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農村を活性化させる為には?

直売所経営を通じて「生産者」「販売員」「消費者」が共に高め合っていける基盤とは?①

上田市丸子農産物直売加工センター「あさつゆ」より、「生産者」「販売員」「消費者」の3者がどのように相乗効果を生み出すかを学びました。

郊外型直売所において、あさつゆでは生産者が値付け、出荷量、荷姿を自由に決める制度にしています。
生産者が直接消費者に向き合い、その期待を受けることで、「作るだけ」の農家とは違う、自分の頭で考える農家を生み出し、小規模でも自ら未来を切り拓く主体性を持った農家を生み出しました。

リンク
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 様々な創意工夫があるのだが、その中でも、特に「あさつゆらしい」のが、生産者間で取り決めた様々なルール・しきたりである。
 その最たるものが、「三つの自由」論。すなわち、
(1)値付けの自由 
(2)出荷量の自由
(3)荷姿の自由―である。「この自由を背景に、あとは競争で自分の商品を売るために創意と工夫を出してください」という考え方だ。総会の決議として文書化してある。
 もちろん、この「自由」にはリスクもある。時には消費者から「こんなものを売るな!」という厳しいクレームが届くこともある。
 そんな時は「規制も必要か」と思わず感じることもあるが、「そんな時こそ我慢のしどころ」だと伊藤さんは言う。やはり、「自由」に勝るものはなく、生産者の創意と工夫に勝るものはない。生産者が自ら主体性を発揮し、自ら考え行動することに限りない信頼を寄せているのである。

 農家が、自分の責任と権限で農産物を売る。この直売事業によって、朝まで畑にあった完熟農産物を、その日のうちに店頭に並べることができるようになった。規格外品や、さらに付加価値をつけた加工品として販売することも可能になった。しかも、生産者にとっては、換金率が非常に高いメリットもあった。
 しかし同時に、生産者が「売り方」を考えなければならないという、系統出荷では有り得なかった状況も生み出された。多くの生産者にとって、今まで意識してこなかったマーケティングの感覚も必要不可欠となった。消費者の反応を鏡として、自分の農業技術の優劣や、値付けの適否、販売方法の有効性などを反省しないわけにはいかなくなった。
 これが、一昔前の系統出荷・市場出荷一辺倒の「作るだけ」の農家とは違う、自分の頭で考える農家を生み出し、小規模でも自ら未来を切り拓く主体性を持った農家を生み出したのだ。
 伊藤さんが言う「直売所の原点・本質」は、こうした「農家の主体性を創造する共創の場」なのである。
 直売所が盛んになって久しい。だが「直売に向く人と向かない人がいることも事実」だと伊藤さんは言う。「結局、丁寧な仕事をする人が勝つ世界。量を生産すればいいという農業で勝てる世界ではない。いかにしっかりとしたいいものを作るか、丁寧に粘り強く生産できるかが必要不可欠な世界」だ。「売れなければ売れないで、一人で悩んで、次第に一人前になっていく」。
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TA

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農業との組み合わせで相乗効果が期待できる「ソーラーシェアリング」

原発停止による電力不足を声高に唱える一方で、今夏の電力供給力は確保されている。

発電コスト上昇を理由に電気料金の値上げをしてもなお経営危機を騒ぐ一方で、発電供給量「ゼロ」の日本原電に巨額の基本料金を払い続けている。

そんな電力会社に、更なる電気料金の値上げをさせない為に、日本政策投資銀行を通じて税金を注ぎ込む政府。

このような泥沼の状況を続ける政府や経済界をよそに、民間では着実に再生エネルギーの活用に向けた活動は進んでいる。

その一つが、農業と発電事業を組み合わせた「ソーラーシェアリング」と呼ばれるものだ。

エネルギーも含めた地産地消の観点から見れば、この組み合わせは相乗効果も期待できる。
これからの農業を考える上でのヒントとして、以下の記事を紹介する。


『農作物と太陽電池が光を分ける「ソーラーシェアリング」』
(スマートジャパン(リンクより引用)

 農地は法律によって、農業以外の用途に使うことができない。ただし農作物を栽培しながら別の目的に利用することは可能だ。広くて平坦な農地に降り注ぐ太陽の光を最大限に生かして、農業と発電事業を両立させる「ソーラーシェアリング」が注目を集めている。

 ソーラーシェアリングを実現するためには、太陽光パネルを高い位置に設置する必要がある(図省略)。パネルが遮断する光の量を少なくして、農作物にも十分な量の太陽光が当たるようにする。一般に遮光率を30%程度に抑えることが望ましい。

 岐阜県で初めてのソーラーシェアリングが、県南部の各務原市で2014年5月に始まっている。

 広さが2300平方メートル(700坪)の畑に、504枚の太陽光パネルを設置した。高さが3メートル以上ある支柱を立てて、その上に細長い太陽光パネルを傾けて固定している(図省略)。パネルの間隔は広く空けてある。この方法ならば遮光率は30%を下回り、農作物の栽培に支障をきたさずに済む。

 パネルの下では里芋や小松菜を栽培している。太陽光で発電した電力は固定価格買取制度で売電することによって、20年間の安定収入を見込める。農作物の市場が縮小している農家にとっては貴重な収入源になる。


 農林水産省も農業の継続を前提にした営農型の太陽光発電を促進する方針だ。2013年3月に指針を発表して、太陽光発電のために農地を一時的に転用できる条件をまとめた。その指針によると、転用期間は3年以内だが、自治体からの許可を得て期間を更新することができる。

 太陽光パネルを設置する支柱は簡単に撤去できる構造にして、農作業用の機械を効率的に利用できるスペースを確保する必要がある。さらに農作物の栽培に十分な日射量を得られるように、パネルの角度や間隔を設定することも求めている。指針には具体的な数値を規定していないが、遮光率を30%以下に保つことが目安になる。

