FC2ブログ

農村を活性化させる為には?

一見足枷に見えることが、実は最強の土台となる

一見足枷のように見えることが、実は最強の土台となっていく、これは大きな気付きでした。

農園の経営を考える時、農産物の販売においては直売が有利であることは明らかですが、宅配やネット販売などでは、高いリピート率の維持と口コミによる拡大が課題になります。そのためには、商品の内容や品質はもちろんですが、「買ってよかった」「また買いたい」と思って頂けるような、心のこもった対応やこまめな(例えば季節の手紙を書くような)発信が必要です。

ただ、それにはかなりのエネルギーを必要としますし、であるが故にそれが足枷のように感じられ、なかなか踏み出すことが出来ませんでした。しかしこの投稿を読んで、農産物の販売も共認運動の拡大も、ポイントは同じであることに気が付きました。

現在は、人々の軸足がものの豊かさから心の豊かさへと移行し、誰もが周りとの共認充足を求める時代です。農業でも、単に農作物を生産・販売するだけでなく、いかに共認充足を提供していくか、という視点が不可欠です。

であるならば、宅配やネット販売はその最良の場or手段であり、こまめな発信や手間を惜しまず、ストレートにそこに注力していけばいいのです。そのことがまさに最強の土台となって、経営を支えてくれることになるのだと感じています。


小松由布樹

にほんブログ村 企業ブログ 農業へ
スポンサーサイト



日本の食糧自給率が低いのはなんで?

日本の食糧自給率は、60年の79%から06年の39%(カロリーベース)へと40数年間で半減している。大きく捉えて、それには2つの原因が考えられる。

①食糧輸入の増大
直接的には、戦後米国の新自由主義の戦略によって、自由貿易が拡大されてきたことが大きい。米国はマスコミ支配を通じて、欧米流のライフスタイルがいいことであるといった価値観を植え付け、貿易面では農業の自由化を要求してきた。その結果、日本では食の欧米化(肉食化)が急速に進み、食糧輸入が増大した。(米やいも類、野菜類はほぼ自給できているが、カロリーベースでみると、肉類の飼料がほとんど輸入に頼っているため、自給率は低くなる。)

②後継者不足
農業問題では食糧自給率が低いことが一番の問題とされているが、そもそも何が問題なのか?を考えてみると、結局後継者問題に行き着く。このまま後継者が少なくなると、ますます農業は産業として衰退していき、国民生活に必要不可欠な食糧を外国に頼らざるを得なくなる。(安定・充足の意識潮流を根底から揺るがしかねない。)
後継者不足に陥っている理由は、結局農業が儲からないという問題につきる。農業が儲からない理由は、農作物が生活必需品であるがゆえに、他の贅沢品のような幻想化の余地が少なく、人々を騙しにくいからである。人々を騙しやすい商品ほど高値がつき、儲かるという市場原理の支配する世界では、人々を騙せる余地の少ない農作物は、どう頑張っても安くなってしまう。
新自由主義といったイデオロギーで市場原理に委ねていけばいくほど必然的に価格格差が生じてしまうので、農業は儲からず、農業人口は減り続ける。(日本の農業人口は60年の1200万人から05年の200万人へと1/6になっている。)

※生産性の上昇<生産力の低下
06年/60年比で、農業者一人当たり生産量(生産性)は6倍になっている。戦後の流れ的には、農業の近代化(機械化、化学肥料、農地整理等)によって、生産性が向上したとされているが、価格格差を埋めるための生産性向上は、マクロ的にみると後継者不足による生産力の低下を上回るものではない。

一方、新たな農業の可能性を探るうえで、注目すべき動きも出てきている。
③活力ある農業経営者の躍進
最近では、大規模な農業事業者がシェアを伸ばしている。大規模農業事業者の中には、農事法人化して共同体的な経営に取り組んだり、顔の見える生産関係を模索したりするなど、活力をもって新たな取り組みをしている事業者が多い点は注目される。(おそらく、農業事業者の大規模化は生産性の向上にも寄与している。)

