FC2ブログ

農村を活性化させる為には?

【書籍紹介】伊賀の里 新農業ビジネスただいま大奮闘(モクモクファーム)(1/3)

■伊賀の里 新農業ビジネスただいま大奮闘 金丸 弘美 (著)の紹介です。
商品の説明
三重県阿山町にあるユニークな観光農場の試みをレポートした本だ。
人口八五〇〇人の小さな町に立地しながら、年間五〇万人もの観光客が訪れる「伊賀の里モクモク手づくりファーム」。地元産の豚肉を使ったハムやソーセージのほか、パンや地ビール、野菜ジュースなど手作り農産物を製造販売するだけでなく、レストランや温泉施設、結婚式場まで備えた一大テーマパークとして、人気を集めている。
 地元農家が一体となって地域起こしに賭ける姿を生き生きと書きつづっている。これまでの試行錯誤を紹介した本書を一読すると農業の将来、「ニューアグリビジネス」の可能性について考えさせられる。
(ノンフィクション作家 野口均)
(日経ベンチャー 2002/09/01 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
内容(「MARC」データベースより)
三重県は伊賀の山里「モクモク手づくりファーム」に年間50万人のなぜ?! 町起こしのテーマがない、若者が定着しない…。「ないない病」にかかっている村・町への処方箋がぎっしりつまった1冊。

●ポイント
まえがき
1、「何もない!」全国どこにいっても聞かされる言葉。
 しかし、すべてを「ある」に変えたのがモクモク手づくりファーム。
 人が集まる、特産品がある、若い人が来る、・・・これは与えられたものではない。創り出したところに意義がある。

第1章 「モクモク手づくりファーム」の原点
1、小さな農場に五〇万人もが来訪
1)パン工房の人気の裏には、やる気を引き出させ、既成にとらわれない展開がある。
 店をよく観察していると、客への対応も細かい。みんな言葉もはきはきとしていて、個々のお客さんに合った対応をしている。
 社員もアルバイトも会社のコンセプトをわかっている。マニュアルはない、お客さんとの会話を大事にしている。
 木村さん(社長)は、終始笑みが絶えない。ただ、こだわりは半端じゃない。パンは素人だが、きちんと貫くところを貫かないと地域のものが本物にならないという事をよく知っている。
2)「地産地消」と「身土不二」
 「地産地消」「身土不二」が原点。
 農家自身が生協やスーパーなどの店頭に立って、自らがチラシを配り、宣伝し、直接消費者に試食してもらい、販売を経験させてもらい、消費者と生産者が直接触れ合う機会が原点。

第2章 信頼のブランド確立まで
1、ファームの足取りと現状
1)「伊賀の里モクモク手づくりファーム」は、おしゃれなリゾート施設のように見えて農業を主体とした、生産と加工、販売までを行う農業公園。
2)施設は、地場野菜花市場・農村料理の店・ホットドッグの店・焼肉専門館・コロッケの店・モクモクショップ・ぶたのテーマ館・バーベキュービアハウス・ミニブタハウス・小さなのんびり学習牧場・ウインナー専門館・生ハム専門館・フランクフルトの店・地ビール工房ブルワリー・麦芽工房・ヘルシージュースの店・手づくり体験教室・小麦館・ビアレストラン・野点モクモクの湯など。
3)概要
1988年開業。年間50万人の人が訪れ、売上げは25億円。
2001年に温泉開業。社員80名、パート100名。平均年齢27.5歳。
入場料400円。
ファーム以外の販売網は中部、近畿の百貨店、スーパーの直営店。
生協、農協。
2、地元でブランドを確立
1)自ら作り上げた安全、安心ブランドとしての「伊賀豚」の創出と人気、そして自ら販売する事により確かな手ごたえが基礎。
 そこから、ハム、ソーセージ作りへと発展。
2)まず、ここに来てもらって、自分たちの工場を見てもらって、試食してもらって、話を聞いてもらって徐々にファンを増やして行く事を考えた。そこで、料理教室を開始、偶然にウインナーを作りたいという人が現れウインナー教室が始まった。
 この消費者からの提案を原点としてウインナーつくりを開始。
3)「会員制がよかった。ウインナー作り教室と、自分たちの消費者を組織していくという、この成功が要因でしょうね。でもね、最初は会員と言っても身内ですよ(笑)。特典というのはね、要するに割引。でも割引だけじゃ面白くない。だから、コンサートとか自分達でイベントを始めたんです。リピートしてもらうようにしようと。リピート対策を含めイベントを行い、そこから会員を増やしていったんです。」
「驚くことにはね、ウインナー教室がまたたく間に広がった。口コミなんです。」「人が来るとモノが売れる」
4)足元から商品を見直し、地元の人の信頼を勝ち得、地元からブランドを築く。そして、直接消費者の声を吸い上げ、それを形にしていく。ここは見事なまでのマーケティングがあった。
3、成功の原点はものづくり
1)最初に伊賀豚という信頼のブランドづくりを地元から始めるという戦略の成功。そして体験教室とバーベキューという消費者との交流。
 モクモクの発展要因は出発の時点で揃っていた。
2)農業公園のきっかけは人が集まるということ。
 コンセプトは自分たちで確かめ、生み出すという基本をきっちり守った。観光に重きをいているところは失敗している、成功しているところは、そこにものづくりがあるということ。
3)地元で麦を作り、地元でハムを作り、ここで加工して販売していく。その当初に出発した基点がよかった。だから消費者が指示してくれる。
4、こだわりのビールづくり
1)小麦から麦芽まで地元で作る地ビールが農業公園オープンと同時に誕生。
5、なんにでもチャレンジ
1)最初はみんな素人でやったから、行列はできるわ、ビールもレストランも待たせるわで、もうお客さんから怒鳴られました。なかには「金返せ」まで言われた。
 しかし、お客さんのクレームにも。毎回。即座に取組んで対処し、改善してきたからトラブルの教訓も生きている。
2)モクモクは全部農業を柱にした。いままでは農業はメーカーやスーパーの下請けだった。そうじゃなくて、脱下請けという考え方。ものづくりに挑戦してきたんです。未熟ではあるけれど、確実に伸ばしてきた。でも生産、販売はある程度限界はある。そこを品目化しながら、枠を広げてきたんです。
 モノとソフトがうまく噛み合って、モノだけでは絶対に生まれない広がりをモクモクは持っている。
3)ここになにかあるから売ろう。売れるものからなにをつくろうか、という発想がないと生き残れません。それには知恵と情報がいる。付加価値のあるもの、オリジナリティーのあるもの、そういうものをつくっていく必要がある。
6、手づくり体験の楽しさ
1)いまも一番の人気はウインナーの体験工房
2)園内に自分の工房があるから、さまざまなバリエーションで食材を新しい商品として生み出す事が出来る。イチゴ摘みから大福づくりまでを一つの商品とするこの試みはまさにモクモクの懐の深さと柔軟性を物語る。
~続く~



