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農村を活性化させる為には?

自然農法の定義とは?いくつも種類があるって本当!?

同じ野菜、同じ農法でも誰が作ったかによって違うものになる。
だから、農家さんの歩んできた生き方は、お客さんにとって「魅力」になるんですね♪
【農マドLIFE リンク より以下引用】

〇自然農法の定義はいくつもある?!

初めに抱いた違和感というのは、「あれ? 自然農法っていくつもあるの?」ということでした。
僕が一番最初に見つけた『自然農法』は、福岡正信さんという方が始められたものでした。
ですが、僕が近所の人に教えてもらった自然農法は、岡田茂吉さんという方が提唱されたとのこと。
この時点で「あれ?」となりました
「同じ自然農法なのに、始めた人が違うの?」と。
しかも、実践してみると、定義も方法も全く違うことがわかりました。

〇異なる自然農法に出会う

福岡正信さんの『自然農法』
福岡正信さんの唱える『自然農法』の定義は、「人は何もしない」ことが基本です。
人が余計な手を入れるから自然が乱れるのであって、人は手を入れず自然に任せるままが良いのだ、と。
ですから、福岡さんの自然農法は、「農薬や肥料を使わない」に加えて、
耕さない
害虫を駆除しない
除草もしない
というものが加わります。

岡田茂吉さんの『自然農法』
一方、僕が学んだ岡田茂吉さんの『自然農法』は、人の手がガンガン加わります。
「農薬や肥料を使わない」は変わらないのですが、
耕してOK
草は取ろう!
害虫駆除は自然な方法であればOK
肥料はダメだけど、堆肥は使おう!
というものでした。
2つの自然農法に混乱
当時の僕は「肥料と堆肥の違いって何?」というレベルでしたから、これだけ違いがあることにめっちゃ混乱しました。

「どっちが本当の自然農法なんだ?!」と、定義が全くわからなくなったのです。
最終的には、どっちもそれぞれの方針を貫いた別々の自然農法なのだと気づくのですが、初心者だった僕は、そういったところから混乱してしまったのです。

(中略)

〇自然農法のノウハウコレクターに

ビジネスを学んでいて出会う言葉に「ノウハウコレクター」というものがあります。
これは、「あらゆる知識や方法を学んだのは良いけれど、実践に落とせなくてグルグル迷ってしまう」という状態のことです。
農業において、僕はまさに「ノウハウコレクター」になってしまいました。
「自然」という言葉のつく栽培法を手当たり次第に学び、それを実践していったところ、「知識は増えたけれど、全く成果が出ない」という状態に陥ってしまったのです・・
あらゆる自然農法や自然栽培はどれもこれも魅力的です。
定義や方法は違っても素敵なものばかりです。ですから、その全てを試したくなったのです。
けれど、全ての方法を十分に実践できるはずもなく、そのどれもが中途半端になってしまい、結局目立った成果が出ないままになってしまいました……。

(中略)

〇農法ではなく“生き方”や“考え方”を学ぶ

たしかに、どの農法も魅力的だし正しいと思います。
ですが、注意すべきなのは、「どんな農法や考え方においても、その具体的な方法がそのまま自分に当てはまるとは限らない」ということです。
農地の状態や環境は、その地域によって異なります。また、農業者ひとりひとりの性格や特性も違います。
ですから、どれだけ素晴らしい方法が提唱されていたとしても、それが自分の土地や自分自身に合うかはわからないのです。
僕は、本で見たことをそのまま自分の土地で実践しようとしました。けれど、失敗しました。

自然農法の団体にも登録して、指導員さんに教わりながら実践したりもしました。けれど、失敗しました。

つまり、具体的な方法に落とし込もうとすると、本で学んだことや指導員から教わったことがそのまま通用するわけではないのです。
ですから、自然農法を実践しようとするときには、具体的な方法をそのまま取り入れるのは注意が必要です。

それよりも学ぶべきは、提唱した人の生き方や考え方でしょう。
たしかに目立つのは具体的な栽培方法ですが、それも元々は提唱者の生き方がベースになっています。
つまり、提唱者の生き方や考え方を元に、その人の土地や環境や性格にあった具体的な方法に落とし込まれているのです。
であれば、新たに自然農法を実践する場合は、提唱者の生き方や考え方を取り入れ、具体的な方法についてどうするのかは自分自身で判断することが必要です。