①②③の現状分析から、これからの農業の可能性を考えると、3つのコンセプトが浮かび上がる。

①新自由主義からの脱却
②市場原理からの脱却
③意識生産(類的価値の創造)型の農業へ

以上のようなコンセプトをもとに、今後具体的な政策を研究していきたい。


雪竹恭一

にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

【書籍紹介】『農業で利益を出し続ける7つのルール』2~農業で成功する一番のコツは日記をつけること~

続きです
---------------------------------------------------------
<栽培管理>
■うまくいっている農家は日記をつけている
・できる農家と、うまくいかない農家があります。どちらも、日々、やっている行動に大きな違いはありませんが、見過ごしてしまうような小さなことに差があるように感じます。

・野菜くらぶは現在、56名の生産者で組織しています。うまくやっている農家と、うまくいかない農家の違いについて、事あるごとに観察しました。しかし、なかなかその本質が見つかりません。よい人も、悪い人も、同じ地域で同じ野菜を栽培し、品種も同じ、肥料もだいたい同じ、農薬の使用についても同じか、悪い人のほうが多いくらいです。

・ところが、ある会議をしたとき、もしやと思いました。

「農業日誌か日記をつけている人は手を挙げてみて」

 すると面白いことに、毎年良い農産物を生産して業績が伸びている生産者は、間違いなく農業日誌か日記をつけていたのです。逆に、毎年、同じ失敗を繰り返し、うまくいかない農業をしている人は、そのような記録や日誌をつけていませんでした。

・農業日誌をつけている人の中には、それがすでに数十冊にもなった人がいて、何年の何月何日に作物がどの畑でどのような状態で生育していたかを細かくつけていました。そのため、過去の経験がすべて活かせていたのです。私も日記をつけているのですが、確かに日記を見て過去を振り返ると、そのときの状況ややっていたことを思い出します。また、それだけでなく、そのときの感情までよみがえり、それが作物を育てるための理性を超えた先を読む力になっていたのです。

・日誌をつけ始めてから数年経過して、かっては同じ失敗を繰り返していた問題の生産者の成績が伸び始めました。このような経験から、「農業で成功する一番のコツは日記をつけることだ」と私は常に言っています。

『農業で利益を出し続ける7つのルール』澤浦彰治、ダイヤモンド社より抜粋引用
---------------------------------------------------------

 さまざまな要因がからむ農業において、日記という形で記録を残すことが栽培技術の向上や経営改善に不可欠という指摘はなるほどと思わされます。先を読む力の原点は、記録から過去を振り返り、成功や失敗の原因をさぐり、次の修正方針を組み立てていくことにある。

 農家の技術力の違いがこの日記の有無にあり、日記をつければ実際に技術向上していったという事例は納得されられます。

 これも、農業に限らない。仕事の記録をつけることで、「どの時期に何をして(行動記録)」「結果はどうだったのか(効果検証)」「良かった点や改善点は?(原因分析)」、などの情報を新たな仕事をすすめる際に参照して仮説を立てる。また、その結果検証が新たな情報蓄積となる。その繰り返しで技術が進化していく。

 農業は、たしかに外圧状況(天候、外敵等)や作物の育成状況の観察など、経営における変化要因が非常に多い。しかし、いまや、どの産業でも経営環境は短期間かつ大きく変化している。これからの意識生産の時代では、すべての産業は農業のように外圧への変化対応を求められるように思います。

3へつづく


center_axis

にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

週休五日制の三世代菜園家族構想⑥-学校の果たす役割


■地域に根付いた共同作業による調査・研究と菜園家族森の学校

□地域における学校の役割
もともと学校はさまざまな暮らしの局面で地域住民と深くつながっていた。山彦学校、美咲の分教場、花巻農学校など、学校が地域に果してきた役割は非常に大きいことが分かる。

そこで、学校の役割を、児童・生徒の教育と地域づくりという二つの機能からなるものとして、明確に位置づける。

週休五日制のワークシェアリングによれば、教員数は倍増し、教員にも菜園が与えられ、集落の人々とともに、教育と地域づくりの活動に主導的な役割を果たしていく。そして、山村における新しい教育が、新しい教育理念の下に行われていく。知識のつめこみによる産業のための人材養成ではなく、子どもたちの生きる力を養い、育て、真の子どもの幸せに結びつく全人的教育が模索され、円熟していく。

