事実として、過去の農村は生産と生殖を包摂し、村落全体として統合された共同体であった。だが、今、かつての村落共同体そのままの復活をイメージしても、違和感がある。その理由は過去の農村が、家、氏といった私権小集団を単位として、その利害を調整(止揚)する場であったこと、家父長権(序列原理)に基づいて統合されていたこと、主に自然圧力(生存圧力)を対象としていたこと、などが挙げられると思う。
つまりは、共同体の中での人間関係や生産関係は、根底的には私権統合の枠内での関係であったと言えるだろう。
では、今求められている、新しい共同体の条件とは何か?
それは、「共認原理によって統合されている」ということではないだろうか。
農業が、自分の為でなくみんなの為の課題であるならば、それは私権を離れた共認によって担われなければ成立しないだろう。飢えの圧力を克服した現在、農業において「何をつくるか」「どうつくるか」あるいは「何をなすべきか」さえも、皆の共認を羅針盤にしなければ答えを出せない状況にある。
私権秩序に基づく現在の農業(農村)は、衰退の一途をたどっている一方で、元気のある生産者や若手育成に成功しているところは、組織の内外を問わず皆で考える姿勢が出来ている。農という生産基盤を維持、再生してゆくためには、共認原理による統合が不可欠の条件になると思う。
馬場真一
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