誰かが言ったことをそのまま取り入れようとすると、先ほどの僕のようにノウハウコレクターになってしまうだけなのです。

〇「自然農法」の定義はひとりひとり違う

ぶっちゃけて言うと、僕は「自然農法をしています」とは言いたくありません。

なぜなら今の僕は、今までお伝えしてきたどの農法とも違う定義と考え方で実践しているからです。
初対面の人にもわかりやすくするために、「自然農法をしています」という自己紹介をするのですが、本当は「自然農法」という言葉は使いたくありません。

今までお話ししてきたように、自然農法にはあらゆる種類がありますし、その定義も方法も違います。
そして何より、自分自身がどの方法にも当てはまりません。
僕はあくまでも、僕自身の定義と方法で栽培に取り組んでいます。
現在は小規模で、本当に小ぢんまりとした状態ですが、これから農業を拡げていくにしても、自分の農地と自分自身にあった方法で実践していくつもりです。

それは、以前に「自然農法のノウハウコレクター」になってしまい、たくさん失敗をしてしまったからです。
それよりも、先人から学ぶべきは“生き方”や“考え方”であり、具体的な方法に落とし込むときは、ひとりひとりにあった方法にするのがいいと考えています。

むしろ、それが一番自然だと思います。
そう。「自然農法」というのは実は、決まった定義や方法があるのではなく、栽培する人ひとりひとりによって違うものなのではないでしょうか?
だから僕は、自分に合った自分オリジナルの「自然農法」にチャレンジしたいと思います。
あなたにもぜひ、自分自身の「自然農法」の定義と方法を見つけていただきたいと思います。


三上公平


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「作物と共にエネルギーを収穫する島」~産業を一体化することで見える地平~

デンマークに位置するロラン島は、沖縄本島と同じくらいの面積しか保有していないにも関わらず自然エネルギー100%の町となっています。

この島で行われているのは作物の栽培とそれに伴う通常廃棄される藁などをバイオエネルギーに置換して使用、売電する仕組みが農家に浸透しています。

夫々の産業を切り離して考えるのではなく、産業が循環して成功しているという事実に非常に可能性を感じます!

以下引用抜粋
======================
かつて造船業を基幹産業として繁栄したロラン島は、1980年代後半に造船所が閉鎖。
名実共に産業が衰退し、島の経済全体が低迷すると、12年間の暗黒時代に突入した。
市は財政難に陥り、若者や知識人が都心に流出して、代わりに社会的に問題を抱えた人々が流入。
失業率は一時、20%まで上昇したという。
そこで彗星の如く現れたのが、公共事業部長のレオ・クリステンセンさん(連載第5回で取材)だった。
市長をはじめ、レオさんが中心となって自治体改革に乗り出し、自治体の各独立事業への株式会社制度の導入や公共事業への積極的な投資、風力発電メーカー大手企業の誘致などのテコ入れが功を奏し、見事にロラン島は完全復活を果たした。
「当時はITバブル真っ只中。
でももし弾けたら同じことの繰り返し。
そこで目をつけたのが、ITの次に注目されていた、再生可能エネルギーだったんです。
どこよりも迅速に開発を進められる場を提供する自治体になれば、関連企業を誘致することもできるし、実証実験を行ってもらうことで島全体としても知見を積み重ねることもできる。そういう戦略でした」

オイルショック以降、ロラン島の各地で風車協同組合ができて個人や複数人共同での風車の購入に拍車がかかり、今ではロラン島と隣のファルスタ島にあわせて、およそ500基の風車が立っている。
「この2つの島では農業が盛んで、農産物の年間売上は約500億円。
エネルギーの売上は300億円くらい。
そこには国営である洋上風力の売上も含まれているけど、いまや売電は農家の副収入として必要不可欠なものになっています。
「作物と一緒にエネルギーも収穫する」のがロランでは当たり前なんですよ」

