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農村を活性化させる為には?

農産物を積極的に生産することで、放射線から環境を守る!

ブログで面白い視点で農業を捉えている方がいる。
「放射線量が増しているから、農作物生産は控える」というのが通説であるが、逆に「積極的に農業を行うことによって、土壌汚染を防止する、そして、その農作物は食べるのではなくバイオ燃料に再利用する」という提案だ。
そして、「農業を大事にする者は、環境修復の担い手でもある」という視点を与えてくれており、単なる生産者から、社会を改善していく「社会事業としての農業」の新しい可能性を提起していることに感銘しました!

以下、引用
※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※
『ファイトレメディエーション』(大地を守る会のエビちゃん日記)(リンク)

放射能による土壌汚染の程度によって、米の作付を見合わせる (米を作るな)、という指導がされ始めている。この判断は、いいのか? 逆じゃないのだろうか?
仮に区域外で基準超過の水田が発生した場合においても、「作るな」 より 「作らせる」 ほうがよい、と僕は考えるものである。

もちろんその米を人に食わせてよい、と言っているのではない。稲が土壌の10分の1を吸い上げるのなら、何もしないより、むしろ稲にセシウムを吸わせて土壌を浄化させる方がよい。収穫された米は東京電力さんに買い取ってもらって、バイオ燃料にする。
燃料にしても移動したセシウムの問題はついて回るかもしれないが、生命をつなぐ基盤である土壌からの除去・浄化は何より必須の課題である。しかも、半減期30年というセシウムが相手なので、基準値を超えた水田では 「来年はつくれる」 という保証もない。何もしないで放置された水田はだんだんと再生が困難になってゆく。「つくり続ける」、作り続けながら土壌の浄化を進める、のがよい。

植物が大気や水を浄化する機能を持っていることは多くの人が知っていることかと思う。逆に、植物によって特定の有害物質を吸収(蓄積)する特質があることも、部分的ではあるが分かってきている。こと放射性物質についていえば、アカザ科の植物がセシウムに対する吸収特性が高いことが確かめられている。
アカザ科 -野菜でいえばホウレンソウ! だ。福島原発事故はまさにそれを証明してくれた格好になったか。しかしそれはまた、ホウレンソウが指標作物になる、ということでもある。土壌からの除染だけを考えるなら、回転の速いホウレンソウを植えまくる、という考え方も、ないわけではない。現実には、そのホウレンソウをどうするか、だけど。

こういった植物を、汚染物質を吸収するからといって排除するのでなく、むしろその力を借りて浄化に取り組もうというのがファイトレメディエーションである。
チェルノブイリ原発事故では、菜の花 (菜種) やヒマワリを栽培することで土壌浄化に効果があったというのは有名な話で、篠原孝・農林水産副大臣はこの手法を提唱している。

汚染土壌の修復に土の入れ替えといったことが言われているが、20km圏内に加えて避難区域まで含めた広域にまたがる水田土壌を入れ替えるなんて、不可能というより絵空事としか言いようがない。
とにかく物理的あるいは化学的な方法による修復は、べらぼうなコストがかかる。

太陽エネルギーによって植物が生長する、ただそれだけで環境汚染物質を土壌から吸い上げていくという、究極の環境調和型修復技術であり、経済合理性に適った考え方として、欧米ではすでにその応用、つまりいろんな形での産業化が進んでいるものである。

ファイトレメディエーションにはいろんな考え方・方法が研究されている。生長中の植物の根から分泌される物質によって根の周りに微生物が増加する原理を応用して、汚染物を分解・無害化する菌を繁殖させるという方法。あるいは植物根や分泌物に汚染物質を吸着させることによって固定させる (地下水への流出を防ぐ)といった方法、などなど。

読みにくいカタカナを駆使して書いているけど、ここまでくると要するに、根圏微生物を増やす、つまりは土壌を肥沃にしていくことが、有害物質の除染にも有効である、ということになる。

有機農業の力はここにある、というのがわたくしの結論である。

私たちが有機農業を目指す生産者たちを大事にしたいと思うのは、環境修復の担い手でもあると思うからだ。それは長期的な時間でみれば経済合理性にも適っている。

いずれにしても、自然界の力と調和しながらきっちりと安定化させていく、といのが最も効率がいい、ということになると思うが、いかがだろうか。

大切な食料基地でもある福島を、荒涼とした大地にしてしまうのでなく、
稲やヒマワリや菜の花を咲き誇らせながら修復へと向かおうよ。
その田園はきっと僕らに 「希望」 を語りかけてくれるはずだ。
(引用終わり)


橋本宏

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「食料自給率」の問題点⇒今後の農業の指標は、集団つくり=人

>・自給率にかわる、新たな指標が必要なのでは?(250502)

そうですね!
「自給率」を考えてみると、このときの計算で使われているのは、流通されている作物だけです。だから、市場にのっていない作物は自給率の対象にはなりません。

例えば、自分で作って、自分で食べている食べ物。
近所の方から譲ってもらった食べ物。

日本の地方では当たり前に行われている食生活は、国が言っている「自給率」とはまったく無関係なのです!
本当の意味で、自給している人たちの食べ物は、自給していることになっていないのです。