丸一浩


にほんブログ村 企業ブログ 農業へ
スポンサーサイト



若者を巻き込み地域で起業、農業にも挑戦する旅館の女将!

みんなの農業広場 農業経営者の横顔より転載

書籍:週末は若女将―「楽しい」を仕事にする私たちの挑戦
山根多恵さん(島根県大田市・吉田屋)

 島根県温泉津(ゆのつ)は、島根県の中央にある歴史ある温泉街である。「東京からJRで一番遠い街と言われているそうです。午後9時にはあたりが真っ暗で、移り住んだ当初は、びっくりしました!」と、20代にして、起業支援団体の大阪支部責任者から女将に転身、今や農業にも活動の場を広げている山根多恵さん(26)。


女将を引き受けたのは偶然

 非農家出身の山根さんは、山口大学に在学中、山口市で起業支援に関わったことがきっかけで、卒業前から大阪で起業支援センターの立ち上げと運営に参画。社会人2年目に恩師から誘いを受け、厚生労働省の雇用創出促進協議会推進本部スタッフとして、島根県大田市に派遣された。

 温泉津は1300年の歴史を持つ温泉だが、高齢化率全国一の島根県の中でも高齢化率42%と高いところだ。そんな地域の雇用創出に取りくもうと、住民に何が問題なのか聞いて回ったところ、100年近く続いている老舗旅館を経営する老夫婦に出会い、後継者にと望まれた。


 「女将になりたくて、なったわけではありません。でも、責任をもてる事業をやりたかったし、自分で作り上げる仕事がしたいと考えていたので、やってみようかと。だから女将は“手段”ですね」

 女将修行はほとんどしていない。先代の女将と1カ月一緒に生活を共にし、やり方をマニュアル化した。


 従業員には、それまでの人脈や知り合った若者を“一本釣り”した。山根さんは、地域に若者がいることで、地域が活性化し、地域の問題を解決することができるようになると考えている。

 2006年1月に引き継いだ旅館は、「高齢化の街に若い女将さんがやってきた」と注目されて大繁盛。廃業の危機どころか、売り上げは倍増した。地域からは、必ずしも好意の目ばかりではなかったが、若者が街に増え、実績を積み、注目される存在になった。


週休4日の旅館営業?!

 2006年7月に、山根さんは旅館営業をなんと「週休4日」に短縮したのだった。営業は、毎週金、土、日の3日のみ! なぜなのか。

 「儲かるのはうれしいこと。でも、売り上げや収益が上がるにつれて、スタッフが疲れ、笑顔がなくなってきたんです。そうなると、面白いアイデアも生まれてこなくなります」忙しくなるとルーティンワークだけが仕事であると勘違いし、新しい仕事をしなくなるのは人の常。だから、週休4日にすることで、稼ぐ日と考える日を分けることにした。

 旅館休業日=地域貢献日には、「地域や地域を支える人たちのためになる」活動のアイデア出しや、活動そのものをおこなっている。生まれてきたのが、石見銀山での竹刈りツアーや地域の老人訪問、遊休農地の活性化、もったいない運送などユニークな取り組みの数々だ。


