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農村を活性化させる為には?

赤字兼業農家が農業を続ける理由とは?~これからの農業で第一義にすえるべきもの~


日本には兼業農家が多いというのはよく知られたことですが、ほとんど赤字だといいます。
それでも農業を辞めないのはなんでなのか?そこには、今後の農業のあり方を考えるヒントがあるかもしれません。
国や農協は、大規模農業ばかり推奨しますが、小規模農業の中にこそ可能性が見つかるかもしれません。


以下、著:津野幸人「小農本論‐だれが地球を守ったか‐」より引用。
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多分、中国に端を発したであろうと推定される血食(血は祭に供する牲の血の意。子孫が続いて先祖の祭をたやさないこと)の思想は、東アジア原住民の血脈尊重の根本意識であって、家を解消して夫婦を単位とする家庭の観念は、少なくとも古来からの伝統思考からは導くことはできない。意識革命によって用意に伝統的観念を脱皮できるものであろうか。深く記憶に沈潜した意識による家が突如として復活するのではあるまいか。小農の存在がある限りその可能性は大きいと考えられるのである。

ひるがえって、はげしい社会変動のさ中にあるわが国の農業をみるとき、際立った特徴が認められる。それは、高度な産業社会のの実現にも拘らず、依然として残る農家数の多さである。戦前に550万戸を数えた農家数は、兼業を含めるとはいえ、今(1991年現在)なお400万戸もある。

近世農業史をひもとけば明らかなとおり、はやくからわが国の農村では、二、三男を分家するに足りるだけの農地の余裕はなかった。彼らは町場においてもそれぞれの家を興したのであったが、それは移転しても一向に差し支えのない家であり、本百姓のそれのごとくに農地と一体化した家ではないのである。家督を継いだ農民は文字通りに、一所懸命に農地を管理する。作物の生産額を増やすためには、地力を高める以外に道は開かれていなかった。

(中略)

この集約自給小農民の営農は、いかなる情念によって支えられていたのであろうか。この回答は既に柳田国男によって与えられている。すなわち、「元来百姓仕事の辛苦と忍耐とに向かって、報償として何物があったかと尋ねると、具体的にいえば家の永続の保障であった。」その保障によって念願するところは、「祖先を祭りまた子孫に祀られる国国としては、盆と彼岸とに家の者が自分を祭ってくれるという確信がないと、楽々と老いまた死ねなかった。(中略)東洋人の家という考えの中には、常にこの愛慕の交換と連鎖があった。」(日本農民氏)。

繰り返して言うが、土地と家とは不可分なものであって、日本農民の意識の根底に家があるかぎり、土地は捨て去ることができないのである。兼業農家の存在は表面的には一家経済の問題であるかも知れぬが、その根ざすところは上記の理由による土着定住である。(中略)日本農業を覆っている貨幣経済のベールをかなぐり捨てると、そこに小農の第一義として尊守する実態が見えてくるのだ。土着定住を貫くことによって血脈の永続を期するという本願である。(中略)家の永続が根源的な小農の欲求であるならば、それを無視することはできない。日本農家のほとんどが自給小農に端を発したものであり、なお小農の継続を願うのであれば、その第一義とするところを中心に据えて、それに整合した施策をとるのが正当だと言わねばならないのである。

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小川泰文 
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