これっておかしいですよね。。
国やマスコミは、危機感を煽っているだけです。

みんなが期待しているのは、「顔の見える農」「安心して任せられる人に作ってもらうこと」です。
それを実現するためには、農業を通して、人と人のつながりをつくること=集団を作っていくことに他ならず、新しい農のかたち=集団つくりだと思います。

だから、みんながどれだけ農業に関わっているのか、例えば研修生やインターンシップ、就農者など、人の数こそが今後の指標になっていくのではないでしょうか。



橋本宏

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お互いに支えあうことを実現する自主的な共同体の再生を②

249943①のつづき
日本の素晴らしさを学び、語り、つたえよう。
ねずきちの ひとりごと 「老農と呼ばれた男・・・石川理紀之助」リンクより転載します。
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明治16年(1883)、39歳の時、理紀之助は役人の職を辞します。
そして故郷の山田村の救済にあたります。

実は、明治10(1877)から、米の値段が上がり出すのですが、5年後の明治15(1882)年には、逆に米の値段が急落したのです。
これに冷害が重なった。

どの農家も借金に悲鳴をあげます。
至るところで食えなくなった農民が盗人をはじめ、理紀之助の故郷の山田村もまた借金であえいでいたのです。

「この息も絶え絶えの農村を救うにはどうしたらよいのか」
これまで培った知識と技術をもとに農民に戻り田畑を耕し、山田村を建て直すことができれば・・・。

理紀之助は、役人を辞め、山田村に帰ると、村人に次の提案をし、「山田経済会」を発足させます。

1 質の良い肥料を作り、これまでの倍の量を田んぼに施し、米の収量を増やす。
2 収量が増えた分を借金の返済にあてる。
3 無駄遣いをやめ、暮らしに必要なものは「共同で」買う。
4 養蚕をとりいれ副業に精を出す。
5 仲間外れが出ないよう、助け合い、励まし合う。

収穫高を増やしたり、副業を振興したり、無駄遣いやめるというのは、昨今の国政や、会社などでもよく言われることです。

一方、「暮らしに必要なものを共同で買う」や、「みんなで助け合い、励まし合う」は昨今はあまり語られません。

しかし、大きな事業をしようとするとき、いちばん大切なことが、「みんなで助け合い、励まし合う」ということ。そして「共同で買う」という発想です。

昔は、醤油がなくなると、よくとなりのおばちゃん家に、醤油を借りてきて、と親に言われたものです。いまでは、どこの家にも醤油は備蓄されている。
互いに助けあうというよりも、個人でなんでも抱え込む。
しかし、もし世界がいま、エコを唱えるなら、江戸の昔から日本にある「共同」という発想を、ふたたび考えてみる必要があろうかと思います。

そしてそれ以上に、どんな規則や決まり、マニュアルや肩書よりも「みんなで助け合い、励まし合う」ということの大切さを、日本はもう一度、思い返してみる必要があるように思います。

さて理紀之助は「山田経済会」を発足すると、毎朝3時に、掛け板を打って村人を起こします。そして早朝からみんなで力を合わせて農業作業を行ないます。

夜明け前の闇に、毎朝「コーン、コーン」という掛け板の音が響き渡る。
村人が集まる。
そしてみんなで農作業をする。

山田村は、こうして村人たちの努力と協力で、わずか五年で村の借金を完済してしまいます。

当時、理紀之助が詠んだ歌があります。

 世にまだ生まれぬ人の耳にまで
   響き届けよ 掛け板の音

吹雪の朝のことです。
理紀之助がいつものように午前3時に打ち終えて、雪まみれになって家に入ると、妻が、
「このような吹雪の朝に、掛け板を打っても誰にも聞こえないし、ましてやこの寒さでは、誰も起きて仕事をしようとはしないでしょう」と、言ったそうです。

理紀之助は、
「そうかも知れないね。でも私は、この村の人々のためだけにやっているのではないのだよ。
ここから500里離れたところの人々にも、また500年後に生まれる人々にも聞こえるように打ってるんだ」

理紀之助は、どんなに貧しくても、どんなに苦しくても、未来を信じ、世の人々に期待して掛け板を鳴らし続けたのです。
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以上


石敢當

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お互いに支えあうことを実現する自主的な共同体の再生を①

日本の素晴らしさを学び、語り、つたえよう。
ねずきちの ひとりごと 「老農と呼ばれた男・・・石川理紀之助」リンクより転載します。
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「老農」という言葉があります。あるいは「農聖」ともいいます。
在来の農法を研究し、自らの体験を加えて高い農業技術を身につけて、農村指導をした人のことをいいます。

そんな「老農」のひとりに、秋田の石川理紀之助(いしかわりきのすけ)翁がいます。明治の人で、生涯を貧農救済に捧げた方です。

石川理紀之助は、弘化2(1845)年、いまの秋田市金足小泉の奈良家の三男として生まれました。

慶応1(1865)年、21歳のときに、秋田郡山田村(現昭和町豊川山田)の石川長十郎に婿養子に入ります。ところが石川家は、旧家だけれど、当時は借金もぐれで、実はとても苦しい生活だったのです。