農業のおもしろい形をつくろう

 「もったいない運送」のきっかけは、知人から「夏みかんの収穫ができず、腐りそうだ」と聞き、スタッフを送って収穫した夏みかんを旅館の風呂に浮かべて好評だったこと。これをヒントに、受け取る人がガソリン代を払って、誰かの不要品を欲しい人につなぐ形ができあがった。

   


 竹刈りツアーは、手入れ不足で厄介者になった竹を、お金を払ってやってくる人に刈ってもらう。人手の確保のみならず、人件費もいらない。刈った竹は竹炭や花瓶などに加工して売れば利益を生む、というしくみだ。

 遊休農地では、そば体験(3コース:そば播き、そば刈り、蕎麦打ち)をすることができる。3コースとも体験した地元の子供達が、「NOLO(※1)のそば指導者認定」を受けている。そば体験を希望する人に、この子供たちが先生になって教える、ということもありそうだ。また、ブルーベリー栽培も順調で、ゆくゆくは、特産化や地元住民の雇用につなげたいと考えている。「産官学‘農’連携です」と山根さんは笑う。

 隣の山口県では、ミュージシャン志望の若者二人が、音楽活動以外の日に廃園になりそうだった茶畑の管理に取り組もうとしている例もある。


自由な発想が地域を再生する

 若者たちは、外からの客や地域の住民と接して会話をする中で、ヒントをつかみ、自ら提案するようになる。地域の資源を生かして地域の問題解決をはかり、仕事を作り出すことで、呼び込んだ若い力を地域にとどめ、そして生かす、両者が満足するしくみができつつある。よそ者を拒みやすい地域住民も、興味半分、期待半分のまなざしに変わってきた。

 山根さんは、経営から生まれる利益を、地域貢献、先行投資、ボーナスに3分の1ずつ振り分けている。明日につながる素敵な使い方といえよう。

 「30年後を考えよう!」を合い言葉に、次々に生まれる新しい事業と、若い力と知恵とが、温泉津を、島根を、どう変えていくのか。これからも目が離せそうにない。(水越園子 平成19年12月18日取材 田舎起業セミナーにて/WWBジャパン主催)

※1 NOLO
吉田屋、東出雲町、島根大学が産官学民連携で2006年3月に設立した農業法人。


●旅館「吉田屋」 ホームページ




芝田琢也


にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

【書籍紹介】そうだ、葉っぱを売ろう!過疎の町、どん底からの再生③

ココロが喜ぶこんなこと 葉っぱビジネスリンクより転載

田舎のお年寄りが、せっせと集めた木の葉などが、都会の料亭で和食の装飾として使われる、ただそれだけのことなんですが、労働しているお年寄りの表情がすばらしい!

商品として販売する以上、葉っぱのサイズ・数量などの品質はきっちりと管理され、その商品管理は採ってきた当人がすべてやっています。

また、以前は山へ採りに行っていただけだったものを、今では植樹したりもしており、品質を良くするために細工まで(深い緑色を出す為に黒いネットで覆うなど)もしていました。

そして、農協への納品翌日には、細かい販売実績が送られてきてそれをチェックするおばあちゃんの目は、やり手のビジネスウーマンのようです。

もともとは、上勝町で興ったこの「葉っぱビジネス」、今では徳島県
全体の産業へと広がりをみせ、Iターン、Uターンによる若者の増加で
過疎状態の緩和にもつながっているみたいです。

更なる良い影響として、上勝町の老人医療費は全国平均をはるかに下回るということも報告されていました。

80歳代半ばのおばあちゃんが、サッサ、サッサと山中を歩いて採取し、
自分でパッケージ梱包し、売上状態の把握、管理までやっているのです。
それに、部下(最近役所を定年退職した息子さん、61歳)の指導までし
ています。元気の秘訣はやはり「生涯現役!!」でしょうか。

ちなみにこのおばあちゃん、夕食後にまた仕事を始め、発した言葉が
「楽して儲けちゃいかん」でした。

年配の方には教わることが沢山あると感じました。
------------------------------------------------------------------

After Retirement 葉っぱビジネス(2)リンクより引用

 上勝町では80歳代の人がパソコンを操っている。キーボードを操り,トラックボール操っている。それはいろどり農家専用のホームページを見るためだ。そこには前日との割合から計算された出荷量の目標,これで量を調整し値崩れを防ぐ。日々葉っぱで稼ぐ情報が載せられている。これを見ないと稼ぎが減るという。そして何より自分の出荷金額が分かり,全ての農家でのランキングまで公表されているというのだ。これは必要があってパソコンを高齢者が使いこなしている。

 また、今日本の人口の1割が75歳以上で彼らが使う医療費は11兆円(総額33.4兆円の1/3である)。ところがである。徳島県には24市町村があるが上勝町は老人医療費は最下位。つまり一番医療費が少なくてすんだのである。それだけぴんぴんしているということなのだ。徳島県内比較だけでも(東みよし町93.6万円/1人と比して年間30万円以上も安い62.8万円/1人という)大分安い。全国平均で83万円というからそれでも結構元気でいられることは間違いない。医療費の少ないのは「年寄り自らが考えて生活しているからだという。「風引くと困るから風引かないように」「葉っぱを取りにいく時に怪我すると困るから」と,明日やることがあるから気をつけるようになるのだという。