農家になるためには3年半の教育が必要かつ、農業経営者になるためにはさらに大学院の卒業までが必須のデンマーク(義務ではないが、大学院を出ていないと難しい)。
国内外での法規制や最先端のテクノロジー、気候変動、世界情勢の把握、さらにエネルギーまで幅広い見識が必要だと認識されている。
ニールセン北村さんは農業教育の重要性を指摘する。
「たとえば、麦をつくったら、藁が出る。
その藁を売り、電気や地域暖房にして、副収入にする。
そして、その灰は肥料として返ってくる。
ならば、灰にどれくらいの養分が残っているか、農家さんたちはわかっていないといけないですよね。
風力発電も、取引市場での売買価格の変動や効率を最大化させるグリッドのつなぎ方とか、いつ建て替えが必要なのか、風車自体を売った方がいいのかなど、本当にたくさんのことを知らないといけない。
でも、だからこそやりがいもあって、一部の若者の間では農業はすごくカッコいい職業だと思われているんですよね」

市民の多くが自治体や農業に従事するロラン島では、「エネルギーはエネルギー」「農業は農業」「自治体は自治体」と個別に取り組むことは不可能、ないしは圧倒的に非効率的だということを示唆している。
むしろ、このようにすべてを有機的につなげあわせて、包括的にアプローチした方が、全体として持続可能なエコシステムを構築できるのだとも言える。

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参考引用:EPOCH MARKER 「【第4回】「作物と共にエネルギーを収穫する」ロラン島の実態とは?
」 より
リンク



ABC豆 


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アマゾン:先住民族が作り出した土、テーハ・プレータ

現代人が失った自然の力を利用した土作りの技術を先住民は持っていたのだという。その自然に対する同化力は現代人が想像できないくらいのものだったのだろう。もっと、そのことを知りたいと思う。


印鑰 智哉のブログ
リンク より


 アマゾンは今ではごく少数の先住民族がまばらに住む人の手がほとんど入らない自然のままの熱帯林と思われているかもしれないが、その常識を覆す考古学的発見が相次いでいる。

 アマゾンは手つかずの森林ではなく、1000万人もの人口を支えていたエルドラード(黄金の国)だったという。考古学調査により、これまで考えられていたよりもずっとその起源は古く3000年前の文明の痕跡がアマゾンから見つかっている。中でも、もっとも今の世界に驚きなのはTerra Preta(テーハ・プレータ、黒い土)の存在だ。

 アマゾンの土は鉄分が酸化した色の薄い赤い土であり、もろく、栄養もあまりない。アマゾンの森林はさまざまな植生が覆うことでその弱い土の上にも豊穣な生態系を形成しているけれども、その森を破壊してしまえば、その土はあっという間に消え失せてしまう。しかし、このテーハ・プレータは違う。明らかに炭を活用する先住民族の農耕によって作られ、その土には多くの微生物が生きている。そのため土は黒く、栄養に満ちている。

 つまり、自然が作るよりもより優れた土、微生物を養う技術を先住民族は持っていて、その1000万人もの人口をアマゾン地域で森林を破壊することなく、養ってきた。しかし、そのエルドラードはヨーロッパの植民者たちが持ち込んだ病原菌で500年前にほぼ絶滅したと見られている。

 この先住民族が作ったテーハ・プレータは通常の土壌の何倍もの炭素を含み、もしこのような土が世界中で作れたら気候変動は確実に止まると科学者を驚かせた。しかし、今、森林を焼き、牧草地や大豆の畑にする動きが止まらない。

(転載終わり)




匿名希望

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オーガニック後進国 日本の残念な事実 ①

有機野菜、無農薬野菜を求める消費者は増えつつあるように思う。
しかし、現在の日本で有機野菜の割合はたった3.5%だという。
なぜ、増えないのだろうか?

リンク

日本でも徐々に「オーガニック(有機)」を謳う商品や、有機野菜などを扱うレストランが増えつつある。が、それとは裏腹に日本の有機農業は伸び悩んでいる。農林水産省によると、有機食品市場規模は、2009年から2017年の間に1300億円から1850億円に成長はしている。

だが、この数字からは、日本が有機農業において世界でどれだけ遅れているのかはわからない。

グローバル・オーガニック・トレード・ガイドによると、有機食品が日本の農産物の売上高に占める割合は1.5%で、アメリカ(5.5%)、フランス(7.7%)、ドイツ(10.4%)と比べるとわずかだ。また、有機市場規模(約5.9億ドル)は世界13位で、1人当たりの有機食品購入額(約4.7ドル)は23位と振るわない。購入額で見ると、アメリカ人は日本人の15倍、フランス人は13倍、スイス人に至っては34倍に上る。