□森の学校設立の狙い
差し迫った世界の転換期にあって、何よりもまず、これまでのものの見方、考え方を支配する認識の枠組み、すなわち既成のパラダイムの革新によってはじめて、既成の社会のあり方は根源的に問いただされ、時代の社会の構想が可能になる。

延々と続いてきた既成の組織や制度や体制が、人間の思考を旧来の枠組みに閉じ込め、圧殺するものであるとするならば、パラダイムの革新は、既存の大学や研究機関や「学会」というアカデミズムの世界からは、望むべくもない。

それが期待できるとすれば、権威に装われ、一見、立派に整ったかのように見える既存の機構や制度からではなく、以外にも時流からはずれた位置にある素朴で自由な「在野の学」からなのかもしれない。犬上川、芹川、流域地域圏の最奥の山中で、地域の人々ともにスタートに向けてようやく動き始めた菜園家族山の学校も、そのような一つでありたい。

菜園家族山の学校は、菜園家族構想の研究成果を暫定的な作業仮説とし、住民、市民そして研究者による、犬上川、芹川流域地域圏の点検・調査・立案の終わりなき連続螺旋円環運動を粘り強く続けていく。この調査・研究は、菜園家族山の学校の研究と教育と交流の三つの機能の中にしっかりと位置づけられ、教育と交流とも相互に有機的に連動しながら、効果を発揮していくだろう。

都市の住民も農山漁村の住民も商工業者も、また子どもからお年寄りに至るさまざまな世代の人々が自主的に楽しみながら学びあう場。これが、菜園家族山の学校の最大の特長になる。

したがって、ここでの「教育」の理念は、受験競争を目的とした近視眼的な知識詰め込み主義を根本から改めたものでなければならない。

土地を耕し、作物を育て、収穫する。料理し、食卓を囲み、味わい、語り合い、楽しむ。現代人にはとうに忘れられたこの一貫した素朴なプロセスの中に、自然との一体感と豊かな人間関係の基礎が育まれる。本当の自己実現は、すすんで身近な自然に親しみ、地域の活動や調査に参画し、そこから得た智慧を暮らしに活かし、自らの地域を変え、築き上げていく努力の中でこそ、果たされる。21世紀の教育の理念は、こうした確かな社会性に裏打ちされたディープエコロジーの立場にこそ見出されるだろう。

こういった考えの下、菜園家族山の学校が、休園となった大君ヶ畑の保育園を校舎として完成、昨年8月から徐々に稼動している。

(以上引用・要約終了)

千葉裕樹 

にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

週休五日制の三世代菜園家族構想④-実現のための政策

□菜園家族・流域地域圏を実現するための政策:土地バンクの創出とCFP複合社会

前述の通り、菜園家族構想を実現するためには、家族単位での生産手段の再生と、「なりわいとも」にもとづく相互扶助的な流域地域圏を創出することが必要。

まず、菜園家族が実現するためには自給的生活のための生産手段の確保が必須。またその一方で賃金を最低限得るための従来型の賃金労働を得る機会も必要。

つまり、「菜園家族」構想を実現していく最初の段階で、まず、国や地方自治体が直面する重要課題は、「菜園」、農地の確保と週休五日制によるワークシェアリング制度の確立。

・兼業農家はすでに農地を保有しているので、勤め口があれば可能。
・都会生活者でも、田舎の実家に農地がある場合は、実家に勤め口が見つかれば移行可能。
・この二つのケースが着実に促進されれば、森と海を結ぶ流域地域圏上流域の森林地帯の過疎・高齢化の問題は大いに解決の方向に向かう。
・問題は、サラリーマンでかつ農地のあてもない人。
・こうした人々に実現可能性を提示するためには、地方自治体などが、公的な土地バンクを設立することが大切。

また公的土地バンクと週休五日制の勤め口の斡旋を強固にリンクさせる。後継者不足になやむ土地保有者が所有地を公的土地バンクに提供する代わりに、その保有者の後継者の勤め口を自治体は提供する。