 農地に設置する太陽光発電システムの中には、追尾型と呼ばれる可動式の設備も見られる(図省略)。パネルの面が太陽光に合わせて動く仕組みになっていて、1日を通じて最適な角度で光を受けて発電することができる。通常の太陽光発電と比べて少ない数のパネルで済むため、設置間隔を広く空けることが可能だ。

 ソーラーシェアリングは農地の有効活用に向けて、今後ますます重要な役割を果たすだろう。国内では農作物の栽培に使われなくなった耕作放棄地が年々増えている。現在のところ耕作放棄地でソーラーシェアリングを実施することは認められていない。農林水産省が新たに方針を検討中で、近いうちに耕作放棄地でもソーラーシェアリングが可能になる期待は大きい。




永峰正規

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日本の哲人・福岡正信氏の自然農法~人間の科学が不完全で不要なものであることを"何もしない"自然農法で証明

<ポイント>

・「この世には何もない」「人間は何をしようとしても、何もできるものではない」「人知・人為は一切が無用である」・・・大病をきっかけに得られた気付き「一切無用論」「無」の思想が原点
・自然を利用しようという西洋的な思想ではなく、人間は自然の一部であるという東洋的な思想を重んじ、人間の科学が不完全で不要なものであることを、"何もしない"自然農法で証明しようとした
・「食の狂いが体を狂わす。考え方を狂わす。あらゆることに影響する。体の健康も食から来る。そして、体から思想も生まれる」
・「身土不二」・・・「身体(身)と環境(土)とは不可分(不二)である」
・不耕起、無肥料、無農薬、無除草という四大原則に基づく、なるべく人の手をかけない農法

リンク より
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耕さず、肥料も農薬も使わず、除草もしない農法があります。「自然農法」です。

日本の自然農法の大家と言われる福岡正信氏は、約60年間、独自の理論と思想、哲学に基づいた自然農法に取り組んできました。1975年に出版された著書『わら一本の革命』は、英語、フランス語、スペイン語、中国語、ロシア語などに翻訳され、20-30カ国もの国で読まれており、自然農法の実践だけでなく、環境悪化の根本原因を指摘し、人間の生き方までを示すその思想・哲学は世界中の多くの人々に影響を与えてきました。

1913年、愛媛県伊予に生まれた福岡氏は、高等農林学校農業部を卒業後、横浜税関に就職しました。そして25歳の時、転機が訪れます。急性肺炎を患い、入院するのですが、この時の孤独な体験により、退院後も苦しみ、生死について悩み、悶々とした日々を過ごすようになります。そしてある朝、「この世には何もない」「人間は何をしようとしても、何もできるものではない」「人知・人為は一切が無用である」と気づきます。福岡氏の「一切無用論」「無」の思想の誕生でした。
その思想を、自らの実践で証明するため、1937年、郷里の伊予へ帰り、父親の果樹園で百姓生活に入ります。1939年、第二次世界大戦の戦況が厳しくなったころ、高知県農業試験場での勤務を始め、そこで科学農法を指導、研究しながら終戦を迎えます。1947年、伊予に戻り、それ以後、百姓として独自の自然農法を続けてきました。

思想と哲学に基づく自然農法

福岡氏の自然農法は、人間の科学の完全否定から始まります。福岡氏はその著書で「とにかく私は、従来の農業技術を根本的に否定するところから出発しております。これは、私が、科学技術というものを、完全に否定しているということです。今日の科学を支える西洋の哲学の否定にもとづいているわけです」と述べています。
また、「私が考えている自然農法というのは、実をいうと、いわゆる科学農法の一部ではないんだ、と。科学農法の次元からはなれた東洋哲学の立場、あるいは東洋の思想、宗教というものの立場からみた農法を確立しようとしている」とも述べています。自然を利用しようという西洋的な思想ではなく、人間は自然の一部であるという東洋的な思想を重んじ、人間の科学が不完全で不要なものであることを、"何もしない"自然農法で証明しようとしたのです。

著書『自然に還る』では、「食の狂いが体を狂わす。考え方を狂わす。あらゆることに影響する。体の健康も食から来る。そして、体から思想も生まれる」と、人間が生きていくうえで、食を非常に重要なものと位置づけ、食の取り方として「身土不二」という言葉を何度も使っています。身土不二とは、「身体(身)と環境(土)とは不可分(不二)である」という意味で、「人と土は一体であり、暮らす土地でその季節に取れる物を食する事で、体は環境に調和し健康でいられる」というメッセージです。

福岡式自然農法

それでは、化学肥料や農薬を使用しない自然農法は、有機農法なのでしょうか?福岡氏は、人智による科学的農法を否定し、「人為は無用」となるべく人の手をかけない農法を作り上げてきました。有機肥料を施す有機農業は、人間による施肥という行為がなされるので、福岡氏の目指した自然農法の理想とは異なるものと考えられます。
自然農法について、福岡氏は著書の中で、次のように語っています。「健全な稲を作る、肥料がいらないような健全な、しかも肥沃な土を作る、田を鋤かなくても、自然に土が肥えるような方法さえとっておけば、そういうもの(田を鋤く、堆肥や化学肥料をやる、農薬をやること)は必要でなかったんです。あらゆる、一切のことが必要でないというような条件を作る農法。こういう農法を私はずっと追求しつづけてきたわけです。そして、この三十年かかって、やっと、何もしないで作る米作り、麦作りができて、しかも、収量が、一般の科学農法に比べて、少しも遜色がない、ということころまで来た」。