理紀之助は「このままでは限界がある」と、近隣の農家の若者たちと語り合い、「山田村農業耕作会」を結成します。
「豊かな村づくり」を合言葉に、それまでの個人の営みとしての農業を、農民を広く組織した集団的農業に改革します。
これにより村の農業は大いに発展し、石川家の借金も数年で返してしまう。

山田村にすごいやつがいる、ということになって、秋田県は、理紀之助を秋田県庁の勧業課に招きます。理紀之助、28歳。明治5(1872)年のことです。

こういう試験や学歴、家柄や門閥にこだわらず、必要とあればどんどん民間から人材を登用するというのは、古くからの日本の伝統です。

じつはこの頃、秋田県農業では腐米(くされまい)に頭を痛めていました。
ただでさえ、寒冷地であり稲作が困難なところに加え、せっかく収穫した米が、貯蔵中に腐ってしまう。

理紀之助は、原因を追究し、収穫時の米の乾燥方法にあたらしい方法をあみだして、県の腐米改良指導に尽力します。

さらに、寒冷地に適したおいしいお米の生産の普及のため、明治11(1878)年には「種子交換会」を開催する。これが、秋田で現在でも続いている「種苗交換会」のはじまりです。

しかし理紀之助は、行政の第一線で働けば働くほど、上からの指導には限界があることを痛感するようになります。
「一緒になってやらなければだめだ」
彼は、行政とは別に各地の老農を結集して、自主的な農事研究団体として「暦観農話連」を結成します。明治13(1880)年、理紀之助35歳のときです。

このときの理紀之助の言葉です。

~~~~~~~~~~
何よりも得がたいものは信頼だ。
信頼はつつみかくさず教え合うことから生まれる。
進歩とは、厚い信頼でできた巣の中で育つのだ。
~~~~~~~~~~

「進歩とは、厚い信頼でできた巣の中で育つ」・・・その通りだと思います。
規則や決まり、ルールやマニュアルが人を育て進歩を育くむのではありません。
互いの厚い信頼関係こそが、人を育て進歩を育くむ。

最近はこれを勘違いしている人が多くて、信頼関係がなくても命令すれば、あるいは規則で決めれば人が動くと思っている人が多いけれど、それは違います。


「暦観農話連」は、結成時には、早くも74名もの老農層が参加しています。
会合のときは、理紀之助は、会場近くのお寺や農家に泊まって、自炊しながら催しを支えたそうです。
夜になれば、時のたつのを忘れてみんなと明るく話し込んだ。
そうやって理紀之助は、農業への熱い夢と情熱を、みんなと共有していきます。

「暦観農話連」は、その後も加入者が増え続けます。
明治の末には499名にも達し、員は秋田県にとどまらず、山形、宮城、埼玉県からも集まります。


さらに理紀之助は、明治15(1882)年から、貧困にあえぐ農村を抜本的に救済・賦活させるために、二県八郡四十九カ町村を踏査して「適産調(てきさんしらべ)」を開始します。

この調査は六年間にわたり、各地の土壌、面積、人口、戸数、生産物、自作農地と小作農地の収入、農作業、生活習慣に至るまで総合的に調査し、調査結果をその地の農村再建策として、731冊の著書にまとめました。

理紀之助は、この調査行に際して、つねに顔を覆う白布と、葬儀料、死亡届のための戸籍謄本を身につけていたそうです。
壮絶なまでの覚悟が窺われます。
-----------------------------------------------------------------
続く


石敢當

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農家の同化能力の高さを知らなければ新規参入は成らない

就農希望者や農業に参入する企業が増えているという話をよく聞くが、それに伴ってよく聞くのが「農地の確保が難しい」という話だ。希望する条件に合う土地を探すので一苦労、そして貸して(売って)くれる人を見つけるのに更に苦労するとのこと。要は需要と供給のアンバランスだと言える。

農家がなかなか農地を手放さない、という話は今に始まったことではない。半世紀近く前から「先祖代々の土地は手放さない」「農地転用期待がある」等の理由で農地の流動化は大して進んでいない。

しかし、農家の方々に直接話を聞いてみると、意外にも「ちゃんと農業をやってくれる人になら任せたい」という意見が多い。体力的、経済的な理由から私有にこだわらない人が増えているのは間違いない。ただし、重要なのは「単にしんどいから誰かに引き受けて欲しい」という気持ちは見当たらないことだ。

では、この「ちゃんとやってくれる人なら良い」という気持ちはどこから来るのか?この身で感じたのは、『同化能力の高さがそうさせる』ということだ。

具体的に言うと、
1.自然への同化能力・・・天候を読んだり作物を栽培するためには、自然に同化する能力が不可欠であり、長い期間農業を営んできた方々はそれを見に付けている。すなわち、農地も農作物も「我が身同然」であり、世話を放棄して荒らすことは我が身を切られるが如く辛いものになる。
→「耕作放棄地にして荒れるくらいなら誰かにやって欲しい。しかしちゃんと世話をしてくれる人でなければ嫌」という想い