世界では10兆円規模の市場

2017年時点では、日本の有機農業の耕作面積はわずか1万ヘクタール(耕作地の0.2%)(国策として有機農業に力を入れているフランスでは200万ヘクタールが有機農業に使われている)。2017年では、日本で作られるコメのわずか0.1%、野菜の0.35%しか「オーガニック」の認証を受けていない。

一方、世界に目を転じると、有機農業市場は伸び盛りで、世界の有機食品市場規模は2018年に初めて1000億ドル(約10兆6000億円)を超え、今後も各地で成長が期待されている。それにもかかわらず、日本はなぜこの分野で後れを取っているのだろうか。

それには、いくつか理由がある。1つは、政府や行政が有機農業に積極的ではないことだ。ある輸入食品業者は「有機農業に理解がある政治家も農村部の有権者が反旗を翻すことをおそれ、公には有機農業推進の意向を示さない」と話す。

農林水産省も有機農業支援に力を入れているとは言いがたい。それは、有機農業先進国のフランスと比べると明らかだ。フランスは2001年に「アジャンス・ビオ」と呼ぶ官民の有機農業振興団体を設立しており、2019年の予算は800万ドルにも上る。同機関は有機農業に転換したい農家に対する資金援助などを行っている。


こうした中、フランスでは有機農業に転換する農家が増え続けており、アジャンス・ビオの調べによると、2018年には過去最高となる5000軒の農家が有機農業に転換し、有機農家の比率は全体の10%に迫るほどになった。とりわけ農作物における有機農業への転換が進んでおり、同機関の調査によると、昨年の耕作面積は前年比31%も増えている。

ロイター通信によると、同機関のトップ、フェリペ・アンリ氏は記者団に対し、「かつて有機に転換するというのはありえない話だったが、今は普通の話になっている」と話している。

こうした動きに伴って、フランス国内における有機食品の売上高も上昇。アジャンス・ビオの調べでは、2017年時点で売上高は83億ユーロ(約9990億円)と前年比18%拡大。スーパーにおける有機食材の売上高は同22%増えており、中でも野菜や果物など食料品の需要が増えている。フランスでは2020年までに給食で使われる食材の2割を有機にする目標を掲げるなど、今後も有機食材の普及が見込まれる。



北口真穂

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オーガニック後進国 日本の残念な事実 ②

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「有機JASマーク」の現状

これに比べると、日本は大きく遅れているように見える。そもそも日本はアジャンス・ビオのような振興団体がない以前に、認証システムも複雑だ。

目下、日本では農林水産省が「有機JASマーク」の認定を行っている。だが、取得するには年間10万円かかるほか、取得したところでその価値が重宝されるほど日本では消費者間で有機食品に対する認識が広がっていないこともあり、実際に有機作物を栽培する農家でさえ申請することはほとんどないと見られている。

「正式には日本の農家の0.5%が有機農産物を栽培していることになっているが、実際の数字はおそらく2%前後だろう」と、農業ジャーナリストの山田優氏は話す。

また、JASマークのカバー範囲は狭く、農作物と農産加工食品のみが対象となっており、例えば海産物はその対象に含まれていない。ワインなど酒類についての表示は国税庁が行っており、国税庁の「酒類における有機の表示基準」に基づいて有機承認を行っており、使われている原料(ブドウなど)が有機認定を受けていれば、「有機ワイン」などとなるが、有機JASマークを付けることはない。

全国農業協同組合連合会(全農)も、ある単純な理由で有機農業の促進に後ろ向きだ。フランスの経済省の2018年の農業協同組合(JA)に関する記録によると、「JAは肥料市場の70%を管理しており、日本と同じような農業が行われている韓国での価格より20%から30%高い価格で販売している」。

つまり、有機栽培が活性化すれば、JAの「肥料収入」が下がる可能性があるのだ。中には、茨城JAなど有機農業を支援している協同組合もあるが、全農は今のところ改革のアクセル役というよりは、ブレーキ役になっている。