また、週休5日制にするメリットは、
・自然に市場が縮小するので、世界全体から先進国が搾取するという既存の構造も縮小に向かう。
・ワークシェアリングにより単純計算で雇用が2.5倍に拡大するので、雇用の機会が拡大。また、企業も家族は「菜園」によって、生活基盤が保障されているので、完全にその家族の生活を保障する必要は減少し、よって多様な雇用形態ができる。

・菜園が生活の基礎となるので、より農村に近い場所を選ぶようになるので、大都市への一極集中も減少し、地方も活性化する。

・このような社会的条件の下で始めて、科学技術の発展の成果は、もっぱら市場競争のためのコスト削減や目新しい商品開発に向けられるのではなく、人間の労働の軽減や人間の幸せのために役立てられることになる。

ではそういった菜園家族を基盤に構築される日本社会とは、一体どのような社会になるのか。

その第一は、厳格に規制され、調整された資本主義セクター(CapitalismのC)。第二は、菜園家族を主体にその他匠・商の自営業を営む、家族小経営セクター(FamilyのF)。第三は公共機関などによる公共的セクター(PublicのP)。それ三つの頭文字をとって、CFP複合社会と名づける。

その特質は、まず家族小経営セクターが全体の七分の五になるので、市場原理の作動を全体として大きく抑制できる。また、家族の機能で失われた代償としての社会保障制度の必要性も減るので、社会保障のあり方が大きく変わり、負担が大きく低減される。

千葉裕樹 

にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

週休五日制の三世代菜園家族構想③-自然の摂理から菜園家族を考える

■生物界を貫く原理「適応・調整」に基づいて社会を構築する
週休五日制の菜園家族は、もとより単独で孤立しては生きていけない。また、グローバル経済が席捲する今、ひとりでに創出され、育っていくものでもない。

今ここで改めて、菜園家族をはぐくむ場として、かつて高度経済成長期以前まで生き生きと息づいていた、循環型の「森と海(湖)を結ぶ流域地域圏」の再生を図ることがなくてはならない大切な前提条件になる。

そのためにはまず、「自然界を貫く摂理」をしっかりと理解しておく必要がある。

では、ここでいう「自然界を貫く摂理」とは何かを追求すれば、それは「適応・調整」原理に考えが至る。

そもそも、生物個体ができあがるためには、“外界となんらかの、境界ができ一定の内部環境が出来る必要がある。しかし、その内部環境は常に外部環境の(変化の)影響を受けており、外部環境の圧力が変化するとそれに「適応」して、内部環境を「調整」するということが、ここでいう「適応・調整」原理である。

では、現代の社会を見ると、権力的で固定的な指揮・統制・支配構造が未だ蔓延しており、より優れた柔軟性に富む「適応・調整」原理を組み込む必要がある。

そのためには、何よりもまず、人間という生物個体の基礎単位である細胞の機能、構造上の原理を地域の基礎単位に組み込む必要がある。

菜園家族を人体における細胞とすると、流域地域圏といういわば人体の基礎単位として人体のあらゆる組織の総合的なメカニズムの中にありながらも、相対的に自立した自己完結度の高い生命体としても機能しているイメージになる。

一個の細胞を見てみると、細胞内で遺伝・代謝といった生命活動全てが包括されている。そういう観点で現代の家族を見ると、生産手段を失った家族は、細胞質がひ弱になり核と細胞膜だけからなった干からびた細胞に見える。

そういう意味でも、まずは生産手段を得ることで細胞質がよみがえり、細胞が活性化し、それによって組織全体(=地域全体)も再生されることが分かる。

ただ、一点注意しておきたいことは、菜園家族とそれらの社会構造が、土壌学でいう団粒構造を形成する必要がある点は、人体に見られない大きな違いであり、特質であるという点ははずせない。

一次元的に菜園家族があるが、それらが数個集まって、二次元には「くみなりわいとも」が形成され、このくみなりわいともが数個集まってさらに三次元に「村なりわいとも」が形成され…と重層的な団粒構造になっている。