2.周りの人々への同化能力・・・共同体の中で生まれ育った人々は、自然に周りを想う(=同化する)能力が高い。農地を維持する、食料を生産するという行為は集団内における役割であり、それを放棄して周りに迷惑をかけることは心底辛い。
→「儲からなくても農地は農地として維持したい。自分がこれ以上無理なら誰かに受け継いで欲しいが、協調性の無い人は嫌」という想い

つまり、農地問題は「私有意識」「転用期待」などの観念領域よりも一段階深い『共認機能』の領域の問題ということになる。ここに考えが及ばないと、金や契約書のような薄っぺらいアプローチしかできず、失敗に終わることになる。

事実、参入希望者の考えを聞いたり、参入して共同体の一員として頑張っている姿を目の当たりにして「この人なら大丈夫」だと周りが判断すれば、続々と農地が集まってくるという事例は少なくない。

地域の信頼を得ること、つまりは「農家の方々が同化できる対象になること」こそが、次代の農業の担い手に求められる姿勢だろう。


小西良明

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ソーシャルビジネス55選:規格外野菜の販売事例

経済産業省が紹介しているソーシャルビジネス55選がなかなか面白いと思います。リンク

日本国内のソーシャルビジネス(社会的課題を事業として展開している企業)の成功事例を集めたものなのですが、「その手があったか!」と思わせるアイデアから、地方自治体や内閣などの行政団体も巻き込んだ事例など、参考となる事例が満載ですので一読されてみては如何かと思います。


今回はその中から農業に絡んだ一事例を紹介します。
形や色が悪いせいで、食べられるのに市場には出回らずに捨てられてしまう規格外野菜の販売を支援している企業になります。

<以下引用:リンク

<事業概要>
農薬不使用、特別栽培の農産物を、規格外野菜と区別することなく、直接生産者から契約した野菜は全量仕入れ、それを会員に宅配便で送るサービスを展開。生産者と消費者を直接つなぐことによって、食の安全と安心を届ける。91年に、「中部リサイクル運動市民の会」から、株式会社として独立し今は2600人の会員を持ち、収入は4億円。野菜や果物の宅配だけでなく、生産者を訪問するツアーなども企画する。

<事業の開始は一通の手紙から>
もともとは、中部リサイクル運動市民の会として、家庭用品のリサイクル活動やフリーマーケットに取り組んでいた。そこに、岐阜県東白川村から一通の相談の手紙が送られてきた。「取引先が急に終了し、出す先がなくなってしまい困っている。見栄え関係なく規格外の野菜を捨てないで出荷したいが、そのようなものを引き受けてくれる消費者はいるだろうか?」というものだった。食生活についても循環型社会のしくみとして取り組むべきだと、当時のスタッフは考えていたそうだ。それで、規格外の野菜を届けてほしい人がいるかどうかを募集したら、すぐに50名くらいが集まった。これがにんじんCLUBの始まりである。また宅配については、ちょうど、当時多くの業者が宅配便を始めたときで、業者は「どこまで荷物を集配に行けるか」を競争していた。地元の業者に相談し、その競争に乗っかって、生産者のところまで集配に行ってもらい、そのまま消費者に届けてもらうことを依頼したら、OKだった。


<生産者と消費者をつなぐために>
このように、事業の形そのものはすぐにできあがった。ところが、生産者と消費者をつなぐのは意外と大変だった。生産者側から見るとOKだと思える規格外の野菜も、都会の消費者にとっては「見たことがない野菜」と思えるもので、クレームになることも。太く育ったゴボウを送ったら、「薪が入っていた」とクレームを言ってきた会員もいた。
生産者が季節を感じてもらおうと早咲きの梅の枝を1本入れておいたら、「棒が入っていた」とゴミ扱いされた。生産者の方々は、むしろ喜んでもらおうと思っているのだが、都会の人達には、それが通じない場合がある。このような両者のギャップを埋めるために、毎週発行している新聞に、届けた作物の説明や次に届く作物についての情報を入れて提供するようにした。また、生産者のところを会員とスタッフが訪問して、一緒に味噌を作ったり、野菜や果物を一緒に収穫したり、バーベキューをしたりというイベントも、年に数十回企画している。生産者と消費者の距離をもっと縮めるための取り組みだ。

<会員を拡大するには>
最初は50人の会員から始まった活動も、既に2600人の会員組織となっている。ここまでの会員を集めるために、一番力を入れたのは新聞チラシだそうだ。チラシには「作付け栽培なので、作況によって値段が上がることはない」ということを謳い、新聞に折り込んでもらうことで拡大してきた。2000年くらいからは新聞チラシの反応が鈍くなり、ネットを中心にした広告活動を行なっているが、知名度を維持するためには、新聞への広告も重要になるそうだ。
また、それだけの会員に野菜や果物を届け続けるために、生産者も500名くらいまで開拓している。全国の天候を見ながら、こちらがだめそうなので、別のところから穴埋めをしよう。この天気だと、来週のホウレンソウはあまり大きくならないだろう。などのノウハウもスタッフには蓄積されていて、これが安定供給へとつながっている。また、規格外と言っても出荷規格はあり、それを確実に守ってくれる生産者だけと契約し、無農薬についても厳しい調査をかけている。食の安全にこだわる生産者とスタッフとのコラボレーションによって、会員からの信頼を得ている。
3年以上続けてくれる会員は4人にひとりだが、やめていく3人を引き止めることよりは、どちらかというと残ってくれるひとりを大切にし、長く農業を支えてくれる消費者を大事にしようということを基本としている。そのためにも地産地消を基本としながら、何かあれば、すぐに生産者のところに、自分達が駆けつけられることをモットーに、安定的に安心できる農作物を届ける体制を維持しつづけている。
<引用終わり>