日本の天候条件が有機農業に向いていないという見方もある。確かに日本の自然条件は有機農業に理想的ではないのは事実だろう。しかし、日本でも何万人もの農家が何十年にもわたって有機農業を成功させてきている。「要はやる気の問題だ」と、山田氏は話す。
実際、日本には現在、その手本となるすばらしい有機農家がいくつもある。1つは、茨城県土浦市に住む久松達央氏が展開する「久松農園」だ。48歳の久松氏は、日本の農業のホープの1人である。6ヘクタールを保有する久松氏は、この畑で季節に応じてトマトやなす、とうもろこし、キャベツや白菜などさまざまな野菜を有機農法で栽培している。

農業は重労働になりがちだが、久松氏は従業員の労働時間の管理にも力を入れており、週5日、1日8時間しか働いていないと主張している。

現在はネットで販売しているほか、東京や茨城などのレストランに野菜を卸しているが、JASマークは取得していないという。「例えば作物のそばで蚊取り線香をたいたら『有機ラベル』は取得できない。これってばかげているでしょう」と同氏は疑問を呈す。

有機普及しないのは消費者の責任も大きい

兵庫県豊岡市にも有機農法で成果を出している農家がある。明治時代までこの地の水田はシベリアから美しいコウノトリが飛来していたが、農家が田畑に農薬を使うようになり、コウノトリのえさであった生物が沼から消えてからというもの、その姿は見られていなかった。

1970年代、当時市役所職員だった男性がこの地域の多くのコメ農家を何とか説得し、化学物質と農薬を取り除いて有機米を育て、田畑の自然の生態系を再構築。農家による30年の努力の後、2002年8月5日にコウノトリが姿を現し、これにほかのコウノトリも続いた。

それ以降、豊岡のコメ農家は平均的なコメ価格の2倍の価格で、「コウノトリ米」として自分たちのコメを販売してきた。有機農法のコメ耕作面積は0.7ヘクタールから400ヘクタールにまで拡大。コウノトリ米は現在、ニューヨークの高級日本食レストランでも使われるようになっている。

こうしたさまざまな取り組みがされているにもかかわらず、日本でなかなか有機食品の普及が進まない最大の理由は消費者にあるかもしれない。多くの人が「形が整った」農産物が、「よい農産物」だと信じているフシがあるからだ。多くはまっすぐなきゅうりや穴のあいていないレタス、つやのあるリンゴを高く評価している。

消費者が「美しい食品」を求めることもあって、「日本の農家は庭師のように農業をやっている。完璧なトマトや完璧なレタスを求めているのだ。環境に対する明確な考えなど持っていない」と、ヨーロッパの農業担当のある外交官は嘆く。「格安商品」に慣れすぎていることもあって、有機食材の価格に対する抵抗感がある消費者も少なくない。

が、農業が衰退する日本にあって、有機農業は今後成長が期待できる分野の1つだ。実際、フランスでは有機農業が拡大するにつれて同分野が新たな職を生んでいる。確かに日本にとって既存の農業のあり方にメスを入れることは容易ではないだろうが、農家、そして消費者の啓蒙活動を進めることが求められる。



北口真穂


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テクノロジーで原始的な生活を取り戻す。プランター開発者の孫が思い描く、日本の姿とは。

リンク

プランティオ株式会社 芹澤 孝悦 氏
「テクノロジーで原始的な生活を取り戻す。プランター開発者の孫が思い描く、日本の姿とは。」

(以下引用)

「昨日はメロンをとって食べましたよ。他にもトマトやミニスイカなど、たくさん育てています。」
楽しそうに話すのは、プランティオ株式会社の共同創業者/CEOである芹澤孝悦さん。「みんなで楽しく育てるカルチャーをつくる」を会社のミッションに掲げ、次世代プランターとなる「Smart PlanterTM」を開発しました。

このプランターにはAIが搭載されており、スマートフォンのアプリで野菜の生育状況を把握することができるようになっています。データを用いて水やりのタイミングなどを教えてくれるため、知識がなくても簡単に野菜を育てることができます。
しかし、目的は野菜を育てることではありません。芹澤さんにはSmart PlanterTMを通して実現したい日本の姿がありました。それはいったいどのようなものなのか、開発にこめた想いをうかがった。

(中略)

〇継続的に農に関わってもらうために
―自給自足には憧れがありますが、かつて野菜を育てようとしたらうまくいかず嫌になった記憶があります。そんな人でも、Smart PlanterTMを使いこなすことはできるでしょうか。