芝田琢也


にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

【書籍紹介】そうだ、葉っぱを売ろう!過疎の町、どん底からの再生②

After Retirement 葉っぱビジネスリンクより転載

 四国の徳島県上勝町,人口2千人足らず,四国で最も小さな自治体である。しかも高齢化率(人口の65歳以上が締める割合)は徳島県でトップ(49.3%)。しかし,この町へ全国の自治体関係者が年間4千人訪れるという。目的は株式会社「いろどり」代表横石 知二から学ぶことである。「ここでしかできない町独自の仕組みをどう考えるか」。

 上勝町の農協(JA)は,朝9時全国の市場から電話が鳴りつづける。注文は「笹」「紅葉」「蓮いも」「山芋」「なんてん」「柿の葉」「栗の葉」などである。集まった情報を10時に町中の農家へFAXで送る。農家ではFAXで受けた一覧から受けたい注文を決める。農協へ受注の電話する。この時間は受注を争ってなかなかつながらない。受注に成功すると(先に受け手があるとダメみたいだ),さっそく山へ入って「山芋の葉っぱ」を取る。なんと10枚で250円になるという。金連葉(きんれんぱ)も1枚25円である。中には1枚で100円にもなるものがある。紅葉ジャンボ(大きめに切った紅葉の枝)は1箱で2500円ぐらいになるという。そして昼の出荷前にパック詰にして農協へ集めるのだ。この仕事に携わるのは平均年齢70歳の高齢者である。現在上勝町では200件近い農家がこの葉っぱを集めて出荷する農作業に従事している。約320種類の葉を「上勝町いろどり」というブランド名で全国に出荷しているのだ。午後には徳島空港に運ばれる。

 次の日には日本料理の妻物(料理を彩る葉っぱ)として添えられる。「上勝町いろどり」はシェア8割年商2億6千万円という。山の雑木林を「畑」と称し宝の山と変えたのだ。この「いろどり」は上勝町の第三セクターとして設立され,横石氏が代表となって葉っぱの生産・出荷を管理している。売り上げは累計で25億円を超えた。そんな横石氏は高齢化社会を変えた世界の起業家100人に名前を連ねる。

 横石氏は20歳で上勝町の農協へ指導員として就職。初めての職場は異様に思えた。町内の役場や農協には昼間から一升瓶を片手に(酒を飲んで)くだを巻き,女性は朝から晩まで尽きることなく他人の噂話や悪口を言い合っていた。歳をとり人に頼ることが主流であったという。この光景は非常によく分かる。家の近所も,職場で聞く話にもそんな光景は山ほどある。そして人に頼る生活は「補助金を取ってきてや」と言われたことによく現れている。高齢者に仕事がないことが生んでいる状況だ。これは多分上勝だけではない。これまでそれは議員を通じて,いかに金を当地へぶん取ってくるかが,公務員の仕事であったのだから。

 そして横石氏は大阪へ出張した折り,すし屋で意外な光景を目にする。若い女性が「これかわいい,きれいね」「もって帰ろうよ」と言って,きれいなピンクのハンカチにもみじの葉っぱを包んだというのだ。横石氏は「あんな葉っぱがきれい?珍しくも何ともない。上勝ならいくらでもあるのに」そしてたどりついたのが「葉っぱ」を売る商売だったのだ。横石氏は「どんな葉っぱがどんな季節に必要なのか,自費で料亭まで通って調べたという。そしてこれをビジネスとするには高低差の激しい上勝の自然の利がある。ここは年間を通じ,色とりどり,さまざまな種類の葉っぱが収穫できる。そして今,上勝は田舎町とは思えない立派な家が立ち並ぶ町にまでなった。

 高齢者を使ったビジネスモデルの成功例の一つだが,最初は「よそ者のおまえに何ができるんだ」「そんなことを言うやつは帰れ」「うちの町にはお前はいらないよ」「出て行け」とまで言われたそうである。それに対し「地方を再生するのは『よそ者』『ばか者(常識を破るものとの意味)』『若者』だ」という。つまりその土地の者にとって葉っぱは当たり前のもの。外部のものが初めて価値を知るという場合もあるのだ。当時の町民は仕事がないことへの危機感はなく,あきらめムードだったようだ。これは今の日本も同じようなイメージだと思う。町民の人口も下降線で外へ出て行こうとしていたので,家が建つことなんてありえなかったという。

 一つの人生観だと思うが,横石氏は「朝起きた時に,やらなきゃいけないと思えるものが,あるかどうか」「このことが一番大事だ」と思ったという。町おこしとか,村おこしとか言うけれど,問題は町や村ではない。そこに住んでいる人が何をするかということなのだ。