昨今、何かと農業の可能性が注目されてきていますが、その際に重要な課題となるのが「販路をどうする?」という問題かと思います。
また、消費者側の意識としては「安くて美味くて安全なら、見ためなんかそれほど拘らない」と感じる人も多いでしょうから、この様に消費者と生産者を『繋ぐ』仕事はニーズが高いのではないかと思いました。

また、単に販路を『繋ぐ』だけではなく、様々なフォローによって気持ちも『繋いでいく』ことが成功のカギとなりそうです。


PS:余談ですが、「2000年くらいからは新聞チラシの反応が鈍くなり、ネットを中心にした広告活動を行なっている」という一文も色んな意味で興味深いですね。


かつまた

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『大型店に勝つ流通の形態』

キーワードは『お客が喜んでくれるのが喜び』
そのために地域のネットワークを再生・活用する。

■以下引用リンク_________________________

産地直結配達方式に優位性
下関 大型店に勝つ流通の形態    
2010年9月29日付 長周新聞


             ・・・前略・・・


【高齢者家庭への配達も 需要多様化する商店】

そこで商店の役割が重要だ。川中地区にある小さい魚屋は30年続いているが、「自分らの生き残り策は配達と商品の信頼度だ」といっている。高齢者が多く山坂ばかりだから、配達員を雇っている。「少少高くても老人は新鮮な物を食べたいし、メニューも工夫するし、それでつぶれずにおれる。近くにゆめシティもあるが、老人は買いには行かない」と話している。八百屋も「商店は配達でやらないといけない。野菜屋だが、年寄りがアジの開きを買ってきてとか、片栗粉置いてないかとかいわれ、置くものが増えていく。目の前に大きいスーパーがあるけど、流れがかわってきている」と話している。
 
すでに多くの商店が、高齢者が多い下関ということで、配達をやっている。そういう商店が生き残っているという。そして労力はかかるが、消費者と直接に結びついて、配達をやって商売をしていく、新鮮で安心な農水産物をとどける。それは信用にもとづく商売だ。お客が喜んでくれるのが喜びだ。それに農業者、漁業者から直接仕入れをしてやる形になったら、大型店には絶対に負けないと口口に語っている。
 
大型店の商法は、その地の消費者のことなど全然考えていない。売れば終わりの商法だ。そして毎日売れ残りをたくさん捨てている。捨てるものを上乗せして価格をつけているから実際は高いし、商店の方が安いのだという。
 
商店の方も産地に直接仕入れに行くといっても、単独では難しさがあると語る。これも集団化が必要だと語られる。そこに橋渡しの機能が必要だと語られる。
 
既存の大型店依存の流通ではなく産地と消費者を直接に結びつけた流通システムをつくる。ここに商店が介在し、みんなが協力しあってやっていく。農漁村が小売値に近い値段で売れるなら経営の様相は一変する。若い者が就業できる可能性が出てくる。農漁業者の後継者ができる可能性ができる。
 
農漁業を絶やさないことで大きな問題は、歴史を重ねた技術を継承する者を早く配置しなければならないということがある。市役所の職員などで実家が農業は多いが、爺さんに指図されて手伝っている程度で、単独でコメ作りをやるにはかなりの修行がいるといわれている。漁業でも同じで、GPSがあるといっても最後は長年の勘が勝負といわれ、船に乗れば魚が捕れるというものではない。
 
コメの直販体制は一つの突破口といえる。兼業の市職員などは、自分のところで作ったコメを同僚に売っているところもある。縁故関係で売っている農家は多い。コメ屋が農家から直接仕入れて、戸別配達の方式で地域に売りさばくなら生産者も消費者も商店も喜ぶ。スーパーのもうけが減るだけだ。市民の方は下関でとれたコメがよっぽど安心する。下関の人間が育ってきた同じ水と風土で育ったコメだ。スーパー経由の「ブランド米」より安心だ。「豊田町の○○さんが作ったコメ」などと明記してあれば信頼は抜群だ。直接に田んぼの見学に行こうかともなる。
 
日本では「ご用聞き」とか「出前」とかの商業文化がある。小売店が大規模であれば強いわけではない。その価格支配力を誇示しているが、信用不在の欠陥があり、産地、消費者直結の戸別配達商業システムができるならその方の優位性は明らかだ。


