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農村を活性化させる為には?

農業・百姓を通して見た現代人-②

農業・百姓を通して見た現代人-②
 話は進む。「百姓」という考え方とは反対に、近代化は学問を分化させ、産業を分業化させて進化発展、効率化生産性の向上をもたらした。元来、真実は体系であり、全ての事柄は有機的に繋がったものであって、それを一つのものとして理解するのが本当である。(実現論にも通じるのではないだろうか。)にもかかわらず、扱い易いように分化し、便利である事だけを目指した。
感動的な太古の時代より在る「炎」という真実を、コンロという「熱」と蛍光灯という「光」に二分して扱いやすくしたのが近代文明だと品田穣氏は説明する。まさにその通りだ。人間に奉仕すべき学問も産業も、今や人間を支配し、人間の暮らしまで変えさせてしまった。
 現代人は、その意味において誰もが分業化を余儀なくされ、或る意味「専門家」になってしまっているのではないだろうか。サラリーマン、主婦、事務屋とかいう風に。実際もっと細かく、経理・営業・総務などと、とにかく自らが得意とする一分野の専門知識と専門世界に奉仕して一生を過ごすように仕向けられていく。



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当然の事ながら「専門家」は職業病に陥る宿命を持っている。学生の自分が言うのもなんだが、自らの関心事が狭い範囲に閉じ込められれば、否応無くその専門が一番大切であり、それ以外のものは不必要とさえ思うようになってしまう。この事が少なからず現代における人々の思考停止に関係があるのではなかろうか。
例えば最近において、環境ホルモン問題などで農薬の専門家などが、世の中の批判を浴びると、農薬の事をよく知らない素人のくせにまずは相手を否定してかかる。次に、その被害などがたかが知れたもので大した事は無い、と過小評価してくる。それは、自らの専門への過信と同時に、自らの存在を否定する事にならないための必死の抵抗でもあり、真の「批判精神」を自己肯定と履き違えた愚かな行為である。

 かなり大袈裟に言えば、現代社会はこういう人々の集合によって形成されている。よく価値観が多様で、何が妥当であるかは決められないと言われる。がしかし、本当に妥当な事が無い訳ではない。妥当で正しい事があるのにもかかわらず、それぞれが偏った見方しか持ちえてない現代人には、それが見えないだけである。この、専門分化した現代社会は、効率的であるものの、これを構成する一人一人の精神状態ははなはだ不健全で偏ったものにしてしまったということになる。
 この社会にとって、この実現論の存在は大きな可能性を秘めたものである事は言うまでも無いだろう。


江岸元
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