芝田琢也


にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

【書籍紹介】そうだ、葉っぱを売ろう!過疎の町、どん底からの再生①

「葉っぱビジネス」の仕掛け人である横石知二氏が語る過疎の町からの再生物語です。

◎上勝町も過疎化が深刻

 著者の横石さんが上勝農協に就職した昭和54年の町の人口は
 約3000人。昭和25年の半分になっていました。

 海外の安い木材の輸入により、林業が大打撃を受け、農業で主力
 のミカンも激しい産地間競争で伸び悩んでいました。

 生活が苦しくなり、厳しい山の暮らしを捨て、住民はどんどん町
 に出てゆきました。

◎異常寒波でミカン全滅

 昭和56年2月、大寒波が上勝町を襲います。
 この寒波でミカンの木が全滅し、被害総額は25億円を超えました

 横石さんは、「何とかせなあかん」と短期間で収入が得られる
 ”切り干しイモ”や”ワケギ”の生産に取り組み成功する。

 農家が立ち直ってくると、年中収穫できる柱を持つ重要性を感じ、
 シイタケ栽培をスタートさせる。これでも年間5億円を超える
 収入につなげる。

 でも、シイタケ栽培の原木は重く、上勝町の多数を占めるお年寄り
 には向いていない。お年寄りにできる仕事はないかと考え始めます。

◎葉っぱビジネス

 横石さんは、ある時、大阪出張の帰り、がんこ寿司に立ち寄ります。
 目の前に座った若い女性が、料理についてきたモミジを見て、
 「これかわいい。もって帰ろう!」と話しているのを聞き、葉っぱ
 ビジネスを思いつきます。

 店で聞くと、料理に付けられる葉っぱは、”ツマモノ”と呼ばれ、
 料理人が山に取りに行っているとのことでした。

 早速、上勝町で葉っぱや花を集めて、大阪に出荷します。
 でも、まったく売れませんでした。
 たまたま、料理人の言葉を聴いて、現場を知らないことを知り、
 自費で料亭通いを始めます。給料を全く家にいれなかったそうです。

 そして改良された葉っぱは、売れ始めます。
 売れ始めると葉っぱビジネスに関わるおばぁちゃんの数も増え、
 昭和61年に4軒でスタートしたビジネスが、昭和63年には
 44軒が参加するようになります。

◎みんなで働ける社会づくり

 葉っぱビジネスが始まるまで、上勝町のお年寄りはする事が無く、
 毎日のように診療所やデイケアサービスに通っていたそうです。

 今は、忙しくてデイケアサービスからの誘いも断る状況にある
 ようです。
 生活に張りがあり、働いていて、評価され社会と繋がっていると
 感じれることが嬉しいそうです。

 おばぁちゃん達は、注文を無線FAXで受け、パソコンで市場の
 価格を見ることで生産調整さえしているのです。




芝田琢也


にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

『わら一本の革命』 ③原点を忘れた日本の農政

元々日本は国民皆農に近い状態が続いていた。現在の農政はアメリカ型の大規模少数農家を理想としているようだが、それが答えとは確かに思えない。
『わら一本の革命』 福岡正信 より抜粋引用
//////////////////////////////////////////////////////////////////
・原点を忘れた日本の農政
 それにまた、一般の考えでは、少数の人間で能率を上げて大量に作れば、それが農業の発達だと思っているから、終戦直後は人口の7、8割が農民だったのをですね、4,5割にし、さらに3割、2割にし、現在は、2割をわって、17%くらいですかね。さらに1割、10%以下に下げよ、欧米並みに4%まで下げよというのが、農林省の目的なんです。

 私は、実は国民皆農というのが理想だと思っている。全国民を百姓にする。日本の農地はねちょうど面積が一人当たり一反ずつあるんですよ。どの人にも一反ずつもたす。5人の家族であれば5反持てるわけです。昔の5反百姓復活です。5反までいかなくても、1反で、家建てて野菜作って米作れれば5~6人の家族が食えるんです。自然農法で日曜日のレジャーとして農作して生活の基盤を作っておいて、そして後は好きなことをおやりなさい、というのが私の提案なんです。

 玄米や麦飯がいやという人には、日本で最も作りやすい裸麦で作った麦飯・パンもよいでしょう。これが最も楽に生き、国土を楽にする一番手近な方法だと思います。現在の農政というのは、それと全く反対なんです。数を減らして、少数の者に作らそう、アメリカ式にしようというのが、目標なんです。しかし、これは能率が上がったというのとは、ちがうんですよ。(P125)
//////////////////////////////////////////////////////////////////
(引用以上)

国民皆農という原点をベースとして、減反を止めていけば日本の農業は必ず復活できる基盤があると思った。あとは農政という発想・やり方が非常に重要。
・・・ex家族単位に限らず、企業や自治体という集団単位を組み込み、税制などを補助手段として実現していくなど。



井上宏


にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

『わら一本の革命』 ②汚染時代への回答

海の汚染、スカスカになった野菜、高級?だけど危険な食べ物・・・・これらは一連のもの。それをつくりだしているのは人々の意識・観念。・・・逆に土地の穀物や野菜を食べていけば、日本であれば十分自給が可能である。