高度な技術が走っているとは気づかないくらい、操作自体は簡単です。プランターが届いたら、電源ボタンを長押ししてください。後は、やるべきことを勝手に教えてくれるので、それに従ってお世話をしてください。
ただ、ときにはそれでもうまくいかない場合があるかもしれません。
しかし、せっかくやる気になったのに一度の失敗で農から離れてしまうのはもったいないことです。
そこで私たちは継続的に農に関わってもらうため、いくつかの仕掛けを用意しました。
まず1つ目に小さな成功体験を積んでもらうこと、そして2つ目に、コミュニティをつくることです。

―まず1つ目の、小さな成功体験について教えてください

小さくてもいいので成功体験を積んでもらうため、失敗したときのサポートを充実させました。諦めずにリベンジしてもらうための工夫として、失敗したときにタネを一つプレゼントすることにしています。

一度成功したら、楽しいと思うはずなんです。その楽しい思いを積み重ねることは、農の継続性に繋がります。

―そういうサポートがあると、安心して育てられそうです。でも、また同じような失敗を繰り返してしまうような気もします

Q&Aコーナーで質問すれば、なぜ枯れたのかを教えてもらうことができるようになっています。一部有料にはなりますが、蓄積された野菜の成長過程のデータから原因を特定することもできるんです。

〇野菜で広がるコミュニティの輪
―では次に、コミュニティについて教えてください。PLANTIOのビジョンとして「みんなで野菜を育てる世界へ」が掲げられていますが、これとも関係があるのでしょうか

コミュニティは、Smart PlanterTMで一番のおすすめポイントです。アプリの設計上、1人では育てられないようになっています。1人だとほとんどの人が失敗してしまうんです。みんなで育てることで相互意識が生まれ、野菜を介した自然なコミュニケーションをとることができます。

―ただ野菜を育てるだけでなく、周囲の人と繋がることにも楽しみを見出せそうですね

コミュニティには組織をまとめて盛り上げる存在が必要ですが、Smart PlanterTMでは野菜がその役割を果たしてくれます。
アプリに「花が咲きました」などの通知が来て、勝手にコミュニティが盛り上がるんです。ここに従来の都市農園とは異なる強みがあります。

―野菜がコミュニティビルダーとしての役割を果たすというのは面白いですね。具体的にどのようなコミュニティが形成されていくのでしょうか。

私の考えるコミュニティの最終構成は、ユーザー(消費者)・飲食店・農家が繋がったものです。農家が入ることで農業指導をしてもらえますし、種を分けてもらうこともできます。
自分の種がどこでどんな人が使っているのかが分かると、農家も嬉しいんですよね。また、飲食店が入ることでそれぞれが育てた野菜を持ち寄ってパーティをすることもできます。

―アプリ上だけでなく、オフラインでのコミュニケーションも想定されているのですか

オフラインで会うことはとても重要です。収穫祭のようなものをやりたいと思っています。
前に一度開催したことがあるのですが、自分で育てた感想をみなさん熱く語っていてとても盛り上がりましたし、イベントの今後の可能性も感じました。

〇Smart PlanterTMが普及した日本の姿
―芹澤さんが思い描く、日本の食と農の未来について教えてください

かつての日本人はみんなそうであったように、育てることが傍にあるライフスタイルになると思います。
自分で種をまいて育てて収穫する、そんな原始的な生活が、テクノロジーのサポートによって取り戻されるのではないでしょうか。日本人の中に眠っている農耕民族の血を呼び起こしたいです。

―テクノロジーで原始的な生活が取り戻されるというのは面白いですね

今は大規模農業に支えられていますが、ゆくゆくはマイクロファーミングとバランスよく共存していく世界を目指しています。
それと同時に、自分が食べるものは自分で選択できる世の中にもしたいですね。
食や農へのリテラシーが低い今の状態では、自分で選択することができません。野菜の種や育て方には、たくさんの種類があることを知らない人も多いでしょう。しかし自分で育てるようになれば、リテラシーも高まります。
ただ与えられたものを何も知らない状態で食べるのではなく、自分の意思で選択した方法でつくられた食べ物を食べている世界が理想です。

(後記省略&引用終了)

・新しいテクノロジーで本源性を刺激する。
・地方からではなく都市内から。

限界が見えてきた地方からの農業アプローチ。

『みんな』を交えた都市内からの新しい農業の形が、
これからの農業促進の主流になっていくと感じています。

私もやってみたい笑


三上公平

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「農業生産」と「贈与」

「農業生産」と「贈与」
農業を市場経済の中の「生産」として捉えた時に、現代人はどんなイメージをもたらすか?