土壌の団粒構造は作物のみならず、土中の微生物からミミズに至るまで、あらゆる生きものにとって快適ないのちの場になっている。菜園家族も長い年月をかけて次第にそういった役割を担うようになる。

菜園家族により流域地域圏が再生されることで、いずれ様々な地域での循環型社会が実現される。


千葉裕樹

にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

週休五日制の三世代菜園家族構想②-菜園家族を社会のあり方から観る

□菜園家族とは
菜園家族は、週に五日は家庭菜園など自給的生活を送り、週2日は賃金労働を送っている子・親・祖父祖母の三世代で暮らす家族形態です。

このような家族形態と社会構造の再生を提唱するに至った背景には、現在の社会が抱える問題と、生命現象についての洞察があります。

■現在の社会問題を背景に家族の役割を再認識する。(以下著書『菜園家族21』などからの要約・編集及び筆者との会話などを通してまとめたものです。)

家族というものは本来“いのち”と“もの”を再生産するための人類にとってかけがえのない場だった。人類史上、人間が未発達で、能力も全面的に開花していない段階にあっては、人類の諸能力を引き出す優れた“学校”としての機能も果たしていた多機能体だった。

その家族は産業革命以降、社会的分業化が進んだことで、上の諸機能は家族の外へ流出し、家族の基盤は根こそぎ揺らぎ始めた。

果ては工業と農業が家族の外に追いやられて、大地を失い賃金で生きざるを得ない状態になってしまった。この結果、大地を失ったことで子どもに継承するべきものさえ失い、その結果代替物としての“教育”熱が過熱することとなった。

そしてその流れで、社会は「学歴社会」へと移行していき、学歴社会のヒエラルキーの中では、ごく一部の勝者のみが勝ち残るという構造が生み出された。また、同時に都市化も生じ、都市への流入によって、自然そのものと子どもがふれあう時間が減り、また家族の解体により、下の子の面倒を見たり、祖父母の世話をしたりという、子どもの成長段階に準じた「役割」自体も失われてしまった。

このようにして、家族はばらばらの行動を余儀なくされ、空洞化→これが新たな社会問題を噴出させるという悪循環を催すに至っているのが現代社会の姿である。

現代の社会状況を振り返ると、最も大きな問題点(転換点)は産業革命によって、急激に生産手段が失われ、根無し草同然になった現代賃金労働者とその家族のありようにある。

よって、この家族たちに生産手段を取り戻し、現代賃金労働者という面とその両方を再結合した「菜園家族」を創出し、疲弊しきった家族を自立したみずみずしい家族にすることが、菜園家族構想の根幹になる。(ここでいう「家族」の形態は従来でいう「核家族」や「大家族」というもののみ拘泥するわけではなく、例えば血縁とは無関係な様々な形態の「擬似家族」も想定できる。)

市場原理主義の社会にあって、市場競争の荒波に耐え、家族がまともに生きていくためには、まず家族は、生きるために必要なものは、大地に直接働きかけ、できるだけ自分たちの手で作る、ということを基本にすえる必要がある。このことにより、現金支出の割合をできるだけ小さく抑えることができる。

また、五日間は地域ですごすことになるので、家族や地域での交流の時間(滞在時間)が増え、自家の生産活動をはじめ、地域での創造的で人間性豊かな活動に携わり充足を得ることができる。

菜園家族の際立った特徴は、三世代の家族だが、週に五日間、菜園の仕事をすると同時に、家事や育児や子どもたちの教育、それにこうした新しい文化活動をしながら、両親を基軸に、子どもたちや祖父母の三世代家族が、全員そろって、協力し合い、支えあっている点にある。
 
両親が基軸になって活動しながらも、子どもたちは年齢に見合った活動をし、祖父母は祖父母の年齢にふさわしい仕事をすることになる。それぞれの世代、性別によって仕事の種類や年齢はきわめて多様だが、この中で菜園家族に蓄積された技が親から子へ、子から孫へと代々継承されてゆく。

しかし、一方で菜園家族は単独では存在し得ない。菜園家族を創出するためには必要不可欠なものは、社会がその仕組みを保障することのほかに、「森と海を結ぶ流域地域圏」の再生であり、「菜園家族」と「森と海を結ぶ流域地域圏」は不可分かつ同時に創出すべきものである。