『わら一本の革命』 福岡正信 より抜粋引用
//////////////////////////////////////////////////////////////////
・海の汚染は化学肥料が原因
・・・・こういうふうな問題を、解決するにはですね、あらゆる人々が一緒になってやらなけりゃいけない。あらゆる人々というのは、生産者も、消費者も、漁業に生きる人も、海の周辺に住むものも、すべての人の意識変革が根本的になされない限り、公害問題は止まらないんです。
・ ・・百姓は関係がない、どころじゃなくてですね、百姓が田圃や畑で使っている化学肥料、農薬、こういうものがどういうふうに海の汚れと関係しているか。・・・・肥料というのは、魚にとっても、生物にとっても、一つの栄養分なんですが、この栄養分が過多になって赤潮が発生していることも確かです。(P96)

・自然食ブームの意味するところ
 私が、薬もかけない、化学肥料も使わない、土地も耕さないで作った、そのミカンがですね、生産費が安いから、これを引けば、どうかすると、一生懸命作った人よりも、手取りが多いということになってくる。
・ ・・・誰でもが自然食品を食べるという運動を起こすためには、安くなければいけないというのが、私の考え方だったわけです。高いとそれは貴重品あつかいにして、少数の人は買ってくれますが、そういう人を相手にしていたんでは、結局本当の生産が伸びてこない。つまり、大量に流通されるかっこうにならなきゃ百姓も安心して作物を作れないわけなんです。(P110)

・人間の食とは何か
 とにかく一般に自然を離れたものをおいしがるのは、結局、ものの本当の味がわからないんです。・・・・・
 結局、川の魚が人間に一番いいんですね、その次は浅海の魚で、一番悪いのが、深海ないしは、遠海になってくるわけです。人間が苦労してとってこなきゃいけないものが、一番悪い。で、こういうふうに考えてきますとね、人間の身近なものが、一番いいことになってくるわけです。(P116)
 その反対にまちがった食物をとるとですね、おいしいように錯覚して舌におぼれ、人工的なくだもの、魚、野菜、メロン、ブドウ食って、遠方のマグロ食ってね、牛肉まで食う。まさに、これ最高のごちそうに見えるんですね。ところが体は一番危険な状態になってくる。しかも、そのために、どれだけ難儀をしておりますかね。土地のものを食っているのに比べて、ちょうど7倍になるんです。7倍の資源と労力がいる。
 だから穀物を食べている人種は、肉食人種の7分の一の働きでいい。7分の一の面積で同じ人口が養える。日本の国は狭い狭いといっておりますが、日本人がみんな穀物、菜食するようになったら、人口が2倍になろうが3倍になろうが、この国土の中で十分養っていけるんです。(P118)

・狐にばかされて、人間が木の葉や馬の糞を食べる話があるが、笑いごとではなく現代人は頭で食事をして、体で食事をしているのではなく、パンを食べて生きているのでもない。現代人こそ観念というカスミの食物を取っているのである。(P218)
//////////////////////////////////////////////////////////////////
(引用以上)




井上宏


にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

『わら一本の革命』 ①科学技術の完全否定と誰でもやれる自然農法

この本を読んでみて、現代の仕組みが農業のみならず科学技術への信仰にもとづいてつくられていること、それが様々な弊害を生みさらに目先の技術を使って解決しようと悪循環に陥っていくこと、それに対して自然の摂理に徹底的に同化して発想を変えていくことで突破口が見えてくること・・・・それらを確信し実践を重ねてきた先人がいる。

『わら一本の革命』 福岡正信 より抜粋引用
////////////////////////////////////////////////////////////////
・人間の知恵を使わない自然農法というものが、科学農法に太刀打ちできるものかどうか、ということをずっと問題にしつづけていたのです。(P19)
・あれもしなくてよいんじゃないか、これもしなくてよいんじゃないか
 それより前から、いろいろ考えていた、米つくりの考え方を根本的に変えた自然農法を実践してみたんです。よりよくするための“技術”の寄せ集めは一切やめてしまって、逆の方向をとった。あれもしなくてよいんじゃないか、これもしなくてよいんじゃないか、ということを追求して、それらをみんなやめていった。
 だから自分の米作り麦作りは極めて簡単なものになってしまって、もうこれ以上手を抜くこところはないようになってしまった。種を播いてわらを振るだけですから。だが米麦ともに反当たり十表以上をとるようになるまでには20年も30年もかかってきたというわけです。しかし、これは、自然農法で成功するには、長年かかるという意味ではありません。(P47)

・自然農法の四大原則(P48)
 ・第一は不耕起(無耕転あるいは無中耕)
 ・第二は無肥料
 ・第三は無農薬
 ・第四は無除草

・わらは地力を培い、土を肥やす。
 30年間鋤いてなくて、その間に土がどう変化してきたか。普通の耕耘機で鋤いた土より深くなって、しかも腐食に富んだ黒い土になってきている。
それがどういうところから来ているかといえば、土で栽培されたものを全量、土に返す稲わら・麦わらの全量を、籾がらも全部土壌に還元する。・・・・こういうことを続けているから、肥沃な腐植土が出来るということなんです。(P64)