市場経済における農産物は工業生産同様に「品質(見た目)」や「量産」が求められる。
自然を対象としている以上、安定供給は無理な話であり、現実的には農業の機械化や効率化の速度を越えて生産者を圧迫している。
生産者は単価の下落を補うために生産者あたりの生産面積を増やす事で、農業の持っている本来の「生産する喜び」を、単純労働のネガティヴなものに落ちている感が否めない。

本来、農業における「生産」とは「自然からの贈与」という意味がある。
贈与の返礼としての労働(活動)であったことから、現代の農業における「生産」とは、真逆のものとなっている。

よく「自然の恵み」というワードが商品PRに使われる事が多いが、観念的な理解に留まっている事が多いということだ。


(以下引用)
【ぼくが農家になった訳】
「第7回 贈与の返礼」
橘 真/甲南醸造所倭文土井農園経営
淡路島で農業に従事するかつての名ソムリエが、 日々自然を相手に時間をかけて農作物を育てることの楽しさ困難さ、喜怒哀楽をコラムにのせて。

(抜粋引用)
「農業に興味を持っている若い世代の人たちが増えていると思うんですが、
なんででしょうか?」というお題でした。

農業における「生産」とは「自然からの贈与」を意味している。
我々の「食べ物」とは本来、無料である。
例えば鶏は再生産するので、前回の「鶏を飼う」で書いたように、飼料にする植物の種をとって翌年また蒔けば、肉や卵は永遠に無料である。
そのような「自然からの贈与」に対して、我々は「無償の労働」で返礼する。
農業について考えるとき、ここで錯誤してはならないのは、労働は農産物を生産するためではなく、「贈与の返礼」の形をとらなければならない、ということである。おそらくここが岐路であろう。

「贈与され贈与するというネットワーク」、それは「純粋な消費者」というものが構造的にリンクできない自然への「畏怖」や「礼節」である。
消費者が消費する「商品」は、切り取られた「断片」であって、それらは集積しても「連続」しない。
今の若い世代の人たちが興味を持つ「農業」とは、おそらくこの「贈与され贈与するというネットワーク」の「連続」、あるいは「循環」のことであろう。


ここで「産業としての農業」について。
戦後、日本の産地の農業は、右肩上がりの経済の発展と人口の増加に同調し、
近代化とともに発展してきました。
しかし経済の発展がもたらす集中化による人件費に対する相対的な農産物価格の下落は、農業の機械化や効率化の速度を越えて生産者を圧迫しています。 
加えて単価の下落を補う生産者あたりの生産面積の増加は、農業の持っている本来の「生産する喜び」を、単純労働のネガティヴな増加という形で損なってしまいました。
そのような形で損なわれた「生産する喜び」は後継者の学習意欲を棄損するという「目に見えない」経路をとって生産者の高齢化、後継者不足、休耕田の増加、災害に弱い治水という「目に見える」形で表面化しています。

現在、急速に過疎化が進む日本の山沿いの集落は古くから、山の斜面に棚田を造り、山林や川と共存しながら集落を形成してきました。
そこには人間の「等身大の営み」が、「百姓」という百の仕事をこなす、集約された「知恵」として蓄積されています。
「百姓」は狩猟し、採集し、飼育し、栽培し、加工してきました。
そして、その「自然からの恵み」を交換し、贈与することによって「自然からの恵み」に対して返礼してきました。
そこでの「必要以上に多く働き、良く作り、丁寧に田や山林を管理する」というオーバーアチーブ、いわば「善意」がかろうじて今の農業を支えています。

日本の人口は20年後には、現在のおよそ70%になる予想です。
高齢化の進む社会で農業の大規模化は、国の農業全体として、一見効率が良いように見えますが、経済軸に支えられた「大規模産地農業」からは、おそらくこの「善意」は出てこないでしょう。

里山の農業、「小規模中山間地農業」「生産する喜び」を再評価し、これからの農業に繋げていくことは、未来の日本の社会に「善意」をもたらす基盤となるものになるであろうと確信して、今回のお題に補完として応じたいと思います。
(引用終り)




峯川道明

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