<略>

福岡式自然農法には、不耕起、無肥料、無農薬、無除草という四大原則があります。不耕起とは耕さないことで、農家の常識では理解しがたい事のようですが、松本氏は「耕した土は乾燥しやすい」と言います。また、有機肥料を含め堆肥をやると、作物を過保護にしてしまいます。無肥料にすることで、強靭な作物ができ、味も濃くなることを実感しているそうです。無除草に関しては、雑草を根から抜くのではなく花の咲く頃を見計らって刈るそうです。そして刈った雑草はそのままその場所に倒しておくと、夏は保湿、冬は保温の役割をしてくれ、腐って肥料にもなります。
また、水も極力やりません。水をやらないと、根が水をもとめ、地中深く根を張っていきます。ところが水をやると植物は簡単に水を手に入れることができ、根は浅くしか張らない、弱い作物になってしまうそうです。
種まきの際には、さまざまな種をまぜて、バラバラに蒔きます。そうすると、その場所と相性のよい作物が出芽します。そのため、どこに何が生えてくるか、まったくわかりません。福岡式自然農法は、傍から見れば、植物が乱雑に植わって、ほったらかしの状態に見えます。見方によっては荒れ放題の畑のように見えるので、隣接する農家や近所の人は嫌がるそうです。野菜が整然と並んだ畑が常識の日本では、なかなか周囲に理解されにくい農法なのかもしれません。

<略>

近年、石油の需要が大きく伸び、その利権をめぐって世界中で紛争が絶えません。化学農法で使用する肥料や農薬は石油が原料ですし、耕耘機を動かす燃料も石油です。石油問題はエネルギーだけでなく、肥料や農薬に頼っている化学農法にとっても危機となります。しかし、自然農法は、耕耘機などの機械も、肥料や農薬も使用しません。石油を必要としない農法なのです。まさに持続可能な農法といえるのではないでしょうか。

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以上





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日本農業の変遷と衰退~農業の近代化がもたらした「死米」

『日本農業の変遷と衰退-山下惣一『土と日本人』を手掛かりにして-』より引用リンク
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日本の農業がどれほど激しく衰退してきたかを知ることはそれほど難しいことではありません。
たとえば,農業に従事している人の人数の減少を見ただけでも,衰退の程度は分かります。

統計上,「農業のみに従事した人と,農業以外にも従事したが,農業の従事日数の方が多い者」の合計,いわば基幹的農業従事者を「農業就業人口」と定義されています。
総人口の変化をみると,1960年の9250万人から2011年には1億2500万人へと35%増加しましたが,農業就業人口は,1454万人から260万人,約六分の一へ激減してしまったのです。

このような激変をもたらした要因は幾つかありますが,主要なものは三つです。
一つは, 1970年から田んぼの作付け面積を減らすために「減反政策」を導入したことです。これは,戦後の食糧難を解消するために,国を挙げて米の増産に邁進しましたが,1960年頃から,米は次第に余り出しましたからでした。しかし,「減反政策」が農家の稲作への意欲を削ぐ大きなきっかけとなりました。
二つは,戦後復興が一段落すると,都市の工業や商業に従事する労働力が大量に必要となり,農村から都市へ,人口の大移動が起こったことです。
三つは,お米の消費が一貫して減少し続けてきたことです。米に代わって消費が伸びたのは小麦を原料とするパン,パスタ,麺類などです。

これらの要因によって,日本の農業の中心的存在だった稲作が急速に衰退にむかったと考えられます。

しかし,こうした統計的,制度的な要因は事態の一端を示すにすぎません。
この衰退過程では質的な変化が生じていました。その変化を,佐賀県で農業を営む山下氏の『土と日本人-農のゆくえを問う-』(NHKブックス498,1986年)を手掛かりに考えてみたいと思います。

ちなみに,佐賀県は戦前から米の増産運動に力を入れ,昭和40年,41年には,反当たり収穫量が日本一になったほど,官民挙げて米作りに熱心な県でした。
山下氏は,昭和11年(1936年)に佐賀嫌県の農家に生まれ,戦前の農業を祖父や父から学び,農業をずっと続けてきたベテランの農民です。
昭和59年(1984年),突如,それまで見たことも聞いたこともない異変が,彼と彼の地区の田んぼに発生したのです。
「死米」が現れたのです。米は,水不足,栄養不足などで未熟なまま収穫期を迎えたり,害虫や病気で黒く変色してしまうことがあります。特に未熟なまま成長が止まった米は粃(しいな)とよばれます。
しかし,「死米」とはそれとは違う,米の腹が白色化した米で山下氏は「死んだ米」と表現しています。ただ,私には,「死米」についてこれ以上具体的には説明出来ません。

いずれにしても,「死米」は商品として出荷できない米となってしまいます。
彼は自分の田んぼの3割が「死米」になっていることを確認し,早速,同じ地区の田んぼの状況を調べます。そこで,彼の地区では,同様に「死米」が発生していたことが分かりました。
農業試験場,農協,農業改良普及所の三者が合同による死米現地調査班が調査に訪れます。
彼らの結論は,①稲の出穂前に高温が続き,②体内の水分の蒸発が異常に多かったこと,③昼と夜の温度差がなかったため養分の消耗が激しかったこと,④病気のため光合成能力が著しく低下したこと,④高温・晴天の夏だったため水不足気味になり,農家は水を流さないで田に貯めておいたので水は昼間は熱湯と化し,根が正常の養分吸収ができなくなってしまったこと,の四つが原因であったと結論しました。
つまり調査班の結論は,夏の間の高温という自然条件が「死米」の原因だとしたのです。

