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農村を活性化させる為には?

田んぼの忘れもの

江戸時代前期に著された日本初の農書である「農業全書」。

この「農業全書」の考え方を300年を経て、現代に受け継いで広めている人達が居ます。農学博士であり百姓である宇根豊氏と、農民であり作家である山下惣一氏です。この2人は1990年代から「NPO法人農と自然の研究所」を立ち上げ、脱市場の農業活動を九州を拠点に行なってきました。

そのNPO法人「農と自然の研究所」の代表理事でもあった宇根豊氏が、現代の言葉で語る「農業全書の視点」をご紹介します。

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田んぼの忘れもの / 宇根 豊 ・他・抜粋 

■害虫と農薬

「害虫だけを殺す農薬なんて、絶対に存在しない。なぜなら、害虫が死ねば、害虫の体内に寄生していた天敵も死ぬし、害虫を食って生きている天敵にも影響を与える。生物を排除するために、農薬を散布する。その効果が優れているほど、排除・駆除しようという気持ちは肥大していくだろう。そして害虫だけを殺す、安全な農業という自己矛盾、認識の誤りに気づかないほど、人間と自然の関係は空洞化していくのだ。こうした発想の農業技術を、援助と称して輸出するわけにはいかない。」


■地域と多様性

「地域、地域に多様な穀物が栽培され、稲でも、多様な種類が栽培され、多様な食べ方がいきていた時代を決して忘れてはならない。国家のためではなく、消費者のためだけでなく、自分や地域のために田畑を耕し、そこにあった作物をつくる。そのことが文化を豊かにし、環境を守ることにもなるだろう。そのために稲作を楽しむ百姓の思想こそが、消費者や国を救うことになりはしないかと、予想する。」


■量の価値と大切な価値

「米という生産物の量だけで、生産力をはかるのは一面的だ。その田んぼに住むいろいろな生き物も含めて生産物だと考えたらどうだろう。生産量だけを追究した農業近代化技術は、生産力そのものを痩せさせているという事実がある。」


■赤トンボと近代思想

「赤トンボから目をそらしてしまう何かを、ぼくは、近代化思想と呼ぶことにする。とくに戦後の農業の近代化によって、何かが失われ、何が残っているかを、ぼくは検証するためにこの本を書こうと思った。学問や行政の視点・言葉ではなく、そこに住む生き物や人間の視点・言葉で語ろう。そして、もう過去に後戻りできないのなら、近代化の行く末の未来ではなく、別の未来を提案したい。」


■田んぼの土

子供たちの教育の中で、農業体験が取り入れられるようになっている。田んぼに田植えにやってきた都会の子どもが、「どうして田んぼには石ころがないの?」と聞いた。

石ころがなくなったのは、百姓が足にあたるたびに、掘り出して、捨ててきたからである。それも、10年、20年でなくなったわけではない。これが土の本質である。土の中にはたぶん百姓と自然が、土を作り上げてきた数百年の時が蓄積されているのだ。

初めて田んぼに足を踏み入れた子供たちは、田んぼの土のぬるぬるとした感触に驚く。

この土のぬるぬるとした感じは、数十年数百年かけて、百姓が耕し、石を拾い、有機物を運び込み、水を溜めてつくってきたものだ。しかし、百姓だけがつくったのではない。自然からの水が、山や川床からの養分を運び入れ、田んぼの中では藍藻類が空気中の窒素を固定し、稲の根が深く土を耕すから、こんなに豊かな土ができるんだ。


■土と命

このぬるぬるは、生きものの命の感触なんだ。だから水を入れて代かきすると、ミジンコや豊年エビやトンボなどが生まれてくるし、いろいろな生きものが集まってくるんだ。

こうした田んぼで、稲が育つ。だから米は「とれる」「できる」もので、人間が「作る」ものではない。人間が関与できるのは、「土づくり」だけだ。その土も、山や川、藍藻類やオタマジャクシなどの自然と、石を拾ったり、水を引き込んだりする人間との共同作業なのである。


■めぐみ

農業とは自然に働きかけて、自然から「めぐみ」をいただくことである。そして農産物とはそのめぐみのごく一部に過ぎない。

こう考えると、農業こそは、自然に抱かれ、自然の恵みに養われて生きている人間の本質に根ざした営みである。近代科学技術、近代工業の発展によって、その自然が忘れ去られた事で、こうした農業の真の姿も見えなくなってきたのだろう。


■アキツクニ

トンボやメダカ、蛍が、ふつうに棲んでいた田んぼが見られなくなり久しい。戦後、生産の効率という、どちらが多く金を生み出すのかで、物事の価値を判断する考え方が広まった。

なぜ、秋になると、赤とんぼが、たくさん舞っているのか?それを辿って行ったとき、そこには田んぼの存在があり、人間も含めた自然環境を支える、生態環境の全体像が見えてくる。米だけが、もっと収穫できれば、そこに虫やタニシや、ヤゴ、鳥などが、いっさい居なくなっても、人間は、暮らし続けられるのだろうか、そういう原点に還ってみる。

古代、我が国は日本を「瑞穂の国」、あるいは「アキツクニ」と自称した。その「瑞穂」とは、瑞々しい稲穂という意味であり、アキツとは、その上を飛ぶ赤トンボたちのことである。



笠原光 
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