・技術がどうして発生したか?
 稲作には田圃を鋤かねばならない、深耕するほど米がよくできる、こういう技術がどうして発生したか。それは鋤かなければならないような状態に田圃をしてしまった、ということの結果なんです。土を鋤いて水を入れて練って、壁土を練るようにして空気を追い出してしまい、バクテリアも殺してしまうようにした。土を死滅状態にして、そこへもってきて、肥料を入れると米はよくできる、という結論になった。
 自然の土というのは、放っておいたら自然に肥えてきて肥料なんか入れなくってもいいようになっているんです。それを人間がいためつけて、力をなくしてしまっておいて、そこを出発点とするから肥料の効果が出ているように思われるにすぎないのです。軟弱徒長の水稲を作るから、農薬散布したら効果が上がった、というにすぎない。(P84 )

・とにかく私は、従来の農業技術を根本的に否定するところから出発しております。これは私が、科学技術というものを完全に否定しているということです。この科学技術の否定というのはどこからきているかというと、今日の科学を支える西洋の哲学の否定にもとづいているわけです。(P90)
//////////////////////////////////////////////////////////////////
(引用以上)



井上宏


にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

新たな「市民農園」の可能性!

《市民農園の新時代!》

第4期とも云うべき今日的状況を、関東農政局が「第1部 市民農園の新時代!」(リンク)と題してレポートしている。

なかでも、中高年ホームファーマー農園(神奈川県)は、担い手の高齢化や後継者不足による耕作放棄地を、高度成長期に県外から流入してきて、ここ10年で定年を迎えるが農業に関心が高い層とを結びつけるシステムという。

県は農家から農地を借り受け、荒れた農地を整備して希望者から利用料を徴収して、体験研修農園(1年目≒100㎡)とホームファーマー農園(2年目以降≒300~500㎡)で実践研修し自立を目指す人を援護するという。栽培指導は普及指導センターОBや協力農家が担う。

制度発足当時43名が、5年目の18年度のホームファーマーは、県下の53農園で496名になるという。農家と同じ条件で耕作する農園で、1年目の「体験研修農園」から2年目の「実践研修農園」へと8割が移行し、利用者の殆どが体の動くうちはホームファーマーを続けたいという。

自家消費やお裾分けでは余る余剰作物を、「販売した事はないが販売してみたい:41%」「販売した事がある:3%」と答えているというし、中高年ホームファーマーの就農意向は、「就農したい:23%」というから、まだ新規就農者はでていないが、ひとつの勢いを形成するかもしれない。

面白いことに、一部利用者が農園近くに引越して熱心に耕作するのを見て、県が農園用地として借りようとしていた農地の地権者が、考え直して耕作継続するケースも出ているそうだ。

《熟年パワーが農の再生を促すか?》

中年以降や定年後に生家に戻って農業を担うUターンやホームファーマーは、いずれも5~60歳代の熟年パワー。農業従事者の高齢化は、更にその上の世代だから、少なくとも耕作放棄地の回復や維持に貢献してくれれば、「農」の社会的な価値が認識され、多様な支援金制度など(181386、194431)が軌道に乗るまでのつなぎとはなり得るだろう。

因みに、今回の世界規模の経済破綻により、'80年並の経済規模に縮小するなら、失業率を加えて農林水産は13%、'70年並なら20%、'60年並なら34%の受け皿を用意する必要がある。できない相談ではないかも知れない。

             '60年  '70年  '80年
農林水産         32%   19%   11%
建設+不動産        6%    8%   10%
エネルギー+運輸通信    5%    7%    7%
製造業・鉱業       23%   26%   23%
販売・飲食・宿泊・娯楽  16%   20%   23%
金融・保険         2%    2%    3%
民間サービス        6%    8%    9%
教育・宗教等        3%    4%    4%
行政・公務         3%    3%    4% 
失業率           2%    1%    2%     

にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

農協の実体④~農協帝国の凋落~

引き続き農協について引用します。
(引用元:ローカル通信舎)
--------------------------------------------------------------

●JAが生き残るために選択したもの
/さらなる農政への従属を選択した農協組織

1995年、食糧管理法が見直されて農家の「作る自由」や「売る自由」が保証される筈だった新食糧法が施行される頃、JAは、農政との相互依存体制の下で、新食糧法体制での「米の生産調整(減反)」を受け入れていく。そして、新食糧法でJAの「米の生産調整(減反)協力義務」まで明記。それと引き替えに地域生産調整推進助成金を、全農家参加型の生産調整いわゆる「とも補償」(生産調整を地域全体の取り組みで促進させる助成金がらみの減反強制手法で、農家個々の基金に依存せず、全額が地域生産調整推進助成金で賄われる)での実施に限定して農政から取り付けていく。