山下氏は,これらの要因が関係していたことは間違いないとしても,それだけではない,と直感します。
とういのも,高温で渇水気味の夏,これまで歴史的に何度もあったはずなのに,山下氏は「死米」が発生したなどということは,先代からも聞いたことがなかったのです。
調査班は大規模,科学的,詳細かつ大がかりな調査したようですが,山下氏をはじめ地区の農民は,どうしてもその調査の結論に納得できませんでした。
山下氏は,佐賀県内の他の地域,さらには米所の新潟県などへも赴き,やはり死米は佐賀県の他の地域や他県でも発生していたことを確認しました。
彼は,土に原因があるのではないか,と考え,まず,自分の田んぼの土を掘って調べました。そこで,彼自身も驚くべき事実を目の当たりにします。
耕土(作土)と呼ばれる,根が栄養を吸収することができる層が12センチほどしかなく,その下に牛馬で耕していた時代の「すき床」が若干残っていました。
その下には「グライ層」と呼ばれる,土壌中の水分が過剰なため酸素が不足し,微生物が住めない「死の土」が地表近くにせり上がってきていたのです。
「死の土」では,微生物が生存できないため,有機物を入れても分解せず,植物の根が伸びてきても栄養を吸収できません。このため,稲の生育に必要な土の厚さは,せいぜい20センチほどしかないことが分かりました。
死米が発生した他の地域の土にも同様の現象が見られました。

彼はこれを,土作りを怠った結果,「自然界が発した危険信号」であると感じたのです。

農業の近代化という掛け声の下に高度成長期は,農家が競って機械化を進めていました。
耕耘機の使用は農家の労働を大幅に軽減したことは確かです。山下氏も丹念に耕耘機で耕していたつもりでしたが,実は,耕されたのは牛馬で耕していた時より,浅かったことが分かりました。
山下氏ははっきりは書いていませんが,おそらく,化学肥料の大量投入も,「死んだ土」の上昇に関係しているのではないかとも思われます。
というのも,栄養が上から与えられると,稲は地中深く根を深く下ろさなくても栄養を吸収できるからです。
加えて,耕耘機,田植機,コンバインなど大型の重機が田んぼを縦横に走り回ることによって,表土はかき回されますが,その重みで実は土を固く踏み固めてしまっているのです。
私は,これもまた,酸素不足で微生物が繁殖できない「死の土」の層を作る要因となっていったのではないかと推測します。
こうして,田んぼの土が死んでゆき,「死米」が発生する状況を山下氏,はレイチェル・カーソンのひそみにならって,“ついに村にも「沈黙の春」がきた”,と表現しています。

山下氏は皮肉を込めて,専門知識をもった専門家を「有学識無経験者」,自分のように農業を実践している人間を「無学識経験者」と呼んでいます。
この「死米」の原因に関して,私は「無学識経験者」の経験知と直感の方が正しいと思います。
原発事故の問題にしても,専門家と称する人たちの知識や判断の信頼性が大きく揺らいでいる今日,複雑で未知の部分が多い自然界と生物界の生態系が絡み合う農業においては,「無学識経験者」の知恵は大いに尊重すべきだと思います。
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根木貴大 

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「日本のゴミ問題の解決の方法がここにある!」~大切なのは処理の技術ではない 循環のよい関係を作ることです

根源回帰の潮流を基盤とする、「業態革命を遂げる企業群が形成する生産・生活基盤」、「自律性の高い共同体(企業・地域)のネットワークとしての自治=自主管理」、「自然の摂理への回帰」、これらの合流する先に未来の【自給型・循環型のグランドデザイン】が像を結んでくるのではないだろうか。リンク


循環型社会を考えていく上で必要なのは生産基盤=技術基盤だけではなく、それを活用するネットワーク・経済基盤=生活基盤が必要となる。そしてその技術も時間をかけて自然から教わったものが原点になっている。

以下は堆肥化プラントの優秀さと県下随一の守備範囲が誇りの株式会社県南衛生工業の紹介。

同社の最大の特徴は、独自の堆肥化プラントによる廃棄物処理の方法にある。現在このプラントの優秀さが行政を始めとする各方面から注目を浴び、同社では見学や問い合わせ等への対応に追われている。

以下
リンク
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◆大切なのは処理の技術ではない 循環のよい関係を作ることです


宮城蔵王にほど近い村田町という町のはずれ、山の上に変わった場所がある。省庁に全国各地の行政、団体、そして企業に勤める人々が、はるばる毎日のように訪ねてくるのである。「日本のゴミ問題の解決の方法がここにある!」と人々は騒ぎ立てる。しかしその“解決の方法”を開発した本人は淡々とこう語る。大事なところを見落としていませんかと。


(前略)
そんな折、ここ村田町の栗団地組合と相談して、汚泥を受け入れてもらえることになった。
ところがある日突然、保健所が「栗林へ汚泥を入れることを禁止する」と言ってきた。「雨に流された汚泥が海を汚染する恐れがある」というんです。「汚染する」ではなく、「汚染する恐れがある」というのが理由だという。
1年後には親子そろって首をくくらないといけない。私はもう廃業を覚悟して、翌日から昔田畑を借りた農家に挨拶をして回りました。

しかしそうして歩いている時、ある農家の堆肥舎で、積み上げた堆肥から雑草が生き生きと伸びているのを見たんです。それで、汚泥もこれくらい醗酵させれば畑に入れても障害が出ないんじやないか、本当の意味での農地還元ができるんじゃないかと思いました。汚泥などの廃棄物を100%堆肥にできれば、仕事が続けられるはずだと気づいたんです。

 それからというもの、農家のお年寄りに会うたびに、昔の堆肥の作り方を聞いて回りました。農家のみなさんが教えてくれた堆肥づくりの方法は、積み上げる高さから切り返しの回数まで、みんな見事に一致していました。

