その背景には、食品偽装問題や中国産の農薬問題などによって、食の安全・安心が脅かされていること、そのために自分や家族の食べる野菜は自分たちで作りたい、という意識がはたらいていることがあるように思う。
一方で、家族と一緒に農作業を楽しんだり、自分で作った野菜を近所にお裾分けしてあげるなど、周りの人々と充足を分かち合ったり、相手に喜んでもらうことによって充足する、という意識も見逃せない。
'70年の貧困の消滅以降、食に関しては、人々は単なる消費者でしかなかった=自分が充足することしか考えてこなかった。しかし、私権追求の圧力が衰弱し、収束先を見失った人々は、もはや単なる消費者では物足りないと感じ始めている。
仕事や生産活動とは、お金を稼ぐためでも、食べていく為に必要なものでもなく、人の役に立つことや、相手に喜んでもらうことで充足する、期待と応望の共認充足を供給する手段なのだ。
人々の共認充足欠乏⇒共認収束とともに、消費者から供給者への転換が進んでいくのだと思う。
小松由布樹
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