これによって農家の自主的判断による生産調整への参加・不参加や「作る自由」は事実上消滅。「米の価格安定のために」と農家を説得して生産調整を新たに10万7000ha増やし、JAが「農政の出先機関」として全体で約80万haの生産調整を稲作現場で強行させ、1998年までに70万tの米の在庫削減を目指す。

しかし現実には、当然のことながら市場原理を導入した新食糧法に、米の販売価格を支配する方策や権利はなく、大半の米価格は、実際の販売動向に左右されて、一部の人気銘柄米を除いて殆どが下落傾向を示してしていく。

そして、自主流通米の入札価格での落ち込みに対して、「組合員(農家)利益」を優先させる筈のJAは、県経済連自らのリスクを回避するための手段として「農家への仮渡し価格の引き下げ」で対応。農家(組合員)は、規模拡大した稲作農家になればなるほど減反増加分と仮渡し価格の引き下げというダブルパンチに見舞われ、手取り収入の大幅な減少という痛手を被っていくのだった。

米の市場開放を事実上阻止できなかったJA組織はまた、「組合貿易」という法人を通じて米輸入にも積極的に参入。「日本の農業を守る顔」と「農産物の完全輸入自由化に商社として対応する顔」を見せ始める。

そしてさらに、農業者(組合員)が基本的に支え合うはずの信用事業では、カネ余り現象とずさんな運営管理体制の下で、バブル期の株投機からバブル崩壊期の株投機の失敗を皮切りに、住宅金融専門会社(住専)や他のノンバンクへの貸し込みと融資の焦げ付き問題へと、農業とは大きくかけ離れた世界の金融ゲームに飲み込まれていく。

そして挙句の果ては、自らの経営上の取り組みで墓穴を掘っていながらも、その失態に対する責任を不在のままにして、結局は政府による救済と処理に依存。JA組織自らが、さらに農政機関に監督・統制される道を選択するという自立不可能な奇妙な協同組合組織になっていくのだった。


●いつか来た道を繰り返すJA/農協

誕生して50年の農協組織はいま、時代の節目の二巡目を迎えている。そして、余分な要素や理屈を取り除いて、その二巡目の節目を見ると、節目ごとの対応が、あまりにも「いつか来た道」のこれまでに似かより過ぎているのに気付く。

例えば、現在進行形の農協合併や統合の姿は、1961(昭和36)年から1970(昭和45)年の10年間で実施された合併の構図や統合の姿に似ている。また、現在進行形のさらなる減反受入れは、1966(昭和44)年からの減反開始で取った農協の姿勢によく似ている。

そして、輸入自由化や食管廃止に付随した補助金農政にぶら下がった農協の姿は、1961(昭和32)年の農業基本法農政に従属していった図式に似ているし、住専処理とその後の農協の姿は、1950(昭和25)年の農協救済と、その後の政府の農協支配の図式に、あまりにもよく似すぎている。にもかかわらず、大きくなり過ぎた農協組織は、大きくなり過ぎたがゆえに、自らが何をどのようにしているのかも気が付かない内に、それよりもさらに大きな網に掛り、抜き差しならない世界に引き摺り込まれ始めているのだった。

●最も中途半端な組織になったJA
/画一化から硬直化に向かう農協組織の寿命

農業者の相互扶助を目的とした協同組合の顔と効率的経営を展開しようとする総合商社の顔と信用事業に寄って立つ金融機関の顔と農政に連動する下請的出先機関の顔。それらの顔を併せ持ち、用途に応じてその顔や機能を器用に使い分けて巨大化してきた農協組織。

しかしそれは、一方では、その姿が変幻自在であればある程、協同組合としても、金融事業にしても、商社的活動にしても、保険事業にしても、すべての取り組みを中途半端なものにしていき、今では逆に、どの面においても時代遅れで独創性のない組織としての姿を、より鮮明にしていくばかりなのだった。

そして、これまでの農協組織というシステムが、その性質を大枠で示してきたものは、「組織化は、おおむね上意下達的な発想による指導・強制に極めて便利という利点以外には、その性質は、殆どあり得ない」という事だった。

また、農協組織が、実際の取り組みの中で示すものは、「さらに世の中が複雑になればなるほど、独裁的な手法が尽くされ、その側(特に中央組織)が執り行ないたい事柄は、すべて巧妙に、多くの人が望んだように見せかけようとする」事だった。

これまで以上に農協という組織は、政・官を相手にした政策交渉に明け暮れ、農政と一体となって施策を推し進め、金融や共済事業にも固執しながら、「より大きいことがいいことだ」とする単位JAの広域合併を代表とする一元化と画一化の取り組みに邁進していく模様だ。すると政治の世界がそうであるように、挙句は、偽善と猿芝居が日常の作法になり、これまで以上に人は、理性に背を向けて茶番の世界に生きる事になっていくのだった。

そして最終的には、金融や共済事業に固執するあまりに金融ビッグバンの中で完全に落ちこぼれ、農協の存在理由の正否や存在価値は、否定されこそすれ肯定や支持されることもなく、徐々に、そしてある時期を境に一気に凋落していく様相を呈しはじめている。





三浦弘之


にほんブログ村 企業ブログ 農業へ