森と海を結ぶ流域地域圏の基礎単位に菜園家族をすえるということは、その農的な性格上、流域地域圏では「森」と「水」と「野」という三つの自然要素リンケージを基礎に、新たな“共同の世界”がよみがえらせ、それを熟成する方向をたどるこどである。その結果、近世のムラの系譜を引く、今日の衰退した「集落」は、新たな地域再生の基盤として生まれ変わっていく。それが、「なりわいとも」である。


千葉裕樹

にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

週休五日制の三世代菜園家族構想-新たな社会構造を考える1事例①

2010年、新たな年を向かえ社会の変化の波も勢いを増してきそうな感じがします。そんな中、農業など土着的な活動により関心があつまり、新しい社会のあり方を追求・実践する事例も現れるかと思います。

今回紹介するのは、知人が提唱している「菜園家族構想」リンクという構想とそれに伴う実践についてです。いろいろと議論の余地はあるかもしれませんが、筆者は、

「現代は、市場競争至上主義のアメリカ型拡大経済路線の結果、経済や社会や教育や文化など、あらゆる分野で、問題が噴出。こうしたときだからこそ、50年、100年先を見据えた長期的な展望に経って私たちの今日の暮らしや生産のあり方を深く問うことから始めなければいけない。

菜園家族構想は、農業従事者だけの問題ではない。人々の命を支えているのは農であり、ひいては日本の国のあり方の根幹そのものにかかわる、国民共通の大テーマ。それはまた、世界の他の地域の人々の暮らしや自然環境にも影響を及ぼすものである。

農のあり方は、政治家や官僚や学者や有識者など、限られた一部のものにゆだねられていいはずがない。広く国民的な対話を通じて、徹底的な議論を尽くし、時間をかけて考えていくべき問題。」

と言っており、「新しい農のかたち」を考える上では参考になるとも思うので、紹介します。

まずごく簡単に説明すると、菜園家族とは、週五日は家庭菜園など自給自足的な営みをして地域での生活を送りつつ、週2日は従来どおりの賃金を稼ぐためのサラリーマン的な仕事をして生計を立てるような形態の家族で、そのような家族が複数集まって流域地域圏を形成し、共同体的相互扶助をしあうような循環型の社会構造をつくる構想と実践が、「菜園家族構想」にあたります。

その菜園家族構想を実現するための第一歩である、「菜園家族山の学校」が昨年滋賀県大君ヶ畑(おじがはた)に完成し、8月には「限界集落サミット」が開催され、各地から約130名ほどの共感を覚えた参加者が集まるなど、地域の交流・研究・教育の場としての稼動を始め、地元の行政の協力も得られ、いよいよ実現に向けて動き出そうとしています。

(次の投稿より、詳細を紹介します。)


千葉裕樹

にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

農家力(自給の思想)が「地域という業態」を創造する③


223343の続き
農文協の主張 2010年1月より転載
------------------------------------------------------------------
◆暮らしの原理からの「流通のとりもどし」
一の「流通のとりもどし」。中央市場を基点に集散する単品大量生産の流通システムが全国を覆うなかで、地元市場や引き売りなど、気軽に販売できる場が失われていった。そんな小さな流通を農家にとりもどし、多品目少量生産の地域流通システムをつくりだしたのが直売所である。流通マージンや出荷経費が市場流通と比べるとはるかに少なく、農家の手取り率は高く、代金決済も速い。またお金が地域で回り、今では地域経済を活性化する無視できない力になってきた。

だが、直売所が進めたのは単なる流通合理化ではない。直売所は、農家と地域住民・都市民が交流する、つくる人と食べる人の共感関係づくりの場であり、そして「だれでも、いつでも、なんでも出荷できる」場である。直売所を支える暮らしの原理が直売所に、この2つの特質をもたらしている。この特質が軽視されれば、直売所はその生命力を失うことになろう。