 堆肥作りは微生物の活躍によるものでした。だから、私かそれまで浄化槽でやってきたのと同じように、微生物が働きやすい環境を作ってやればいい。ハザカプラントは、そんな風に考えて設計したものなのです。そして、以前買ってあったこの村田町の山の上に、プラントを建設することにしました。


(中略)

◆経済のサイクルが回らねば 環境のサイクルも回らない

ただ、プラントでできた堆肥を使ってくれるひとがなかなか現われないという問題がありました。「なにが入っているかわからない」、「毒が入っているかもしれない」と言って、なかなか農家の理解が得られなくて苦労したんです。そしてそれ以前に、”環境や”循環”ということを考えている農家が、いまはあまりにも少ないということに驚かされました。

 ”廃棄物”というものを出さないために本当の鍵を握っているのは、プラントではない。あくまでも農業です。だから大切なことは、廃棄物の出るところと、プラントと、プラントから出る堆肥を使うところの3者のいい関係を作ることです。私は最初からそう思ってこのプラントを作りました。けれども、その肝心の農家がなかなか関心を持ってくれない。

 でも、やる気のある農家というのは、自分の圃場に必要なものを真剣に考えていて、そしてその必要なものをどこからかちゃんと探してくるものなんですね。それで最近になってやっとちょこちょこ使ってもらえるようになってきました。

 堆肥は農家には無料で分けています。そういう農家は、「私が使ってみよう」という勇気を持ってきてくれた人たちです。そういう人だちからお金をとるようなことは、なにか自分のめざしていることに反しているような気がするんです。行政やゴルフ場、都市緑化にはうんと高く買ってもらおうと思っていますがね。

 だいたいの農家は私のところへ来て、まず「この堆肥を売ってくれ」と言います。
私にしてみれば、これを売るのは簡単です。でも、堆肥を売って金儲けをする必要はありません。土を売って金儲けができた歴史なんかないんですから。それよりも、お金を出して買った堆肥で作った作物をどうするつもりなのか。ほとんどの農家は、農協の言い値で肥料を買う。それでできた作物を売るときも、農協が 「売ってやるよ」というのに乗って、自分で値段も決められない。昨日までそんな農業をやってきた人に、この堆肥に値段なんかつけられますか。

 だから私は、一生懸命やるならこの堆肥はあげますと言うんです。そして、自分で自分の作物をどこに買ってもらおうかときょろきょろするんじゃなくて、東京あたりのバイヤーが圃場まで出向いてきて、「この作物をいくらいくらで売ってくださいよって頭を下げにくるような生産をする。そうして利益を上げて、ちゃんと税金が払えるようになる。そんな風になってください。なろうとするなら、この堆肥はあげます。そうでなければ意味がないですから、やめましょうって、そうお話しているんです。

 いいものが作れるようになりたい、その夢は夢でいいんです。けれど、かなう夢をみるべきではないですか。最近はこのプラントをよそでも作ってくれないかという引き合いもくるんですが、その場合も同じことです。環境のサイクルに乗っても、経済のサイクルが回らなければ失敗するということに、どうもみんな目をつぶってしまっている。

 この間も、九州のほうの農家の組織でプラントを建設することになって、設備投資は国と県からの補助金で91%は賄えることになった。農家はあとの9%だけ返済すればいい。私たちにしてみればうらやましいほどの援助ですよ。しかし私は、気になって農家一軒一軒に聞いて回ったんです。「正直なところ、毎月いくらお金を出せるんだ?」って。みんな口を濁しちゃって答えないんですよ。それでどうなんだと聞いて回って、やっと答えてくれた金額は、完済には到底及ばないレベルのものだった。無理なのがわかっているのにやろうとしていた。私はそのお話は御破算にしてもらいました



2U

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大阪市が水道の運営権を2300億円で売却!~いよいよ自分の身は自分で守らなければならない時代へ


非常に危機感を覚えます。自主自営の精神をもった者は、自らの生存に係わる物(水)を他者に依存するのは拒否するはずです。ましてその他者が利益を追求する私企業であればなおさらです。いよいよ自分の身は自分で守らなければならない時代の到来です。

真実を探すブログリンク
より
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【民営化】大阪市が水道の運営権を2300億円で売却!来年度の完全民営化を目指す!第二の東電が誕生か!? new!!

大阪市が水道の運営権を2300億円で売却する方針を決めました。市が全額を出資する新会社に売却する予定で、来年度中には水道事業を完全に民営化する方針とのことです。

大阪市は民営化することで大幅な黒字化を予想しているようですが、私は無理だと予想しています。そもそも、水道のような重要インフラは利益を追求するものではなく、皆が平等に使えることを優先する物です。
そのため、利益を追求してしまうと、絶対にインフラを使えない場所や使えない方達が出て来てしまいます。具体的に言うのならば、フィリピンが良い例です。日本と同じ様に利益を求めて水道事業を民営化した結果、水道水の値上げが相次ぎ、遂には貧困層が水を飲めない事態になってしまいました。

最終的には暴動のような事も発生したことから、国営に戻すことで収まりましたが、日本でも同じ様な事が発生する可能性が高いです。民営化で特をするのは一部の起業家や権力者だけで、大多数には不自由な生活を強いることになります。ですので、他の部分は削って良いですが、重要インフラだけは絶対に民営化はしてはいけません。
(中略)

☆マニラの水道民営化の失敗
URL リンク
引用:
水道料金の高騰
 2003年1月までに、マニラッドの水道基本料金は1立方メートルあたり21.11ペソと、当初の4倍に跳ね上がり、マニラ・ウォーターの場合は1立方メートルあたり12.21ペソと、ほぼ500%にまで上昇した。

