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農村を活性化させる為には?

農業・百姓を通して見た現代人-①

農業・百姓を通して見た現代人-①
 類の農園事業:「農の新しい可能性を拓く・自然体験教室」を読んで、子供の頃に受けた祖父の教えや思い出がふと心に浮かんだ。私は、小学校の頃東京の調布という街に住んでおり、そこでは地域の農家の人々が、小学校や幼稚園に農地を貸してくれ、その中で地域一体となった自然体験教室が行われていた。その体験の中で、祖父がよく言っていた事がある。この実現論などを通し考えた結果、ぼんやりとだが見えてきたモノ、掴めたモノが在るので述べたいと思う。

 いきなりではあるが、新聞社では「百姓」という言葉は差別用語だそうだ。けれども、祖父や私達にとっては尊敬語である。よってこれを使うし、「「百姓」こそ理想的人間像であり、目指すべき生き方のお手本だ。」と祖父はよく説いていた。彼が自然体験教室などで講じていたからではない。第三次産業人口ばかりが増えて、直接モノを生産する第一次産業従事者がほんの僅かになって、生きることの基本がわからなくなってしまったのではないかと、本気で心配していたからだと思われる。
考えてみると、私達現代人は、衣食住の全てを外部化してしまっている。衣はファッションメーカーに、食はファーストフード店に、住はプレハブメーカーにすっかりお任せしてしまった感がある。しかし、人間が生きるといった実感は、自らの衣食住を自らの労働で満たす事にあったはずである。
自然界での唯一の生産反応式が光合成である。たとえ百獣の王ライオンであっても、地球上で最も賢い動物であると思っている人間であっても、この反応で生産された緑の植物に寄生する存在でしかないのと同じ事だと言える。サービス産業のような虚業が評価され、生産業のような実業が軽んじられるのを情報化時代といい、土から遠ざかる事、脱農を近代化というのなら、共に人間にとって不幸な時代というしかない。こう云う事を本能的に彼らは感じ、この事を伝えようとしていたのではないだろうか。



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或る農学者が、「「百姓」とは「百」は「たくさん」、「姓」は「かばね」これは古代の苗字に当るもので、苗字は昔、職業を表した。要するに姓は「能力」を意味する。従ってたくさんの能力が無いとできない仕事が「百姓」という事だ。」と説いている。そうならば、人間として生まれ持って来たあらゆる能力を十二分に発揮して生きられる仕事、それが農業ではないだろうか。
 まずは、土や肥料について十分に熟知する事、つまり化学知識を持つこと。又地形に沿って棚田を拓き、水を落とし灌漑を施すなど土木、水利技術を駆使していた。他にも様々な、環境工学の知識・作物の流通や相場に対するセンスを発揮していた。又現在のように、全てを行政に世話される時代と違って「百姓」はコミュニティリーダーでもあったし、ボランティア活動に参加する事は当然であった。つまり、自らの能力を社会に対しお互いに発揮することで自他を認め合い、より良い社会を形成していこうという姿勢が農業の本質であり「百姓」として、又、一人の人間としての誇りを育てる土壌がそこに存在したのではないだろうか。

 我々現代人(サラリーマンなど)は、一体何姓であろうか。二姓三姓か、せいぜい余暇活動でスポーツを取り入れ五姓、六姓を目指している。ボランティア活動を志向する国民が増え、生き物、緑地の保全に汗を流す例えば里山保存活動、棚田保全活動などが盛んになってきている。それらの事より、誰もがせっかく持って生まれた百の能力を発揮して生の充実を味わいたいという流れは、二十世紀末より少しずつ見られた「本源収束」の動きの一端とも考えられるのではないだろうか。その証拠に、土から遠いホワイトカラーや若者に「農」志向、「ネオルーラリズム」(新田園主義)という世界的傾向が始まっている事実がある。


 


江岸元
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