直売所を基点とする地域住民・都市民との交流は、料理教室、農村レストラン、学校給食、農業体験などへと輪を広げ、だれでもなんでも出荷できることは、加工品やクラフトなども含めて、個性・地域性があふれる魅力的な品ぞろえを可能にする。2つの特質を強めれば直売所はまだまだ伸びる。そして、直売所がもつ人々を結ぶ力が、「地域という業態」の原動力になる。

◆「農法の見直し」と「地域資源活用の広がり」
2つめの「農法の見直し」。「ザ・直売所農法」では、ズラシ(早出し遅出し)、葉かき・わき芽収穫、密植・混植など、直売所ならではの工夫を紹介した。市場流通の規格から自由になるとさまざまな工夫が生まれる。この工夫もまだまだ伸びる。

規格は自由だが、「安全でおいしい」ものを届けたい。そこで、土着菌利用のボカシ肥や竹肥料、マメ科利用、自然農薬、月のリズム防除など、多様な工夫が生まれる。金もかけたくないから、堆肥栽培や土ごと発酵方式で、家畜糞尿など身近な資材を生かし、間作・混植で病害虫が出にくい作付けの工夫もする。

直売所では、自在な栽培法が展開している。直売所も市場出荷も売ることに変わりはないのだが、食べる人との直接的な交流・共感と、そして「なんでも・いつでも」という自由性が、作物や土への向き合い方に変化をもたらす。これまで蓄積してきた高品質・多収の技術を生かしつつも、作物の自然力や多様性、地域資源の活用へと発想が広がり、農業の近代化が断ち切ってきた、自然と人間の働きかけ働きかけ返される関係が回復する。

こうして3つめの「地域資源活用の広がり」である。

かつては山の下草や落ち葉が家畜のエサや作物の肥料になり暮らしに役立てられた。そうして管理された山からの水が川の魚を育て、農業や生活用水に役立てられ、豊かな海を育てることにもなった。近海の海藻や魚粕は田畑に施され、海のミネラルは田畑に還流された。そんな山・里山・川・田畑・海のつながりが、地域資源を生かす農法革命によって回復されていく。

さらに直売所では、葉っぱビジネスや薬草利用、山菜とその加工品、蔓や竹を使った工芸・クラフトなど、野山の幸を生かす工夫も盛んで、最低限の手をかけながら里山を生かすすべも広がっていく。

近代以降、生産・生活資材をことごとく都市・工業・無機資材に依存することで、山・里山・川・田畑・海をめぐる大循環が失われた。それが地域を疲弊させた大本であり、その現代的回復が直売所農法のもとで始まっている。
------------------------------------------------------------------


匿名希望

にほんブログ村 企業ブログ 農業へ

農家力(自給の思想)が「地域という業態」を創造する②

223342①の続き
農文協の主張 2010年1月より転載リンク
------------------------------------------------------------------
◆直売所がおしすすめた4つの改革・創造

直売所がなぜ、「地域という業態」を創造する原動力であり、「地域の再生」の拠り所なのか。整理してみよう。

今日の直売所の源流の大きな一つは、1970年代に展開された生活改善グループや農協女性部の女性たちによる「○○円自給運動」である。兼業化が進むなかで、女性たちは、子どもたちなど家族の健康や家計のことを考えて自給畑をとりもどし、あまった野菜やくだものを朝市、日曜市などで販売していった。80年代には、急激な円高による農産物輸入が急増するなかで、多くの農家が参加して野菜を中心とする直売所を増やし、93年の平成大凶作の時には、親戚、友人、知人に自家用米までおすそ分けし、そんな結びつきをいかして本格的な米プラスαの産直・直売を展開していった。

食生活の自給運動を土台に展開した直売所、地産地商。暮らしの原理が息づく直売所は、農家をひたすら狭い意味での農業=原料生産を行なう産業の一業種に押し込もうとしてきた農業近代化路線から農家を解放し、それゆえ、以下のような大きな改革・創造をもたらすことになった。

 1、流通のとりもどし

 2、農法の見直し

 3、地域資源活用の広がり

 4、担い手の多様化
------------------------------------------------------------------


匿名希望

にほんブログ村 企業ブログ 農業へ