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農村を活性化させる為には?

稲作の歴史と日本①

( 278989 )にも挙げられていますが、
>日本一の農書といわれた『農業全書』
江戸時代以降の自然観や農業観を考えるうえで、文字史料として最も古いものは、江戸時代に書かれた農書(以下、江戸農書と略称)であろう。江戸農書のうちで最も農家に影響力があったのは、1697(元禄)年に刊行された宮崎安貞の『農業全書』である。(引用終了)

この「農業全書」を作る過程において「宮崎安貞」から学ぶポイントがあるなと感じました。

「稲作の歴史と日本・ヒーロー&ヒロイン編( リンク )」より引用させていただきます。

>■各地の農村を訪ね、老農の話を聞いて歩く謎の人物

江戸時代も50年以上続き、世の中が安定してきた寛文の頃、九州から紀伊、伊勢などに、不思議な人物の噂が流れました。武士のように見えますが、刀は差していません。山の形や野の様子、川の水利などをせっせと写生しています。立ち居振る舞いは上品で、お米やお金についての話、日本や中国の昔話などには大変詳しい。では学者かと思えば、手には鋤(すき)や鍬(くわ)を握ったタコがある。全国各地に旅をして、有名な老農を訪ねては、一心に話を聞いている。この武士なのか、学者なのか、農民なのか分からない不思議な人物が宮崎安貞です。大蔵永常、佐藤信淵とともに、江戸時代の三大農学者と言われた一人で、40年以上の歳月をかけて「農業全書」をまとめました。


■刀を捨てて、鍬を握り、中国の農書や老農の教えを実験
安貞は、広島藩主浅野候に仕え、二百石の禄米(ろくまい=給与のこと)を与えられていた豊かな武士の家に生まれましたが、ある時、父は禄米を取り上げられて失業します。この頃は、徳川幕府は武家諸法度などの規則を作り、幕府に協力的ではない大名をつぶしたり、領土を替えたりして天領(てんりょう=江戸幕府の領地)を増やしていました。ついには天領が日本全国の約四分の一にもなり、武士の失業者が全国にあふれました。

ところが、安貞は25歳の時に、二百石禄米での福岡藩の黒田候の家臣となります。武士の失業者があふれるなか、父とおなじ禄米をもらって福岡藩に採用されたのですから、群を抜く才能を買われたにちがいありません。しかしある時、安貞は黒田候の禄米をあっさりと捨てて、旅に出てしまいます。

さらに旅から帰ると、今度は刀まで捨てて志摩郡女原村(現在の福岡市)に住みついて農業を始めます。その間に世は元禄の時代に移り、文学や演劇、絵画などが一気に花開き、数多くの文化人が生まれました。安貞も江戸にいれば、そういう文化人の一人として名をなしたかもしれませんが、彼は職を捨てたばかりか、学者としての道も選びませんでした。ただひたすら村民を励まして開墾を奨励し、自分も鍬をふるって耕し、その合間を縫って中国の農業書をかたっぱしから読み、すこし時間があると近畿、中国、九州の各地に出かけて経験の深い老農の話を聞き歩きました。そして村に帰ると、それらを実際に自分の農地で実験しました。(引用終了)



塩貝弘一郎
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