【庶民向け作れば客増加 水産加工も転換の時】

             ・・・中略・・・



【信用重視に本当の強み 大型店流通には弱点】

買い物難民が大量に出てくるところまできて、「大型店は便利だといわれてきたが、略奪商法だ」と市民のなかで論議が広がっている。大型店の商法には基本的な哲学の違いがある。基本が略奪であり、ヘッジファンドと同じく、自分がもうけるかどうかだけが基準であり、市民のことや社会のことにはまったく無関心である。「安いかどうか。もうかるかどうか」が第一であるのが大型店である。周辺の商店をなぎ倒しても「それは時代の流れだ」といい、農産物を安く買いたたいて農業が成り立たなくても、「わしらの方が支配権を持っているのだ」と横暴に振る舞う、まさに略奪者である。大型店は、資本主義の本来の信用取引からもはずれている。
 
こうした大型店流通は「買いに来い。買いに行けない者は買えない」というもので不親切であり、郊外店など車を持っている者しか行けない。周辺の商店をなぎ倒し、もうからなくなればさっさと撤退していき、社会的な責任はなにもない。下関市を略奪し尽くして逃げていくようなものだ。行政は大型店に対して相当な規制をかける必要があるし、もうけにみあった社会貢献をさせるし、社会に利益還元させる必要がある。
 
大型店は価格支配力を持つといって、生産者を買いたたき、消費者への責任や信用を得る姿勢はない。大型店があって、生産者も消費者もいるとみなしており、転倒している。そうではなく生産者がおり、消費者がいるから商業が成り立つのが現実である。大型店流通には大きな弱点がある。
 
なお本紙の提起は、電器商など多くの業種の商店からも大きな反響を得ている。大型店と違って商店はお客との信用関係を大事にしていると強調している。電灯が消えたということでも飛んで行ってなおしてやる。自分が売った商品に責任を持つという考え方だ。そうでない商店はつぶれたと語っている。その上に、電器商がみんなで結束してメーカーから共同仕入れをできるようになったらよいのだがと語っている。
 
農業がつぶされているのは、大きくは輸入自由化やWTO農業交渉での農産物の関税撤廃などに問題がある。そのうえに農産物の流通が大型店ルートになるために好き勝手に買いたたかれている。日本の農業を守るにはアメリカからの独立が根本的な問題である。しかしこの農業つぶしに対して、負けるわけにはいかない。農業の集団化や商店と協力しあって消費者と直接結びつける地域密着の流通システムをつくる、というのは生産者も消費者も商店も切望するものであり、実現する可能性は大きい。
 
_____________________________引用以上


火中の栗 

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「住民出資の株式会社」の可能性2:生活に不可欠な社会インフラとしての企業

つづきです
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■「農村コンビニ、生活守る」日本経済新聞2009.6.28

ノーソン大分県にある住民出資による村のコンビニ。
その名も「ノーソン」。
ローソンじゃないですよ、農村のノーソン。
BE-PALの鹿熊さんから噂を聞いていたその店が、日経新聞で紹介されていました。

ノーソンがあるのは大分県中津市(旧・耶馬渓町)の山あいにある津民という集落。
旧・耶馬渓町は、4年前に周辺3町村とともに中津市へ編入。それまで過疎化が進み、線路も廃線。役場もなくなり、そして農協までが撤退。中津市街の大型スーパーまで20km、歩いていける店がなくなった、、、。2005年、元・町職員の中島信男さんは、撤退し売りに出された農協売店を240万円で買い取り、NPO法人・耶馬渓ノーソンくらぶを設立。周辺住民80名を会員に「自分たちに必要なものを仕入れ、売る店、ノーソン」を始めたとのこと。(参考=日本農業新聞e農NET←農協系の新聞です、、、)

はい、ここまで書いたらお気づきでしょうが、なんでもやさん(宮城県丸森町)、広島県安芸高田市川根地区の万屋さん、それに以前にこのブログでも紹介した「農協撤退で全国に『共同売店』」と、ほぼ同じケース。沖縄・名護市の共同売店、羽地中部共同売店も農協撤退後に周辺住民が再出資してできた共同売店です。
「本当に困ったら、やっぱりみんなこれに行きつくんだね〜」と鹿熊さんも言っていましたが、まさにそうですね〜。

これらの店は単なる商店ではないです。生活に不可欠な社会インフラであり、ライフラインであり、セーフティネットでもあります。日常生活だけでなく、災害時にはさらにその重要性がはっきりすると思います。しかも補助金や交付金や税金に頼らない、いや頼れないからこそ生まれた、自立した存在です。
今後、農村だけでなく都市部においても、歩いていける店(徒歩圏で生鮮食料品、医薬品など最低限の生活必需品を手に入れられる場所)はますます必要になってきます。特に高齢者、子ども、障害者などの交通弱者には死活問題です。

「村のコンビニ」と聞くと、なんだかほのぼのホンワカのんびりしたイメージで、「田舎ではみんな助け合って生きてていいな〜」なんてテレビドラマみたいな想像をしてしまいがちですが、とんでもない。この村で生きるのか、村を捨てるか。生活と村の存亡をかけた苦闘の毎日なんです。

