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農村を活性化させる為には?

歴史は繰り返す? “荘園”化する日本の農業~系列化の中で変わっていく農業の「働き方」②


○ 「荘園」化で起こる変化

 では、さらに将来の日本の農業はどのように変遷していくだろうか。それには「荘園」がどのようになっていったか、その推移を見て見るとよさそうだ。

 藤原摂関家など有力貴族などに集約した荘園は、次第に「付け届け」を増やすように要求がきつくなっていった。荘園の実質上の経営者が別の実力者に乗り換えようとしても、すでに「系列化」が進みすぎていて、簡単には移れなくなっており、しかもどこの系列でも荘園に対して厳しい要求をするようになっていったので、経営が苦しくなっていった。

 系列化が進む過程では、さまざまな権利を獲得することができたのでメリットが大きかった。しかし、系列化が完了してしまうと、系列に所属するがゆえのデメリットが大きくなってきたのだ。

 これは、現代版「荘園」でも同じことが起きてくる可能性がある。現時点では、大手流通小売と提携する方が安定した価格で生産物を購入してもらえるメリットがあり、利益が大きい。これに対して、市場を通すと頑張って品質を向上させたものもすべて「ホウレンソウ」や「レタス」でしかなくなり、差別化ができないので、市場よりも系列に属する方が有利なのが現状だ。

 だが、系列化が完了してしまうと、おそらく市場に出荷する生産法人が少なくなってしまうため、市場が機能しなくなる恐れがある。農作物の流通のほとんどがそれぞれの系列内で完結するようになり、別の系列に農作物を横流しすることは難しくなる。

 他方、流通小売は「売り場」を支配していることを強みにして、生産法人により安い値段で生産物を出荷するように要求するかもしれない。そうなると、系列に属することはかえってデメリットになるのだが、すべての生産法人が系列化してしまっていたら、もはや別の道を探ることもできず、泣く泣く要求に応えざるを得なくなるかもしれない。

 もちろん、現代の企業は社会的責任を果たすことが求められているから、そんなに人道に反することは起きないと考えたい。ただ、平和な時代が何度も破れている歴史の浮き沈みを考えると、そうしたこともどこかで頭に入れておいた方がよいだろう。

 人工知能の行方も気になる。田植えや耕耘などの作業を人工知能とロボットが果たすようになれば、もっと人手をかけずに生産しコストダウンを図れ、という圧力が系列上部からかけられるかもしれない。そのとき、生産者側はどう立ち振る舞えばよいのだろうか。

 このことも、昔の荘園に何が起きたのかをみてみよう。

 平安時代に入り、貴族は荘園への要求が厳しくする割に荘園にメリットをもたらさなくなると、荘園は次第に独立した行動が目につくようになる。「武士」の台頭だ。これは平安時代、警察(刑部省)や軍隊(兵部省)を担当するのを嫌がった貴族たちが、治安維持をおろそかにし始めて、荘園も盗賊などの乱暴狼藉に自衛する必要に迫られたためだ。

 芥川龍之介の「羅生門」は、京の都の門でありながら窃盗や暴力がまかり通り、誰も取り締まらない様子を描いているが、これは貴族たちが警察や軍隊の仕事を嫌がったために起きた現象だった。貴族が誰も警察機能を担おうとしないため、検非違使(けびいし)という法律には定められていない私警察を組織し、身分の低い人間(武士)に取り締まらせるありさまだった。

 首都でこのありさまだから地方に至っては実にひどく、自分たちで自衛しないと田畑や財産を守れなくなった。自衛組織が武士となり、やがて貴族を凌駕する存在として平氏や源氏が台頭するわけだが、それは別の話。

 さすがに現代あるいは将来において、武士のような私警察が地域ごとに発達するとは考えにくい。ただ、大規模生産法人が何らかの方法で系列から離れようとし、独立の気風を見せる可能性はあるだろう。

○ 日本の農業の向かう先は

 以上、奈良時代から平安時代にかけての荘園とのアナロジーから、現代の日本農業がどのように進展していくのかを展望してみた。むろん、昔の日本と大きくかけ離れている面があることを無視してはいけない。

 たとえば、昔の日本は食糧の輸出入はほぼゼロだ。もちろん遣唐使などの行き来はあったが、国民を食わせるほどの食糧の行き来は絶無だったと言ってよい。それに対し、現代の日本は食糧自給率が38%。食糧の6割強を海外から輸入している。日本という島国の中だけで農業を捉えられなくなっており、その点が昔の「荘園」をそのままなぞることはない原因にもなる。

 また、農業が経済全体に占める存在感も違う。産業革命が起こる前は、経済とはほぼイコール農業のことだった。商売や工業もあったが、農業生産が経済全体に占める割合は非常に高かった。産業革命以前の経済学者がみな農業のことばかり語っているのは、それだけ農業が経済の根幹を占めていたからだ。これに対し、現代の日本では農業がGDPに占める割合はわずか1%程度。世界最大の農業大国であるアメリカでさえ1.2%(2014年)。農業の存在感がかつてなく小さな時代が、現代なのだ。

 もう1つ。これほどまでに農家が少ない時代はない、ということだ。江戸時代では国民の8割が農家だった。奈良時代や平安時代も同様に、大半の国民が農民だった。ところが平成29年には約182万人。国民のわずか1.4%しか農業に従事していない。従事者が少ないということは、選挙権を持っている有権者の数も少ないということであり、政治的な影響力も小さいことを意味する。

 奈良・平安時代に発達した荘園とのアナロジーで日本農業の将来をある程度見通すことも可能だが、当時と異なる環境があることも頭に入れて、未来を予想することも必要だろう。

 日本農業はどう変化していくのか。あるいは、どう変化させていこうとするのか。

 1つだけ、昔と今とで変わらぬ真実がある。「食べなきゃ生きられない」ことだ。農業が人類の生命を維持する産業であるからには、この産業が(人類が滅びる前に)滅びる心配はない。考えるべきは、どのような農業の在り方が国民の幸福につながるのか、だ。

 その中で、生産者の「働き方」も決まっていくことだろう。




津田大照
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