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農村を活性化させる為には?

稲作の歴史と日本②


(「稲作の歴史と日本のヒーロー①( リンク )」の続きです。)

■貝原益軒・楽軒の協力のもと全11巻の大書が日の目を見る。

安貞はそんな生活を40年も続けました。その間に「農業全書」をまとめたのです。また、本草学(ほんぞうがく、薬物についての学問)の科学者であった貝原益軒と、その兄である楽軒と「世の中のことを考え、農業を発展させたい」という同じ思いを持つ仲間として親交を深めます。益軒には農業全書の序文を書いてもらい、楽軒には、内容についての訂正や出版の世話を頼みます。楽軒は、書の大半ができてからも、さらに目を通し、足りないところを書き加え、それが本文の10巻の他にもう一冊、付録として付け加えられたのです。

また、徳川光圀公がこの書物を目にとめて誉めたたえたのも、当時無名の安貞だけの力ではとうてい不可能で、水戸にいた楽軒の知人を通して光圀公のもとに届けられたからだ、と言われています。

全10巻と1巻の付録からなる「農業全書」は、第1巻は農業総論として耕作、種子、土地を見る法などについて書かれ、2巻以降は五穀、畑の野菜、山野の野菜、茶、家畜や薬草、施肥、除草や除虫など、農業についてのあらゆるものごとを詳しく記述しています。

■農民を愛し、農民救済のために生きた日本の農学の父
「農業全書」は、元禄十年(1697年)に刊行され、各地に普及しました。明治になって西洋の自然科学による農学書が出るまで、ほぼ二百年の間、近代農業の発展に寄与してきました。

大蔵永常、佐藤信淵は大名のもとでその手助けをし、大名を豊かにすることが目的でしたが、安貞の最大の目的は農民の救済でした。安貞は「農民が技術的に水準が低く、そのために、豊かで明るい生活の道をたてられない」ことを嘆き、自分の能力を顧みず農業の書を著すことを思い立って、この「農業全書」を完成させたのです。

「農業全書」では農業技術のことだけではなく、農政についても確固たる意見を述べています。農民が貧しいことを愁い、穀物の蓄積、倹約に勤めることをも説いています。また、植物の名前をはじめ、ほんとんどの漢字には、読みやすいようにふりがながふられ、イラストも数多く掲載しています。

日本は瑞穂の国と言われ、大昔から農業国として成立していましたので、特別な技術がなくてもある程度の収穫はありました。しかし、農民の発明や発見は親から子へと口伝えに伝えられるだけで、それを書物として記録することはなかったようです。宮崎安貞は、「農民が富まざれば、国富まず」の考え方を貫き技術書を確立しました。「農業全書」は、農業の技術書として重要であるだけではなく、農民の生活を応援する激励の書でもありました。それは長きにわたって、農民の心のささえとなったのです。(引用終了)

宮崎安貞が行った“老農に教えを請い、自らの農地で実践していく”方針は、現代の農業に携わる人達にも通じる方針ではないかなと思います。



塩貝弘一郎
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