民営化後初めて料金の値上げが承認されたのは2001年の10月である。これは、1997年のアジア通貨危機によって二社が被ったペソ暴落による外国為替上の損失を埋め合わせるために損失の発生した四半期のみに適用を認められた値上げで、二回目の値上げは2002年に行われた料金の算定基準の改正によるものだった(図1、2参照)。

 MWSSの外貨建て融資の90%を引き継いだマニラッドが値上げを承認されたことは、政府がひいきにする民間企業、ロペスの救済策だとの見方が大方であった。2001年3月、マニラッドは一方的に、月々2億ペソ(US400万ドル)の委託契約金の支払いを停止し、料金値上げ後も支払いを再開しなかった。

料金を上げてもマニラッドの収支は改善しなかったのである。そして、その責任はフィリピン政府が引き受けることになってしまった。つまり、MWSSの民営化で民間に委譲されたのは利潤だけで、リスクの大部分は委譲されずに政府が抱え続けていたのである。
:引用終了
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岸良造

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手を使い、五感を使い、生命力を高める~野良的生活

自然を注視し、手を、五感を使い、自然に学ぶ。
そうして、畑の生命力も、人の生命力も高める生活をされている方を紹介します。

~感性を研ぎ澄ますことで、生命力を高める。自然栽培でブドウを育てる山形の果樹園「白雲」 [野良的生活のススメ]リンクより紹介します。

○自然に対する信頼感。思い通りにはならないものに対する畏敬の念。

見渡す限り、蒼く浮かび上がる朝日連峰の山々が連なる空。山形県寒河江市。出迎えてくれたのは「果樹園白雲」の松藤博人さんです。
(略)
松藤さんに先導されて車を走らせ、着いたのは葉っぱのグリーンが眩しいぶどう農園。松藤さんが“師匠”“天才”と仰ぐ工藤隆弘さんから譲り受けたという畑です。

松藤さんが「今、これが美味い」と教えてくれたリザマートという品種のぶどうを取ってくれました。赤紫色の弾力のある粒。皮ごとひとつ、口に含んでみます。清廉な果汁がすうっと染み渡り、後味のキレにも品を感じます。力強くありながら、まるで水墨画の一筆書きのような潔さです。

松藤さんのぶどう畑では、ほかの一般的なぶどう畑とは異なり、足元の草が多く、視界の大部分が緑色に埋め尽くされます。

雑草を刈らず、虫を敵とせず。120種類もの下草(松藤さんは雑草とは言わない)の多様性がぶどうの味に反映する。そうした環境を整えることができれば、あとはほとんどやることなんてないんだよ。生命力のある樹が勝手に育つからね。

そして、「生命力のあるものだけが残った」というぶどうの樹はわずかに5本だけだそう。直接的に果実をたくさん増やしたり、味を濃厚にするなどといった育て方ではなく、樹そのものが元気になることを考え、樹自身が育ちたい方向に少しだけ手を添えるようなやりかたです。

自然の生命力を信じて、手をかける部分は控えめ。そこに松藤さんの、自然に対する絶対の信頼感と必ずしも思い通りにはならないものに対する畏敬の念を感じました。



○手の進化こそが人間の進化
五感を研ぎ澄ませ、自然の声を聴く。 五感を研ぎ澄ませ、自然の声を聴く。

松藤さんのように、農薬や肥料を極力使わない栽培を行うには、自然の声を聞くための身体性と五感を研ぎ澄ます必要があります。土の匂いを嗅ぎ、葉の厚みを確かめ、枝がどこに伸びたがっているかを見ていきます。また、感性を高めるという話の中で、松藤さんは手の大切さを教えてくれました。

4本足で生きてきた祖先が2本足で立ち、手を使うことで人間となった。手を使って火を使い、家を作り、暮らしを作ってきた。そしてどんどん器用にいろんなものを作れるようになった。だから手の進化こそが人間の進化と言えるはずなんだよ。

機械が増えた今の時代はなんでも便利になって、ますます手を使わなくても済むようになってきた。今はそれを文明の進化と言っていたりするけど、手の退化は人間の退化なんじゃないかと思うんだよ。

手仕事、手料理、手塩にかける。

昔から、日本語には丁寧に物事をおこなう言葉に“手”の文字が並びます。優れた手の性能で生きる“職人”と呼ばれる人が減り、日本文化の存続にも警鐘が鳴らされています。自分は普段、どんな手の使い方をしているだろうか。松藤さんの話を聞きながら、自分ごととしてまるで居場所がないような心地がしました。


○感性を高めて生きる
食べ物は人を作る。そして美味しい食べ物は人を健康にして、機嫌まで良くする。そして人が国を作る。すべての元になっている食べ物ってのはそれだけ大事なものなんだ。だからちゃんといい食べ物を選ぶ必要があるし、いいものがわかる感性が必要なんだよ。

今死んでもいいっていう生き方をどのようにしているか。最後まであきらめない仕事が人の心を打つ。明日があるという現実はラッキーなこと。そこでどう生きるか、どう表現するか。

食べ物と生命。そしてその生命を使って力の限りに表現すること。会話の中で語られる魂のこもった言葉にも圧倒されますが、言葉の後ろには、自信をもって語るに値するだけの真摯な仕事が見え隠れします。

都会にはない真っ暗闇。たまたまそこにあった、ランタンと細いろうそく2本だけの灯り。生命力のあるぶどうに囲まれた暗闇は、皮膚感覚を通して官能的にさえ感じました。

「生きたいように生きなければ、自分は誰も幸せにすることはできない」。松藤さんは、人生の転機において、このようにも考えたと言います。

自分の人生でありながら、ついほかの誰かの意思や環境に流されてしまうこともあるように思います。生きたいように生きる。けっしてわがままに振舞うということではなく、自分の人生を自分の手で作っていくこと。自然の声に耳を澄ませるように、自分の内なる声に耳を傾ける感性を高めることもまた、“野良的”と言えるのかもしれません。






