三種の神器と謳われた家電が売れた頃は、それらが豊かさの象徴であったから、「(他所よりも)豊かになりたい」一心で買い求めたのだと聞きます。また、バブル期にブランド物が売れた背景には、それを持つ事で「モテル」という価値観が存在していたそうです。また、ここ2,3年のブランドブームにおいては、「みんなが持っているから」という極めて消極的な理由によって高額商品が売れています。
魚沼産コシヒカリ、松坂牛・・・もこれにあたる?これも一見幻想価値と見る向きもありますが、どうもこのところの動きと照らし合わせるとそれだけでもなさそう??消極的理由の意味は、モノそのものを買うことにさほど重きを置いていないということでしょうか?
実は社会空間で認められているものにとりあえず収束し、そのあからさまには見えない共認域にいること、若しくは共認域を維持することにお金を使うということがより先鋭化しているということなのかも知れません。
農業にひきつければ、どんな共認域を、モノや認識を媒体として形成することが出来るか!その芽が何か??ということなのか。
土井誠也
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