「共同売店ファンクラブ Official Blog(リンク)」より引用
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 そして、これらに共通しているのは、その共同出資企業が、

「これらの店は単なる商店ではないです。生活に不可欠な社会インフラであり、ライフラインであり、セーフティネットでもあります。日常生活だけでなく、災害時にはさらにその重要性がはっきりすると思います。しかも補助金や交付金や税金に頼らない、いや頼れないからこそ生まれた、自立した存在です。」

 のように事業を通じて住民の生活の貢献するだけではなく、もっと広い領域において住民の生活に不可欠の存在となっていることです。

 過疎地という極めて厳しい事業環境においても「住民全員出資」「住民参加経営」という方法で企業経営が成立しているという事実は非常に注目されます。それは「自分達が自ら出資し、経営に参加している」店だという当事者意識が強く影響していると思います。

 これは、現時点ではなくなっては困るという(=必然性が高い)過疎地における事例や業態が多いように見えますが、都会においても、食の安全や防犯などの生活に関わる様々な課題はあります。あとは、その企業のサービスを受ける市民がどこまでその課題を共認し、出資や経営に参加することをみなの共認として形成していけるかにかかっています。

 また、企業経営において、まずは社員による出資(全社員の協働出資)及び経営への参加(全社員取締役)という企業の共同体化の可能性にもつながります。

 株式会社という制度は、単にお金を儲けるための出資ではなく、その企業の存在の必要性や意義に共感して行う出資という運営に切り替える事によって、大きく変るのだと思います。


浅野雅義

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「住民出資の株式会社」の可能性1:全国に広がる共同売店


99607 株式会社という会社形態は古いのでは?
>さて、この株式会社の制度をもう少し発展させて、当事者としての意識を顕現させる方法は、実は、実現論(実現論4_7_01)に既に記載されています。その前段階ですが、まず、株主と経営者と労働者の奴隷関係をなくすことだと思います。それには、全員出資の全員経営の全員生産・労働という会社形態がもっとも望まれるのではないだろうか?と思います。要は、自分の会社の株をかって、経営してゆくことができないだろうか?ということです。

 株式会社の新しい運営方法の兆しが出始めています。それは、都会や大企業からではないく、過疎地での日用品販売店という業態において、地域住民にとっての必要性(=課題)から生まれてきています。

 そのうちにいくつかを紹介します。
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■住民出資で「生命線」守れ 山あいの店、集落挙げ経営

 愛媛県境に近い四万十川支流の山あい。日用雑貨や食料品、肥料などが並ぶ店内に山村ののどかな空気が広がる。住民が出資した株式会社「大宮産業」。暮らしを支える地域のとりでだ。高知県四万十市西土佐の大宮地区。人口約300人、65歳以上の住民は45%近い。半数以上の世帯が農業を営み、コメを中心にナスやシシトウなどを生産している。

▽株式会社を決断

 同地区に大きな転機が訪れたのは2005年。農業生産の減少などに伴い、JAが出先機関の統廃合を打ち出した。地区を挙げて反対したが訴えは届かず、大宮出張所の廃止が決まった。出張所は地区で唯一、日用品のほかガソリンや軽油、農業資材を販売。車など交通手段を持たない高齢者や農家にとって「生命線」だった。「出張所を引き継ぐしかない」。窮地に追い込まれた住民に他の選択肢はなかった。協議を重ねる中、一時は農事組合法人化も検討したが、日用品販売に法規制があり断念。最終的な結論は株式会社の設立だった。約8割の世帯、 108人 が平均6万円余りを出資して700万円を確保。06年5月、住民が株主、取締役となる「大宮産業」が誕生した。県の補助金を活用して店舗や給油施設をJAから買い取り、社員とパートも1人ずつ雇った。店は残った。「田舎は捨てられるのか、と思った。みんなで心を一つにして自分たちの会社をもり立てていきたい」。株主でもある西岡寅男(にしおか・とらお)さん(72)は、会社への愛着を強調する。住民らの思い入れにも支えられ、設立後3年連続で黒字。08年度は1日平均76人の客が訪れ、売上高5116万円で、約2万8千円の黒字を達成した。

▽新たな事業も

 だが、地域の厳しい状況は変わらない。過疎化が進めば利用客も減る。「住民に必要とされる役割を果たさなければ」。竹葉伝(たけば・つたえ)社長(64)らは、会社維持へ新たな事業展開にも取り組む。6月からは住民から要望があった宅配サービスを開始。地元農産物の販路拡大にも乗り出し、高知市内の中学、高校2校へ地元産の「大宮米」の納入を始め、四万十市内の学校給食にも広げた。「農業者の自分らは一生、地域から逃げられない。次の世代に暮らしをつないでいくためにも、今ここで生きる基盤をつくっておきたい」。竹葉社長は力を込める。ことし大宮地区で約5年ぶりに新しい命が誕生した。大宮産業は地域を守る知恵の結集であり、地域自立の方向性も示唆している。(高知新聞社、文・横山仁美、写真・佐藤邦昭)

