漁場の海域は勝手に線を引いて、私有権を宣言するのは不可能である(近年、200海里の経済水域等が私権国家により宣言されているが)。回遊する漁業資源の採取漁労は、仕掛の網に入るのも、釣り針を咥え込むのも海流や魚の選択任せであり、科学技術を駆使した機械化が確立するまでトロール漁法のような一網打尽は有り得なかった。然し、資源が豊かだった夏の最盛期には、小錦のような黒マグロが一網で数百本入ることが稀ではなかった。
漁場や漁法や漁具は網元が代々保全、改良伝承するとしても、協業作業で仕込みがなされ、朝夕操業が繰り返される集団的生産関係であった。厳しい自然圧力を皆で同一視し、大謀を頭に集団の役割分担と能力序列は皆衆の前で自明であり、それはガキの頃からの仲間遊びを介した評価序列や集落内の現在評価とが繋がるものでもあった。
然しこの集落組織と集団的生産関係は1960年代末で衰弱し、市場時代に生き長らえる事が出来なかった。網元から協同組合の漁協に変わっても集団的漁法は略消滅し、現在再生不能と思われる。漁村に残るのは一人船主の漁法となってしまている。
農業は田畑私有と家族単位の生産が漁業とは違う。そうである故、疲弊しながらも市場時代に生き残ってきたとも云えるのではないか。農業生産の再生にも農村集落の活力再生が不可欠である事は変わらない。貧困が克服されて序列秩序が崩壊し、若者達の意識を先頭に、市場第一の潮流が崩壊し始めた。バブルが崩壊して15年が過ぎ、市場第一の熱が冷めてみれば、都市や市場社会に拘らない生活の肯定視観は、都市育ちの若者の心の中に容易に浸透可能だ。狂気と毒気の沙汰の都市と市場に育った若者達の側では、就農定住の農村回帰を肯定視出来る潜在思念が実現されていると考えられる。
新しい担い手として期待される若者像を、農村集落の活性事業に信念をかける指導層から都市に向けて発信(認識内容)し、彼らの潜在思念を顕在化させる課題が残されているだけではなかろうか。
阿部紘
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