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農村を活性化させる為には?

「現実逃避として”農”を利用する者」と闘う姿勢が必要

>この間の議論で明らかなように、これらは全て現実逃避とその自己正当化に他なりません。逃避先、代償充足先として農を求めている限り、芸術芸能へ逃避する事と何ら変わりはありません。そしてそこからは、何ら生産的な創造行為は生まれて来ないし、社会的な課題、役割は全く捨象されたままなのです。>

同感です。
そして、この間の議論を読んで、現在の農業・田舎に少し感じていた排他性、自己収束性が理解できました。
これは、農業・田舎が「現実逃避」の代償充足に犯されているところからきていたのだと思います。

>つまり、「現在の環境問題」を対象化するってことは、人類の同類圧力をどう制し、共認闘争でどう勝っていくかってことを考えなきゃいけないってことだ。
だから逆に言えば、それができてない運動は全部偽物だし、むしろ「環境」って言葉をそんな枠に閉じこめて、使えないものにしていくから、人々は(一見)いわゆる「環境問題」に無関心になっていくんだろう。>

このことは、農業にもあてはまることだと思う。
現実逃避して代償充足を貪るための免罪符や正当性に、農を利用するのを許していては、今後誰も農に可能性を感じなくなる。
馬場さんが言うように、「農は生産行為」であり、生産行為には現実の圧力が必ず存在する。

本当に闘う姿勢があれば、その圧力(同類圧力=社会)を対象して現実課題にしなければならない。(その姿勢を見せることで、人は農に惹きつけられる。)
そして、そのためには新たな認識が必要になる。

しかし、”農”を御旗に私的充足に嵌っている者に認識形成の場は敷居が高い(全く逆のベクトル)。
だからこそ、”農”を、チンケな身近な近隣などとの親和・解脱充足(代償充足)や自然への幻想を正当化させる存在にさせてはいけない。
まずは、そこに断固とした闘う姿勢を示す必要があるのだと思いました。

麻丘東出
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