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豊かなみのりにご奉仕する~クラギ株式会社~

就職活動を行なっている学生と話していて、よく聞く企業名だったので、調べてみました♪

・種・苗から肥料、農業機械、果ては農家の生活に必要な身の回りの品々に至るまで農家さんのニーズを考え、その不満を解消するために創造された日本で初めての種苗と農業用品の専門店の経営。(“農業屋”と定義しています)
・農家の新しい販路として、農産物の直売店“農家の産直市場 みのり”の経営。
・野菜苗・花苗の自社生産農場“三重嬉野農場”
などの事業を展開しています。

社長のメッセージには、以下の想いが込められていました。

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(以下、社長のメッセージリンク)
クラギの経営理念は
「豊かなみのりにご奉仕する」です。

地域の生産農家さんに様々な面で貢献すること=生命産業である農業への貢献。それがつまり、仕事を通じての地域社会への貢献、だと考えています。社内では「新・農業宣言」としてその行動指針をまとめ、全社員共通の基本方針として想いを一つとしています。また、会社というのは、人生のなかで多くの時間を仲間たちと共有する場。そういう意味では会社は家庭と同じようなものだと考えています。私たちは、価値観を共有するため、農業に対する基本方針とともに、クラギ基本理念を策定し想いを一つにしています。これは、真の意味で“継続する企業”になるために、とても大切なモノだと考えています。

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これからの社会をつくっていくのは企業だと思いますが、その企業自身がどこまで広く深く追求しているのかで社会を規定してしまいます。

農業の新たな可能性に向かって挑戦し続けている企業はたくさんありそうなので、本当にこれからの社会に実現可能なものなのか、今後も探してみます!


ロコ

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「都会の“捨てる”文化を島根で拾う」石見銀山生活文化研究所

人口400人の町で50人の雇用を生み出す石見銀山生活文化研究所。リンク
服飾の製造・販売を軸としながら、衣食住に関わる事業を展開し、企業活動を通じて、生活と仕事が一体となった地域の活性化を実現している。
生地の原料も地域で栽培し、都心に店舗を展開し、地域の魅力を発信する。
古民家で囲炉裏を囲みつつ団らんする、昔ながらの食のあり方を提案し、古民家の再生も手掛け、町の景観や暮らし方を保存。
25年前から、草の根として活動し、近年ようやく、その価値が認められはじめるようになったという。

衣食住の本源価値を提供していくことを生業とするこの企業には、都会の若者がIターン、Uターンして入社するケースも増えてきているという。
地域の資源を活かしきり、生産と生活が一体となった集団に学ぶべき視点は多い。

リンクより引用・・・・・・・・・・・・・

■石見銀山を愛し、この地に根を下ろした物作り
700年の歴史を持ち、かつては世界にその名をとどろかせていた石見銀山。そのふもと人口500人足らずの大森町に、株式会社石見銀山生活文化研究所はある。昭和63年、松場登美所長が夫と2人で起業した有限会社松田屋が前身だ。商品の企画・開発や店舗づくりを担当する会社として分社化したものを、今年1月、社名も含めて統合した。現在、東京や京都などに約10店舗を展開している。
「石見銀山というほかにはない地域性の中で、都会地が切り捨ててしまったモノがここにはたくさんあります」と語る松場所長。長男である夫とともにUターンした20年前には、廃屋がどんどん目立ち始める小さな集落でしかなかった。しかし、歴史と文化を封じ込めたようなこの町こそが全国に通じる地域であると、夫妻を始め地域住民が思い当たったころから、時代の風は流れを変えていった。「石見銀山という地域を生かしきっていくということと、この地で自然体で暮らす自分たちの生き方とが、同時進行し始めた」のだという。それは、起業前からのブランド「BURA HOUSE」に並行して、全国に多くのファンを持つまでに成長した「群言堂」ブランドを生み出した。そして、地域住民による町おこしは、石見銀山の世界遺産暫定リスト登録へとつながっていった。
「群言堂」の言葉の意味は、「大勢の人が自分の意見を出して話し合い、一つの良い方向へみんなで生き抜いていこう」というもの。その意味あい通り、地元出身中心の個性的なスタッフ集団は、この地で暮らすからこそ生まれる独創的な生活感を、商品という形に仕上げている。


■楽しみながらおしゃれにできる「田舎暮らし」を全国に向けて提案し続ける
かつて栄華を誇った石見銀山の面影を色濃く残す町並みの中には、本店を始め、ブランドが生まれる原点となった「群言堂」や、広島県から移築したかやぶきの家などがある。物を作るだけではなく、昔の良さを残しながら今の時代を楽しむ空間を手作りすることも、大切な仕事だ。
現在、田舎暮らしを体験できる場として、江戸時代の地役人の屋敷を修復中だ。畑で採ってきた野菜を使い、かまどに火をくべて自炊し、五右衛門風呂でさっぱりしたあと宿泊できるというように、衣食住すべての文化を表現した空間で田舎暮らしを体験してもらう。建物を除くほとんどが、いわば商品と呼べるだろう。今年中には実現の運びだ。
企業が提案するのは、石見銀山という素晴らしき田舎に暮らしている「生き方」そのもの。‘まず商品あり’ではなく、生活のすべてを自分たちの手で表現し、提供する。
「楽しみながらおしゃれにできる豊かな田舎暮らしをスタッフと共に実践し、この地から全国の皆さまに発信し続けていこうと思います」と、松場所長。
穏やかな語り口の中にも誇りと自信が伝わってくる。



