中で、「集団を守り続ける」課題こそ、社会から企業に期待されていることです。
つまり、「雇用の確保」と「生活(食)の保障」の観点から、農業への企業参入は今後実践されていくべきだろう。

集団を守るために「人材」を第一に考えて、絶対に人を切らない。これを前提条件とします。
結果、収益減⇒給料削減、経費削減の方策となるので、この逆境に農業によって集団を守ります。

①仕事を作る
仕事減にともない、仕事の場を作ることが必要です。農業を従事し、集団の生活を支える。全員が雇用し続けることが出来る。
実際に建設業界を中心に、収益なしを覚悟で仕事を作り出し社員の生活を支えるために実践している企業も増加している。

②現物支給
給料減、最悪企業倒産しても現物支給によって生活を保障する。その場合、給料は家賃、公共料金など最低限の支給にとどめる。
(※退職後も、将来返ってくるかどうか分からない年金にお金をつぎ込むよりも、その金の代わりに現物支給というかたちで「農作物」を支給するほうがよっぽど生活が保障されるように思う。)

企業がどんな逆境であれ「集団を守り続ける」社会的役割を担うために、生活の基盤となる農業が期待されているのではないだろうか。




橋本宏


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雇用の確保は結果。重要なのは「新たな仕事の創出」

>今後は各地で同様の動きが活発化していくのではないだろうか。そうなると、ますます政府の無能ぶりが明らかになっていくだろう。
一方企業側の対応についても、仕事が無いからといって社員を解雇するばかりではなく、地元の農家への派遣という形態も、十分可能なのではないだろうか。

大量の失業対策に対して、政府が取れる対応はおそらく限られると思われます。ただ、企業側の対応としても地元の農家への派遣では限界があるのではないでしょうか。

今ある他のパイへの派遣というような雇用の維持では奪い合いにしかなりません。重要なのは「新たな仕事の創出」なのではないかと思います。
その意味では、雇用確保は結果であり新たな仕事の創出が今期待されているのではないか?と思います。
だとすれば、最近議論されている企業の農業参入は既存のやり方や、しがらみ、しくみ、構造を打破する可能性(新しいモデル)として追求していく必要があると思います。
(「なんで屋」が全く新しい活力再生事業の一モデルとして創出されたように。)




かなめんた 


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あらゆる社会課題への答えが詰まっている、農業という領域

> それほどまでに農業は食と健康に良く高齢者でも子供でも手伝うことがたくさんあり、生産物は万人に喜ばれます。

もう一つ、意外なところで農業・農村の可能性を感じることがありました。先月のNHKのテレビ番組で見た話ですが、花粉症や鼻炎etc、現代人が頭を悩ませているおなじみの“アレルギー問題”です。

最新の研究で、アレルギー体質の原因を突き止めるための様々なデータが集まってきました。例えば、日本人が農村から都会に出てきた昭和30年前後を境に、アレルギー体質の人間が倍増していること、現在でも、農家の子どもはアレルギー体質になる比率が圧倒的に低いこと。何故か、犬を飼う家の子どもや、兄弟の多い家の下の方の子どもは相対的に低いこと。

現在、研究者達が有力視しているのは、主に家畜の“糞”に含まれる(兄弟の場合、兄姉が外から持ち込む)細菌の毒素に触れる=軽く感染することで、免疫細胞の初期設定が変わり175995、アレルギーに繋がる抗原抗体反応の暴走が抑えられる、ということだそうです。つまり、人間の免疫細胞は、生後1~2年の乳児期に家畜と十分に触れあうなど適度に細菌感染する環境下でバランスするよう出来ているらしいのです。

科学的な検証はまだまだ必要でしょうが、まず浮かんだのは、「これが事実なら、子どもができたら農村に行くことにすればいい。」ということでした。無論、アレルギーの問題だけでなく、乳児期に様々な人間や生産場面、そして自然に触れることのプラスは測り知れないでしょう。企業政策なら、子育ての場を密室に押し込める産休制度などより遙かに有効です。

自給率上昇による国力増強、市場原理転換期の失業対策、高齢者の活力再生、企業の人材活用、そして子育て。今後の日本が取り組むべき課題に対する答えの多くが、農業という領域には詰め込まれていると思います。




田中素


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農業を失業者の受け皿に!~JAおおいた

以下、農業情報研究所より転載。
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日本農業新聞(12月17日)によると、キャノンの子会社である大分キャノンや関連会社で働く非正規雇用者の雇用契約解除を受け、”JAおおいた”が農家のパート従業員のあっせんを始めた。

 JAおおいた大分市地域本部は大分市の要請を受け、ミツバの調整作業など周年で葉物野菜を生産する雇用希望の農家を紹介する。農家による50~60人の直接雇用が見込まれ、JAは「女性が多い職場だが、長く働いてくれる人を希望する」と話しているという。

 管内のキャノン関連会社の工場がある杵築市のおおいた中央柑橘園芸連は人材派遣会社の要請で数人を雇用、さらに杵築市の要請を受け、最盛期を迎えたミカンの選果場での短期の雇用を検討しているという。

 「大分キャノンの失業者救え 農業 受け皿に 農家就職を仲介 JAおおいた」 日本農業新聞 08年12月17日 第15面

 突如一方的に解雇しても、住宅から追い出しても法的になんら問うこともできず、住む場所を失い、食べる金もなくこの寒空の下をさまよう人に直ちに救いの手を差し出すことさえできない中央政府は、この国にはもう要らない。派遣切りにあった労働者の悲惨な状況をひとしきり伝えたあと、労働者の権利・人権の歴史を踏みにじる企業の”野蛮”な行為を正当化するかのように企業経営の苦境を延々と報じ続けるマスコミも、もう要らない。

地方政府と農家の出番だ。企業も、外国農地を買いあさる以外の社会貢献方法があるはずだ。
(転載終了)
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全くその通りだ。
今後は各地で同様の動きが活発化していくのではないだろうか。そうなると、ますます政府の無能ぶりが明らかになっていくだろう。

一方企業側の対応についても、仕事が無いからといって社員を解雇するばかりではなく、地元の農家への派遣という形態も、十分可能なのではないだろうか。まさに社会全体を捉える構造認識の必要性が、ますます高まっていくと思われる。




小松由布樹


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