47NEWS(リンク)より引用


■地区住民が共同出資した共同店「なんでもや」

○オーナーは地域のみんな 
 宮城県伊具郡丸森町,町の中心より10km離れた山間地に,阿武隈川が流れ,「日本の棚田百選」に選ばれた美しい棚田の景観が広がる大張おおはりという集落がある。310世帯の人口1100人足らずの集落に,地区住民が共同出資した共同店「なんでもや」がある。少子高齢化の波を大きく受けながらも,店舗を拠点として地域の活性化,ひいては地域の自立に向けての活動が生まれている。

◇のし紙一枚買えないなんて
  
 平成12年3月にJA大張支所購買部が統廃合により撤退し,続いて平成14年3月に大張に唯一あった小売店が不景気のあおりで看板をおろしてしまった。大張住民にとって日用品をはじめとした生活用品の買い物に甚だしく不便な状況にあった。いままでは普通にそこにあったお店がなくなれば,ちょっとした買い物でも遠くまで行かなければならない。隣の角田や白石のスーパーまでは車で20分近くかかる。この集落では60歳以上が4割を占めており,車を運転できない高齢者が最も不便を強いられ,地区にとって一つの危機が生じていた。
 
 住民から「地域に店を」との声が高まり,商工会の支部が中心となって発起人会を立ちあげた。民俗研究家で2004年に日本芸術選奨を受賞した結城登美雄さんにアドバイスを求めたところ,沖縄で住民が共同出資してつくった共同店を提案された。

◇一戸2千円の出資金
 以前あった店と同じ方法では経営が続かないのは明らかと思われた。沖縄の共同店のように住民みんなの共同出資という形でやってみようということになった。自分が出資した店であれば,より関心を持ち,積極的に利用するという目論見だった。説明会を開催し,区長から地域の人たちに働きかけてもらうことになった。一戸あたり2千円の出資金を呼び掛け,310世帯中200世帯から賛同を得る。出資金について,もう少し高くてもという声もあったが,みんなが出せる丁度よい価格帯を設定した。事業主や役場職員からも出資を募り,総額220万円の開店資金を集め,開店のめどがついた。
 
 店舗には,平成12年に閉鎖したままのJAの購買部を月1万5千円で借りた。冷蔵庫など店の備品は住民が持ち寄ったものばかりで,製材所が木材を提供し地元の建築業者が陳列棚を組み立てた。工事には地元の電気店,水道工事店などがボランティアで協力した。こうして平成15年12月6日に,大張流共同店「大張物産センターなんでもや」が遂にオープンした。この地区に暮らす人が欲しいものならなんでも売って,必要とすることはなんでも対応するという意味が込められている。

宮城県HP(リンク)より引用 
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つづく


浅野雅義

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~新しい農の可能性から、実現態たる類農園に高い期待が集まっている~【なんで屋ウィークリー08/31】

7月の農業グランドセオリーの発売から、露店では農業お題(新しい農の可能性とは?)を積極的に打出してきました。社会的な問題意識の高い学生・社会人、本当に見た目は普通の女の子に見える農ギャル、実際に農業を取組んでいる人など様々な意識の人に可能性を感じてもらい、多くの評価を得ることが出来ました。

┌────────────────┐
│  貧 困 の 消 滅     │  戦後からのアメリカ支配
└────────────────┘            ↓
↓↓         ↓            農の国際市場化
充足志向    私権の衰弱                 ↓
││         ↓        本来自給が大前提の農が
││       収束不全→私権原理の崩壊 支配される歪な現状
↓↓        ↓↓   ↓↓   ↓         │
共認収束の  ┌──────────────────┐   │
大潮流   ⇒│社会の役に  本源集団の 必要か否か│   │
(みんな収束 │立ちたい    再生期待   │  │   │
⇒課題収束) └──────────────────┘   │                
              ↓↓       │      │
      農には全てを充たす可能性がある  ↓      ↓
      →農への期待感△     食への危機感・問題意識△
                ↓         ↓
                近年の農への関心の高まり


近鉄奈良露店では、新しい農の可能性を実践している類農園をアピールしています。そしてなんでやネットワークと類農園の協力により、なんで屋露店で支援金(応援料)として農産物(お米とお茶)の販売をするという新たな試みが実現しました。

まだ開始して間もないですが、新しい農の可能性を感じてくれたお客さんからは「ぜひこれからも頑張って下さい!」と、お米やお茶を購入して頂きました。さらには類農園の取組みに興味を持ってくれたお客さんが、類農園の研修生となってくれました!(本っ当に嬉しい限りですね!!)

みんなが可能性を感じてくれた新しい農とは、農を通じて地域や企業といった共認充足の場(集団)を創出し、新たな活力を生み出していくことです。その実現には多面的な機能を持つ農が新たな価値と活力を創りだせることを評価し、その新しい農の可能性を実現する集団を拡大していくことにあります。

農産物の購入や類農園への研修生としての参加は、まさに新しい農の可能性を実現していく集団を拡大していく活動への協働者といえます。類農園にはこのみんなからの高い期待を受けて、もっともっと新しい農の可能性を発信し、さらなる実現へと向かっていってもらいたいです!! 


三浦弘之

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