>市場の拡大によって、闘争の場(職場)と生殖の場(家庭)が分断されてしまったが、これは実は、生物史上かつて無かった極めて異常な状態である。
この異常な状態に対して、潜在思念が「闘争の場と生殖の場が一緒だった集団」を求めている事は事実といってよいだろう。
しかし、(状況を認識できる概念装置がないため)それは、意識としては顕在化しておらず、(その結果)ストレートに本源集団の再生に向かわず、懐古的に村落共同体に答えを求めているのでは?そして村落共同体から「農」という要素を抽出し、それに収束しているのでは?
もしこの考えが正しいのであれば、「農」に可能性を感じている、というより、本源集団に可能性を感じている、という方が適切だと思った。
農業を、数多くの他の生産や仕事と比べて「より次元の高いもの、より本源的なもの」と考えない方が良いと思う。
佐々木健二
スポンサーサイト