三島史路

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日本の農業が、世界で勝つためのヒント

農協を核とした地域完結型から、広域連携する農家の登場や、企業と連携し、生産から販売まで一貫した独自のモデルを構築しようとしているなど、日本の農業は今、大きな転換期を迎えている。

東洋経済ONLINE
『日本の農業が、世界で勝つためのヒント』
(リンク)より転載。

茨城県龍ケ崎市でコメを作る横田農場の横田修一社長。その耕作面積は、昨年もまた約15ヘクタール増えた。高齢化した周辺の農家が、横田社長に農地の耕作を依頼するためだ。こうして増えた耕作面積は、今や東京ドーム約22個分の103ヘクタール。横田社長は「今年はさらに7ヘクタール増える」と言う。

横田農場ではこの広大な田んぼを社員8人で耕作する。その際使う機械はコンバイン、田植機がわずか1台ずつ。コシヒカリだけでなく、収穫時期が少しずつ異なる6品種のコメを栽培し、繁忙期の作業を分散させる。ITを活用し、各圃場の水温や水位、特徴、生育情報などを一括管理する。その結果、横田農場の生産コストは、全国平均の半分以下に抑えられている。

政府も今後、担い手への農地集約を後押しする。ただ、横田社長は単に大規模化すればいいという風潮に警鐘を鳴らす。栽培技術、IT、そして機械の効率利用……。生産場所や要員体制に合わせ、複数の技術を組み合わせることが必要だという。

龍ケ崎市は都心から近いこともあり、後継者のいる農家がほとんどない。「同級生の中で農家になったのは僕一人だけ」。横田社長は今後も耕作依頼が増えると予想している。「300ヘクタールになっても対応可能な体制を作る」ことが、次の目標だ。

■成長へのキーワードは「海外」と「連携」
農家の平均年齢が66.2歳、耕作放棄地は滋賀県の面積に匹敵する──。マクロで見れば、日本の農業の現状は厳しい。だがその一方で、横田社長のように、高い競争力を持つ農家が増えているのもまた事実だ。

安倍政権は医療や介護などと並び、農業を成長分野に位置づける。農地の規模拡大や、生産から加工、販売まで手掛ける6次産業化の推進などにより、農業所得を10年後に倍増させる青写真を描く。

農業を成長させるには何が必要か。第1のキーワードは、「海外」だ。農産物の国内市場は1990年代をピークに縮小している。一方で世界の食市場は拡大が続き、特にアジア市場は2020年までに3倍に膨らむとみられている。縮む国内市場だけでは、今後の展望は開けない。

政府も農林水産物・食品の輸出額を20年までに1兆円へ倍増させる目標を掲げる。昨13年の輸出額は東日本大震災前の10年を超え、55年の調査開始以来、過去最高となる見込み。輸出推進の旗を振るジェトロの下村聡農林水産・食品部長は「海外の展示会では日本のブースが一番人気がある。日本の食品に対する潜在的ニーズは大きい」と言う。

日本から輸出するだけでなく、アジアで現地生産に踏み出す農家も出てきた。フィリピンのルソン島北部。300ヘクタールに及ぶ農地で日本式のコメの栽培が始まった。15名の現地スタッフを率いるのは、埼玉県のコメ農家、ヤマザキライスの山崎能央社長だ。

山崎社長は就農14年。埼玉県で約70ヘクタールの田んぼを耕す。昨年法人化し、国内では事業を軌道に乗せた。次の焦点はアジアだ。

フィリピンで紹介された農地は、当初コメがまったく取れないといわれていた場所だった。だが、現場に赴いた山崎社長は、周辺の水や雑草を見て、30秒で「取れる」。問題は苗の植え方だった。東南アジアでは苗をできるだけ多く植えようとする。それに対し、日本式はある程度間引いて、苗が本来持つ、自ら伸びる力を引き出す。栽培したのは現地の品種だったが、当初思ったとおりの収穫高を確保できた。

山崎社長の元には、現地の農家から「自分の農地を耕してほしい」という要望が引きも切らない。「フィリピンでも農家は儲からないと思われている。だが日本式の技術を持ち込めば、十分にやっていける」(山崎社長)。今後軌道に乗れば、ジャポニカ米の生産を始め、上海や香港などへの輸出も視野に入れる。世界の穀倉地帯としても注目される東南アジア。ここで日本の技術を生かす余地は大きい。

成長に向けたもう一つのキーワードが「連携」だ。有力農家の間で、農協を核にした地域完結型農業から脱し、広域連携を図る動きが加速している。今後TPP(環太平洋経済連携協定)が締結されれば、海外の安い農産物がさらに増える。TPP時代を見据えれば、日本の農業も本格的にコストダウンを追求しなければ生き残っていけない。

農家同士だけではない。すでに1200社以上の企業が農業への参入を果たしており、最近では企業と有力農家との連携が目立っている。

写真を拡大山梨県でトマトなどを栽培するサラダボウル。同社は今春、北杜市でオランダ式のトマトハウスの建設を始める。ハウスの面積は約3ヘクタール。三井物産などと組み、約10億円の資金を調達する。

農業大国として知られるオランダでは、同じ面積から日本の8倍ものトマトを収穫する。高い単収(単位当たりの収量)はなぜ可能なのか、労務管理はどうしているのか……。狙いはそれらを学び、ほかの一般のハウス栽培に応用することだ。
サラダボウルの田中進社長(42)は、こうした世界先端の生産技術を取り入れながら、企業とも連携し、生産から販売まで一貫した独自のモデルを構築しようとしている。「将来はグループで50ヘクタール程度の農地を手掛けたい」(田中社長)。

農業は今、間違いなく大きな転換期を迎えている。そして、すでに農家は動き出している。強い農業を作るヒントは必ず見つかるはずだ。

(週刊東洋経済2014年2月8日号)



永峰正規

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